カザフスタン旅行記|アルマトイの街と、峡谷・湖を巡る旅

カザフスタン・アルマトイ旅行記。森と湖を背景にしたサムネイル ヨーロッパ

アルマトイに着いたその夜、僕は初対面の二人とドライブをしていた。

一人は、少し前にバーで知り合ったカザフ人のダニヤル。もう一人は、その後に合流した彼の友人だ。二人に連れて行ってもらい、アルマトイの夜景を見た。

その晩、ダニヤルから聞いた話がある。

「ロシア語の方がかっこいいって思う若者もいるんだ」

カザフスタンでロシア語を使う理由に、かっこよさが出てくるとは思わなかった。

この日の朝に着いて、市場や教会を歩き、山の上から街を眺めた。けれど、どんな人がどんな言葉で暮らしているのかは、地元の人と話して初めて少し分かった。

初日、山のふもとの旧首都へ

アルマトイは、カザフスタン南東部、天山山脈の北側に広がる街だ。

近代の都市として大きくなったのは、ロシア帝国が1854年にヴェールヌイの要塞を築いてから。ソ連時代の1929年には首都となり、独立後も1997年までその役割を担った。首都が現在のアスタナへ移った後も、国内最大の都市であり、経済や文化の中心であり続けている。

今回の滞在は二泊。その後はバスでキルギスへ向かう。

到着して最初の朝食は、ホテルから近く、Googleでの評価も高かったカフェ、Benedictへ。紅茶と朝食を注文し、腹ごしらえをしてから街に出た。

中央モスクでは、白い建物の上に金色のドームが光っていた。内部には高い柱が並び、大きなシャンデリアの下で人々が絨毯に座っている。

中央モスクの白い外壁と金色のドーム
中央モスクの白い外壁と金色のドーム
中央モスク内部の柱とシャンデリア
中央モスク内部の柱とシャンデリア

その後に訪ねた昇天大聖堂は、淡い黄色の壁に白い縁取り、屋根には金色の飾り。こちらの内部にも人がいて、正面には絵と金色の装飾が幾重にも重なっていた。色ガラスを通った光が、床を青や黄色に染めている。

昇天大聖堂の外観
昇天大聖堂の外観
昇天大聖堂の床に落ちる色ガラスの光
昇天大聖堂の床に落ちる色ガラスの光

モスクとロシア正教の大聖堂が、同じ午前中に歩いて巡れる距離にある。ロシア帝国、ソ連、独立したカザフスタン。街の歴史をたどると、アルマトイにこうした建物が並ぶ背景も見えてくる。

グリーンバザールで、街の食卓を見る

モスクから大聖堂へ向かう途中、グリーンバザールに立ち寄った。

ここでの商いは19世紀から続いている。この場所には1868年から売り場があり、1875年には商人たちが集まる交易施設「ゴスチーヌイ・ドヴォール」が建てられた。

今も果物や野菜、肉、乳製品、香辛料を買える、街の人たちの買い物の場所だ。旅人が土産を探す横で、地元の食卓に載るものが売られている。

店先には丸い果物が積まれ、屋内へ入ると、通路の両側に売り場が続いていた。上から見下ろすと、その密度がよく分かる。商品が隙間なく並び、その間を人が行き来している。

グリーンバザールの屋内売り場
グリーンバザールの屋内売り場

近づいて見ると、袋を開いた香辛料や乾物が何列も並んでいた。赤や黄色の粉、粒のままのもの、乾燥させた実。同じように見えた売り場でも、足元まで視線を落とすと、また別の商品がある。

市場に並ぶ香辛料と乾物
市場に並ぶ香辛料と乾物

教会なら正面に見上げるものがあるけれど、市場では見る先がなかなか定まらない。大きな建物の全体より、袋の中身や積まれた果物の方へ目が向いた。

マクドナルドの看板が消えた理由

街歩きの途中、元マクドナルドの店にも入った。

元マクドナルドの外観。現在の看板はI’m
元マクドナルドの外観。現在の看板はI’m

外の看板は「I'm」。建物の前にはパラソルが並び、ポテトの容器にも別のロゴが入っている。それでも、食事を前にした印象は、想像以上にそのままのマックだった。

元マクドナルドの店舗内
元マクドナルドの店舗内

なぜ名前だけ変わったような店があるのか。

背景を調べると、ロシアによるウクライナ侵攻後の食材調達に行き着く。カザフスタンのマクドナルドはロシアから肉のパティなどを仕入れていたが、その調達が止まり、代わりの仕入れ先を確保するのに苦労した。

国内で肉を買えば済みそうにも見える。しかし、マクドナルド向けに供給するには認証や監査が必要で、それには費用も時間もかかる。現地の生産者が簡単に参入できる仕組みではなかったという。2023年1月にブランドでの営業は終了し、旧店舗は別の名前で再出発した。

遠くの戦争が、隣国の店で使う肉の仕入れを変え、看板まで変えていた。僕が入ったのは、その後も営業を続ける店だった。

コクトベから見える、街と山の距離

午後は赤いゴンドラに乗り、コクトベへ上がった。

眼下には、木々の間に建物が広がっている。市街地は遠くまで続き、端の方は白く霞んでいた。一方に目を向けると、山の稜線がいくつも重なっている。

コクトベへ向かう赤いゴンドラ
コクトベへ向かう赤いゴンドラ
コクトベから見える山並み
コクトベから見える山並み

首都ではなくなったといっても、小さくまとまった街ではない。午前中に歩いた市場や教会は、この広がりのほんの一部だった。

コクトベから眺めたアルマトイ
コクトベから眺めたアルマトイ

街へ戻ってからは地下鉄に乗った。壁には人物像や大きな模様があり、床にも装飾が入っている。ホームから上へは、長いエスカレーターが続いていた。

アルマトイの地下鉄駅の装飾
アルマトイの地下鉄駅の装飾
地下鉄駅の時計と床の装飾
地下鉄駅の時計と床の装飾

夕食には、馬肉のベシュバルマクとマンティを注文した。平たい生地の上に肉を載せた大皿と、ひだを寄せた蒸し料理の皿が並ぶ。店内も賑やかな色使いで、柱から天井まで模様が続いている。

夕食のレストランの店内
夕食のレストランの店内
馬肉のベシュバルマク
馬肉のベシュバルマク
マンティの皿
マンティの皿

朝から一人で街を巡っていた僕がダニヤルと知り合ったのは、この日の夜、バーに入ってからだった。

同じ街で暮らす、二つの言葉

ダニヤルは地元のカザフ人だった。彼と話しているうちに、カザフ語とロシア語の話になった。

「若い人は、どっちの言葉を使うの?」

「ロシア語を使う若者も多いよ。そっちの方がかっこいいって思うんだ」

その理由には驚いた。言葉を選ぶときに、便利さだけでなく、どう見えるかも関係してくる。彼からは、若い世代のカザフ語離れについても話を聞いた。

話は、街の人付き合いにも及んだ。

「カザフ系とロシア系では、コミュニティも結構分かれているんだ」

「地元の人なら、どちらか分かるものなの?」

「顔を見れば分かるよ」

そうダニヤルは言った。もちろん、一晩話しただけでアルマトイ全体が分かるわけではない。それでも、昼間に歩いていた道や店の中で、誰が誰と付き合い、どの言葉で話すのか。彼の話を聞いて、そこが気になった。

その後、彼の友人と合流し、車で夜景を見に連れて行ってもらった。

昼はロープウェーから一人で見下ろした街を、今度は二人と眺めている。さっきまで聞いていた言葉やコミュニティの話も、この街で暮らす彼らの話なのだと思いながら。

初日に撮影したアルマトイの夜景
初日に撮影したアルマトイの夜景

翌朝、街を離れてチャリン渓谷へ

翌日は早朝から日帰りツアーに参加した。チャリン渓谷とコルサイ湖、カインディ湖を巡る。

チャリン渓谷があるのは、アルマトイから東へ向かったアルマトイ州の内陸部。チャリン川が流れる谷に、長い時間をかけた侵食で複雑な岩の形が生まれた。街のそばで見えた緑の山とは違い、赤茶色の岩肌がむき出しになっている。

街を離れた車窓には草地が続き、馬の群れが見えた。遠くの山も木が少なく、斜面のひだがはっきり見える。

郊外へ向かう車窓
郊外へ向かう車窓
草地にいる馬の群れ
草地にいる馬の群れ

午前八時を過ぎ、渓谷に着いた。上からのぞくと、岩の間を歩く人が小さい。柱のように立つ岩や、上の部分だけが張り出した岩が、道の両側に連なっていた。

チャリン渓谷の岩壁
チャリン渓谷の岩壁

岩の間を歩いて、川に出る

谷に下りると、さっき見下ろしていた岩が頭の上に立ちはだかる。

赤茶色といっても一色ではなく、横に走る層の色が少しずつ違う。日が当たる面は明るく、張り出した岩の下は暗い。歩くにつれて、ひと続きに見えていた岩壁が離れ、奥の道が見えてきた。

チャリン渓谷の岩の間の道
チャリン渓谷の岩の間の道
チャリン渓谷の赤茶色の岩
チャリン渓谷の赤茶色の岩

大きさだけでなく、この形の細かさに圧倒された。遠くから見れば荒れた岩山なのに、中へ入ると、一つずつ違う形が途切れず続いている。

さらに進むと、川に出た。乾いた谷を歩いた先に、水が流れ、岸には緑がある。

チャリン川と岸辺の緑
チャリン川と岸辺の緑

この大きな谷を流れる川を見ていると、目の前の岩壁もずっとこの形だったわけではないことが分かる。削られ、崩れ、そのたびに少しずつ形を変えてきた。僕が歩いて見ているのは、その途中の姿なのだ。

自然がつくった造形に圧倒される、という感覚がよく残っている。上から眺めた写真だけで済ませず、川まで歩けてよかった。

草原の先にあった、緑のコルサイ湖

渓谷を離れても、車窓を撮る場面が続いた。

広い草地にユルトが立ち、馬がいる。集落に入ると、道のそばに牛や羊が見える。湖へ移動する途中にも、こうして暮らしの場所を通っていく。

草地のユルトと馬
草地のユルトと馬
集落の道と家畜
集落の道と家畜

昼食を挟んで着いたコルサイ湖は、午前中とはずいぶん違う色をしていた。

湖を囲む斜面は木々に覆われ、水は青にも緑にも見える。岸に近いところは明るく、山の影が落ちるあたりでは濃く沈む。細く背の高い木が斜面の上まで続き、木々の間からのぞく水面にもその色が映っていた。

森に囲まれたコルサイ湖
森に囲まれたコルサイ湖
コルサイ湖畔の景色
コルサイ湖畔の景色

朝は岩壁に挟まれた道を歩いていたのに、昼には森に囲まれた湖畔にいる。アルマトイから一日で巡る旅の中に、この両方があった。

木々の間から見えるコルサイ湖
木々の間から見えるコルサイ湖

四駆と馬の先に、水没した森があった

次のカインディ湖へは、四駆と馬も乗り継いだ。

馬の上から撮った写真には、前を行く馬と、石の転がる道が写っている。自分の馬の耳も画面の下に入っていた。車窓から眺めていた景色の中を、今度は馬に乗って進んでいく。

カインディ湖へ向かう馬上からの景色
カインディ湖へ向かう馬上からの景色

そして湖に出ると、水面から何本もの木がまっすぐ立っていた。

周囲の斜面には緑の森があるのに、水の中に立つ幹にはほとんど枝葉がない。白っぽい幹が手前にも奥にも重なり、その足元を青緑色の水が満たしている。

カインディ湖の水面から伸びる幹
カインディ湖の水面から伸びる幹
カインディ湖の青緑色の水
カインディ湖の青緑色の水

ただ幻想的だった。コルサイ湖のように岸辺を木が囲む景色とは違い、ここでは木の根元が見えないまま、幹だけが水から出ている。

この湖は、地滑りで谷がせき止められ、水がたまって森が沈んだことで生まれた。観光案内では1911年の地震によるものと説明されることが多い。ただ、後から調べると、沈んだ木の年輪を分析した研究では、1889年の地震との関連が示されていた。

目の前にあるのは、枯れた木を並べたような風景だが、かつては地面に根を張る森だった。岸の木々と水面の幹を見比べると、その違いがよく分かる。青緑色の水の美しさと、木が立ったまま沈んでいる不思議さが、同じところにあった。

カインディ湖と水没した木々
カインディ湖と水没した木々

夕暮れの谷から、アルマトイへ戻る

帰りの車窓では、空がオレンジ色に変わっていた。遠くの山の輪郭が暗くなり、草地に夕方の光が当たっている。

道中には、もう一度峡谷に立ち寄った。深い谷の底で川が曲がり、岩壁の下はもう影になっていた。朝のチャリン渓谷では岩の形や色を見ていたが、ここでは暗い谷と明るい空の差が目に入る。

帰路の車窓に広がる夕暮れ
帰路の車窓に広がる夕暮れ
夕暮れの峡谷と川
夕暮れの峡谷と川

アルマトイへ戻ったのは夜遅く。街を出てから、一日かけて峡谷と湖を巡っていた。

最終日、次の国へ行く前に

翌朝、ビシュケクへ向かうためサイラン・バスターミナルへ行くと、十時発の便には乗れなかった。

サイラン・バスターミナル
サイラン・バスターミナル

次まで二時間。昨日は次々に景色が変わっていたのに、今日はターミナルのキオスク兼カフェで待つことになった。

窓の外にはバスが見える。スープとマンティを食べ、天井に続く同じ模様を眺める。

サイラン・バスターミナルのカフェ店内
サイラン・バスターミナルのカフェ店内
ターミナルのカフェで食べたスープ
ターミナルのカフェで食べたスープ

これも旅の醍醐味だと思うことにした。でも、暇だった。

ようやく乗ったバスの窓には、平原が広がっていた。家畜が草を食み、ときどきユルトが見える。日陰は少なく、道は遠くまで続く。

ビシュケクへ向かうバスの車窓
ビシュケクへ向かうバスの車窓
車窓から見える草地とユルト
車窓から見える草地とユルト

昔、この土地を行き来した人々は、この景色の中をどれだけ進んだのだろう。歩いて旅をする大変さを想像しながら、僕は車窓を眺めていた。

次はキルギス。このバスで国境を越えていく。

今回の宿と朝食

宿名泊数総額
Voyage Hotel
PR · Booking.com
2泊93,330 KZT
約25,358円
店名特徴お会計
Benedictホテルから近いカフェ。朝食と紅茶。9,779 KZT
約2,657円

金額は2025年8月の旅行時の支払額。円換算は2025年8月初めの1 KZT=0.2717円で算出した参考値。

コメント

タイトルとURLをコピーしました