
道の両側に、土色の壁が立っている。細い路地の奥にはまた角があり、その先は見えない。高層ビルを思い浮かべていたリヤドの旅で、最後に長く歩いたのは、こういう場所だった。
2月、アルウラから飛行機でリヤドへ戻った。旅の初めにも空港近くで一泊したが、今度は観光の時間がある。向かったのは、リヤドの北西にあるディルイーヤ。サウード家の歴史を辿るうえで欠かせない街だ。
飛行機の窓の下に、街が広がる

アルウラでは、建物の奥に岩山があった。リヤドへ戻る飛行機の窓からは、道路と建物が細かく並ぶ市街地が見えた。乾いた大地は続いているのに、人の暮らす場所の大きさが違う。
アルウラで見てきた岩の墓や鏡の建物を、まだ頭の中で並べていた。そこに、今度はこの街の景色が加わる。数時間前までいた場所と、いま降りようとしている場所が、同じ国の中にある。
ディルイーヤ。壁と扉を見ながら歩く

ディルイーヤのアットゥライフ地区では、建物の色がよく似ている。だから、扉の形や窓の位置に目が向いた。壁に小さく開いた穴、角の残った土の面、奥に続く中庭。歩いていくと、同じ色の街にもずいぶん違いがある。
ディルイーヤのツアーで案内してくれたガイドは、アブドゥラという人だった。
「こういう建て方は、この辺りのものですか」
「ナジュドの建築です。この地域の建て方ですね」
アブドゥラの言葉を聞いて、もう一度壁を見る。アットゥライフは、アラビア半島中央部に特徴的なナジュド様式を伝える場所として、世界遺産に登録されている。
遠くから全体を眺めるより、入口の前に立ったときの方が、建物の厚みが分かった。正面から見えていた扉の奥に、暗い部分が続いている。

観光客として辿る道は整っている。それでも、壁が途中で切れた場所には、建物の内側が見える。屋根のある姿を想像し、隣の壁までの距離を目で測る。ここに人が暮らし、行き来していたのだと考えるのは、立派な全景を見たときよりも、こういう場所だった。
サウード家の都だった場所

ディルイーヤは、サウード家の最初の国家の都だった。アットゥライフには宮殿などの遺構が残り、18世紀から19世紀初めにかけて、この場所が政治と宗教の重要な中心になっていたことを伝えている。
ここで見ているのは、いまのサウジアラビア王国に至る歴史の一部だ。王国の歴史を、石油が見つかってから始まる話として捉えると、この街が抜け落ちてしまう。
アルウラでは、ダダンやナバテアの人々が残したものを見た。そこから移動して、今度はサウード家の都を歩いている。時代も地域も違い、同じ王朝が順番に名前を変えたわけではない。それぞれの場所に、人が集まり、権力が生まれた事情がある。
街を歩いてから歴史を読むと、名前だけだった場所に扉や道の幅が付いてくる。ディルイーヤも、これから本で見かけるたびに、この土色の壁を思い出すのだろう。
日が傾くと、壁の色が変わった

日が傾くと、壁の凹凸が少しはっきりした。上の縁は明るく、入口の奥は暗い。同じ建物を見ていても、着いたときとは影の付き方が違っている。
路地に入れば、先の角までしか見えない。開けた場所へ出ると、低い建物の上に空が広がる。その繰り返しで、足を止めたり、また歩いたりした。
ケープタウンの街歩きでも、建物を見ていたはずが、そこに暮らした人たちの歴史が気になった。ディルイーヤでは、扉の向こうや壁の途切れた先を見ながら、ここが都だった頃のことを考えていた。
砂漠の岩、夜の灯り、皿の上の米、土色の路地。サウジアラビアを思い出すときに浮かぶものが、来る前よりずっと具体的になった。最後にもう一度振り返ると、建物の上に青い空が残っていた。
リヤドで泊まった宿
旅の初め、アルウラへ移動する前に、空港近くのRadisson Hotel Riyadh Airportで一泊した。
| 宿名 | 泊数 | 総額 |
|---|---|---|
| Radisson Hotel Riyadh Airport | 1泊 | 461.88 SAR/約19,040円 |
空港で立ち寄った店
| 店名 | 特徴・注文内容 | お会計額 |
|---|---|---|
| Eric Kayser(リヤド空港T5) | アールグレイ | 17.00 SAR/約700円 |
日本円は2026年9月15日確認の1 SAR=約41.22円で換算し、10円単位に丸めた概算です。旅行時のカード決済額とは異なります。
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サウジアラビア・アルウラ編では、ヘグラ、マラヤ、ダダンと、旧市街での食事を紹介しています。
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