クスコ旅行記:インカの都に重なるスペイン統治の歴史

中南米

旅の時期:2024年4〜5月

石の輪郭がまっすぐではない。それなのに隣の石とぴたりと合っている。クスコで見たインカの石組みは遠くから眺めるより近くで見る方が不思議だった。どう加工すればここまで合わせられるのだろう。技術の高さに感服すると同時にこの街を築いた人たちのことをもっと知りたくなった。

クスコの路地に残る多角形の石組み
石の継ぎ目からインカの加工技術への興味が広がった。

クスコ:高地の谷に築かれたインカの都

ペルーに着いた最初の夜はリマで泊まり翌朝の便でクスコへ向かった。空港を出て街へ入ると斜面に家が重なっている。旧市街では細い道の先にも赤い屋根が続いていた。

空港からクスコ市内へ向かう道沿いの家並み
空港から旧市街へ向かう途中にも斜面に家が重なる。
クスコ空港の建物と青空
リマから飛行機で標高の高いクスコへ。

クスコは標高約3,400メートルにある。僕はここで人生初の高山病になった。重いものではなかったが標高の高さは街の紹介に出てくる数字だけでは済まなかった。

それにしてもなぜこんな高い場所に大きな街を築いたのだろう。現地では海に近い側には砂漠があり背後にはさらに高い山があるため人々がこの谷にたどり着いたという話を聞いた。ここが作物を育てるのに最適な場所だったという説明だ。標高だけを見ると厳しい場所に思えるが暮らしを支える土地として見ると印象が変わる。

実際にクスコは川の流れる肥沃な谷にある。インカが突然何もない場所に都を造ったわけではなくインカ以前から長い間人々が暮らしてきた。周囲の農地を含めて考えると都の発展を支えたのは石造建築の技術だけではなかったのだと思う。

15世紀にパチャクティが街を再編しクスコは宗教と政治の役割を備えた帝国の都へ発展した。周囲には農業や手工業の区域もあったという。街を歩いて見える石壁や広場は大きな帝国の生活と統治を支えた都市の一部だった。

16世紀にスペイン人が征服すると街の基本的な構成を残しながらインカの建物の上に教会や邸宅が建てられた。石壁と教会が近くにあるのは偶然ではない。インカの都が別の支配の拠点へ変えられていった過程が今の街並みに残っている。

僕にはクスコはまず美しい街として目に入った。赤い屋根や広場の教会に見入った後で足元の石壁に目を戻すとその美しさの中に征服と支配の歴史もある。都市としてのクスコを知るほど景色を見る視点が増えていった。

アルマス広場の教会と斜面に広がるクスコの屋根
教会の背後にも斜面に沿って住宅が続く。
アルマス広場を囲む街並み
インカの都の構成を受け継いだ旧市街の中心部。

コリカンチャ:太陽の神殿に重なる征服の歴史

アルマス広場からコリカンチャへ歩いた。広場の教会や回廊のある建物を見ているとクスコの街並みにはインカだけでは説明できない部分がある。スペインによる征服の後も街の基本的な構成や石の基礎が残りその上に教会や邸宅が建てられた。

アルマス広場の石畳と教会
スペイン統治期の建築もクスコの街並みを形づくっている。

コリカンチャは太陽神インティをまつったインカの重要な宗教施設だ。ケチュア語の「金」を意味するquriと「囲まれた場所」を意味するkanchaにつながる名で植民地期の記録には金の板で飾られた神殿の姿が残されている。今の石壁からは想像しにくいがかつては信仰と富が集まる場所だった。

正確な創建年には不明な部分があるものの15世紀のパチャクティによるクスコ再編の中で大きく整えられたとされる。太陽だけでなく月や星、雷などに関わる祭祀の空間もあった。太陽の神殿という一言の奥に空や自然をどう捉えていたのかというインカの世界観がある。

スペイン統治期にはその上にサント・ドミンゴの教会と修道院が建てられた。中庭の回廊とインカの石造部分が同じ建物の中にある。信仰の中心を別の宗教の建物で覆うという変化がここでは建築として残っている。

僕が感服した石の加工技術はここでも目を引く。金の装飾が失われても壁そのものの精密さは残った。路地で石の継ぎ目を見ていたときの驚きに加えてこの技術が帝国の信仰を支える建物に使われていたことが印象に残る。

コリカンチャの回廊と中庭
インカの神殿と修道院の歴史が重なる場所。
コリカンチャの回廊のアーチ
回廊の内側からも中庭へ視線が抜ける。
コリカンチャの出入口から見た街
宗教施設の外には今のクスコの暮らしが続く。
コリカンチャとサント・ドミンゴの建物を外から眺める
太陽の神殿の上にサント・ドミンゴが建てられた。

サクサイワマン:巨石から考える帝国の力

街の中で石の継ぎ目を見ていた翌日はサクサイワマンへ向かった。クスコの北側の丘にある遺跡で巨大な石を組んだ壁が折れ曲がりながら続いている。街中では加工の細かさに目が向いたがここでは石の大きさにも驚かされた。

サクサイワマンは「要塞」と呼ばれることが多いが太陽をまつる場所でもあった。インカ時代のクスコにはハナン・クスコ(上クスコ)とウリン・クスコ(下クスコ)という二つの区分があった。地形だけでなく人々の所属や儀礼にも関わる区分だ。サクサイワマンはこのうちハナン・クスコの「太陽の家」と位置づけられている。一方でコリカンチャはウリン・クスコ側の重要な宗教施設だった。二つの太陽の神殿はクスコの都市構成とも結びついていた。

巨大な壁だけを見ていると防御のための建物に思えるが祭祀や水路、道とも結びついていた。クスコの都市を二つに分ける考え方と信仰の両方がこの丘にも関わっていたのだ。

大規模な建設はパチャクティの治世に始まったとされる。在位は一般に1438〜1471年頃とされるため15世紀の工事ということになる。その工事が後の支配者たちへ引き継がれた。正確な着工年までは分かっていない。一方で2024年に公表された発掘調査では一部区域にインカ以前のキルケ文化の利用も確認された。巨石建築が立つ前からこの丘には人々の活動があった。

植民地期には石の一部がクスコの教会や邸宅に再利用されたという。今見えている姿が当時の全体ではないと知ると残った壁の規模がいっそう気になる。これだけの石を運び一つずつ形を合わせていく。その仕事を続ける人手や組織まで考えると石の技術の高さが帝国の大きさにもつながって見えた。

サクサイワマンで角を組む巨大な石
大きさが違っても隣り合う石が精密に組まれている。
サクサイワマン周辺の斜面と遺構
サクサイワマンは旧市街の北側の丘にある。
広場から見たサクサイワマンの石壁
巨石の壁は広い敷地の一部として残っている。

周りには草地が広がり街の中とは違って空が大きく見える。サン・クリストバル周辺まで下るとクスコの赤い屋根が見渡せた。教会の塔と家々が斜面に沿って続く。石組みを見た後でもこの街ではつい街並みそのものに目が向いた。

草地と遺構の向こうに広がるアンデスの空
石壁のそばを離れると草地と山まで見渡せる。
遺構の近くの草地で草を食む動物
大きな遺構の周囲にも草を食む動物の姿があった。
サン・クリストバル付近から見下ろすクスコの赤い屋根
都を囲む谷の形が街の広がりからも伝わる。
サン・クリストバル周辺の十字架と街の眺め
見晴らしのよい場所から旧市街を見渡した。

クスコ:市場から夜の広場へ

昼間の市場を歩き夕方にはまた広場へ戻った。街歩きの合間に食べたペルー料理もおいしかった。店や料理の詳しい話はクスコで訪ねたレストランとバーの記事にまとめている。

クスコの市場の外で行き交う人々
遺跡巡りの途中に市場にも立ち寄った。
屋根の間を下るクスコの路地
広場から離れると細い道にも街の表情がある。

空の明るい時間と灯りがついた後では同じ場所でもずいぶん違って見えた。夜にも広場へ足を運びたくなる街だった。

夜の灯りがともるクスコのアルマス広場
昼間とは違う広場の景色も記憶に残った。
夜のクスコの石壁に挟まれた路地
石壁の間に店や街の灯りが続いている。

ケチュア語:帝国の時代を越えて続く言葉

クスコのバーではケチュア語の話も聞いた。街にこれだけインカの痕跡が残っていても言葉が次の世代へ伝わるかどうかは別の話なのだと思った。残る建物を見ているときとは違う寂しさがあった。

ケチュア語は一つの均一な言葉というより地域によって異なる言語変種を含む語族だ。インカ帝国より前から広がり帝国の時代には異なる言葉を話す人々を結ぶ共通語として使われた。インカだけのために生まれた言葉ではなかった。

スペイン統治期にも布教のために使われさらに定着した地域がある。征服された側の言葉が征服した側の宗教を伝えるためにも使われたという歴史はクスコの建物の重なりとはまた違う形で印象に残る。

ペルーの2017年国勢調査では約380万人が幼少期にケチュア語を身につけている。一方で地域の変種によっては継承が危ぶまれている。話す人が大勢いることとどの地域でも次の世代へ伝わることは同じではない。

石壁は目に見える形で残っているが言葉は使う人がいて初めて続いていく。バーで聞いた話に寂しさを覚えたのはその違いもあったのだと思う。クスコの歴史は遺跡の中だけにあるものではなく今の人たちの会話にもつながっていた。

次はクスコを離れてマチュピチュ村へ向かう。バスと鉄道を乗り継いでいく道中にも街の中とは違う景色が待っていた。

クスコ:宿泊の記録

宿名泊数宿泊総額参考円
El Mariscal Cusco3泊S/356.04 + US$44.51約21,880円

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マチュピチュ訪問前後の宿泊をまとめた計3泊。支払通貨は前半2泊がソル、後半1泊が米ドルだった。

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参考円は旅行開始月末の2024年4月30日を共通基準にした。1ユーロ=168.27円、1米ドル=約157.00円、1ソル=約41.82円として計算し10円単位で四捨五入した。出典:フランス銀行・ペルー中央準備銀行。

ペルー:歴史と文化の参考資料

続き:インカレールでマチュピチュへ →

ペルー:訪問地と移動の地図

写真の位置情報で確認した訪問地と移動手段。

北 ↑ 訪問地域の位置関係概略位置図。道路・鉄道の実際の線形は表していない。リマクスコマチュピチュ遺跡ナスカ飛行場ワカチナ周辺

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順序区間移動手段
1リマ → クスコ航空便
2クスコ市内・周辺街歩き。市内車移動は領収書のある区間を別管理
3クスコ → オリャンタイタンボInca Rail接続バス
4オリャンタイタンボ → マチュピチュ村Inca Rail鉄道
5マチュピチュ村 ⇄ 遺跡Consetturバス
6村 → オリャンタイタンボ → クスコ鉄道+バス
7クスコ → リマ航空便
8リマ → パルパ → ナスカ → ワカチナ → リマツアー車両
9ナスカ周辺小型機の遊覧飛行
10ワカチナ砂丘バギー

移動の通過点と撮影地点を確認できても、全区間の連続した走行記録ではない。未確認の道路線は描いていない。航空便も実際の飛行軌跡を示すものではない。

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