麓からは見えなかった街が山の峰と雲の間に広がっていた。マチュピチュの段々畑と石造りの建物を見渡すとこの場所を選び街を築いた人たちの想像力に感服した。周囲の山まで含めた景色は写真だけでは伝わらない。ここまで来て見られたことがうれしかった。

オリャンタイタンボ:谷の要衝から鉄道の旅へ
遺跡を訪ねる前日はクスコからバスに乗った。行き先はオリャンタイタンボ。窓の外には畑や山が続きときどき家々が見えた。クスコの路地を歩いていたときとは景色の広がり方が違う。

乗り換えたオリャンタイタンボもインカ時代の都市だ。クスコから森林地帯へ抜ける道の要衝にあり宮殿や祭祀施設、農地、倉庫などを組み合わせた計画都市だった。クスコの文化行政機関によると建設者については年代記の記述にも違いがある。それだけ長い歴史のある場所を今回の僕は列車への乗換地点として通った。
町にはインカ時代の街路や水路が残り今も人が暮らしている。スペインによる征服期にはマンコ・インカの抵抗の拠点にもなった。クスコで見た征服の歴史がこの谷にも続いていたのだ。今回は遺跡の内部を見学していないが駅へ向かう場所もインカの都市だったと知るとこの移動を一本の線だけでは捉えられなくなる。

オリャンタイタンボからはインカレールに乗り換える。利用したのはTHE VOYAGERのバスと鉄道を組み合わせたサービスだった。車内に入ると側面だけでなく頭上にも窓がある。

この車窓は最高に美しかった。山に挟まれた谷や川、その脇に見える畑。進むにつれて緑が深くなり山が近づいてくる。マチュピチュに着くための移動なのにその途中の景色だけでも十分に記憶に残っている。

集合場所や乗り換え、座席についてはインカレール乗車記にまとめている。ここでは窓の外を見ていた時間のことを書いておきたい。列車に乗って行くこと自体がこの旅の楽しみの一つになった。
マチュピチュ村:温泉街を思わせる山あいの町
マチュピチュ村に着くと建物のすぐ近くまで山が迫っていた。線路沿いには店が並んでいる。狭い範囲に宿や飲食店が集まる佇まいが僕には日本の温泉街を思わせた。




この街の発展には日本人も関わっていたという。調べると福島県大玉村出身の野内与吉がここでホテルを開き発電所の整備などに携わり村長も務めていた。在ペルー日本大使館や大玉村の資料に残る話だ。温泉街に似ていると感じたことと街の歴史がそのまま同じ理由というわけではない。それでもペルーの山の中で日本とのつながりを知るのは面白かった。
昼には食事を取り夜にも村を歩いた。線路のそばに灯りがつき店が開いている。翌朝にはこの村からさらに山を上っていく。

マチュピチュ:山の形と一体になった都市
予約した入場時間は朝7時だった。村から遺跡へはバスを利用した。朝の山にはまだ雲がかかっていて緑の斜面の間から光が差していた。


建物を近くから見ると石の壁だけでなく階段や段々畑が連なっている。離れて見た全景の中を今度は自分が歩いている。山の形に沿ってこれほどの空間を組み立てたことが見れば見るほど不思議だった。



マチュピチュは15世紀に造られたインカの都市遺跡で標高は約2,430メートル。クスコより低い場所にあるが深い谷と切り立った峰に囲まれるため景観の印象は大きく違う。アンデスの高地とアマゾン流域の森が接する場所にあり車窓で緑が深くなっていったこともこの地形につながっている。
およそ200の構造物があり居住の区域と農業の区域が分けられている。段々畑や階段、水路を含めて計画された都市だった。石造りの建物だけでなく斜面そのものを使い暮らせる空間を組み立てている。僕が驚いたのはその発想と技術だった。
どのような役割の都市だったのかには未解明の部分が残る。宗教儀礼や天文、農業との関わりが考えられているがすべてを一つの用途で説明することはできない。何も分かっていない場所というより細かな仕組みが見えてきても全体にはまだ問いが残る場所なのだと思う。
世界的に知られるきっかけはハイラム・ビンガムが訪れた1911年だった。ビンガムはアメリカの歴史学者でイェール大学でラテンアメリカ史を教えていた人物だ。インカ最後の拠点を探す探検隊を率いてペルーを訪れた。ただし彼が誰も知らない街を初めて発見したわけではない。遺跡を知る地元の人の案内があった。麓から姿が見えないことと長い間誰一人その存在を知らなかったことは別だ。
山に合わせて曲がる段々畑や並ぶ石壁を見ていると自然の景色と建物を切り離せない。街だけを平らな土地へ移したら同じ印象にはならないだろう。この地形を選びそこに街を成立させたことがマチュピチュの景観のすごさなのだと思った。





クスコでは石の加工の精密さに驚いた。ここではそれに加えて山の上に街を造るという発想そのものに驚かされた。麓にいるだけでは見えない場所にこれだけのものがある。実際に来てよかったと強く思った。
クスコ:谷をたどる帰路
見学を終えると村へ戻り再び鉄道に乗った。川と山の間を通り抜けてオリャンタイタンボへ。そこからバスでクスコへ戻った。行きに見た谷の景色が帰りにも続いていた。

次は飛行機でリマへ戻る。石造りの街と緑の山を見ていた旅は砂漠と地上絵へ続いていく。
マチュピチュ村:宿泊と食事の記録
| 宿名 | 泊数 | 宿泊総額 | 参考円 |
|---|---|---|---|
| Rockrivers Plaza MachuPicchu | 1泊 | US$53.91 | 約8,460円 |
| 店名 | おすすめ | お会計額 | 参考円 |
|---|---|---|---|
| Pueblo Viejo | ペルー料理 | S/103.00 | 約4,310円 |
| Cheff House | ペルー料理 | S/94.00 | 約3,930円 |
クスコからの鉄道と接続バスについてはインカレール乗車記へ。
参考円は旅行開始月末の2024年4月30日を共通基準にした。1ユーロ=168.27円、1米ドル=約157.00円、1ソル=約41.82円として計算し10円単位で四捨五入した。出典:フランス銀行・ペルー中央準備銀行。
ペルー:歴史と文化の参考資料
- UNESCO|Historic Sanctuary of Machu Picchu
- イェール大学|ビンガムと1911年の探検
- 在ペルー日本大使館|野内与吉とマチュピチュ村
- 大玉村|野内与吉について
- クスコ文化局|オリャンタイタンボ
- MINCETUR|オリャンタイタンボの町
ペルー:訪問地と移動の地図
写真の位置情報で確認した訪問地と移動手段。
訪問地を選ぶ
| 順序 | 区間 | 移動手段 |
|---|---|---|
| 1 | リマ → クスコ | 航空便 |
| 2 | クスコ市内・周辺 | 街歩き。市内車移動は領収書のある区間を別管理 |
| 3 | クスコ → オリャンタイタンボ | Inca Rail接続バス |
| 4 | オリャンタイタンボ → マチュピチュ村 | Inca Rail鉄道 |
| 5 | マチュピチュ村 ⇄ 遺跡 | Consetturバス |
| 6 | 村 → オリャンタイタンボ → クスコ | 鉄道+バス |
| 7 | クスコ → リマ | 航空便 |
| 8 | リマ → パルパ → ナスカ → ワカチナ → リマ | ツアー車両 |
| 9 | ナスカ周辺 | 小型機の遊覧飛行 |
| 10 | ワカチナ砂丘 | バギー |
移動の通過点と撮影地点を確認できても、全区間の連続した走行記録ではない。未確認の道路線は描いていない。航空便も実際の飛行軌跡を示すものではない。

インカレール乗車記はこちら

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