リマの空港から市内へ向かうタクシーでドライバーに携帯を隠すように言われた。窓を割って取られることがあるという。近くには警察もいたがドライバーは警察も賄賂でつながっているという話をした。その真偽は僕には分からない。それでもクスコを歩いていたときとは違う緊張感があった。
リマ:車内の緊張と旧市街の夜
マチュピチュからクスコへ戻った翌日は飛行機でリマへ移動した。空港から宿へ向かう車内であの注意を受けた。僕が体験した一度の移動だけで街全体の治安を比べることはできないがクスコとリマの違いとして強く記憶に残った場面だった。
宿に着いた後は旧市街へ出た。ライトアップされた建物が通りに並び人も歩いている。車内で感じた緊張がある一方で目の前には夜の街の明るさもあった。

食事を取ったのはRestaurant Huascaran。クスコに続いてリマでもペルー料理を食べた。観光地ごとの違いを見てきた旅だが食事のおいしさもずっと楽しみになっていた。

翌日は早朝出発のツアーに参加する。旧市街で過ごす夜の次に待っていたのは長い車での移動だった。

パルパ:砂漠の一本道を南へ進む
夜明け前にホテルを出て送迎車を乗り継いだ。目指すのはナスカ。リマを離れて南へ進むと車窓に乾いた土地が広がりまっすぐな道が遠くまで続いていた。前日までいたマチュピチュの緑とはずいぶん違う。

途中には畑や町もある。乾いた山肌と緑のある場所を眺めてパルパで食事を取った。街歩きから列車、飛行機、そして砂漠の道。移動するたびに見える景色が変わっていく。





ナスカ:砂漠に残された線と消えない疑問
ナスカでは小型機に乗って地上絵を見た。地面に描かれたものを空から探す。その体験自体が不思議だった。機体が進む下には乾いた大地が広がりその中に線や形が見えてくる。
本当に不思議な光景だった。なぜこの場所に描いたのか。なぜこれだけ大きくしたのか。何のために形を残したのか。見つけるたびに答えより疑問が増えていった。






ナスカやパルパの地上絵はインカ帝国よりずっと前の文化が残したものだ。世界遺産の資料では主な制作期を紀元前500年から紀元後500年頃としパラカスやナスカの文化と関係づけている。クスコやマチュピチュを築いたインカと同じ人々の仕事として一括りにはできない。
絵は地面を深く掘ったものではない。表面の暗い石や礫を取り除き下の明るい地面を見せることで線を描いている。動物のような形だけでなく長い直線や渦巻き、幾何学的な図形もある。空から見ると線が浮かび上がるがその一つ一つは地面の上で作業して生まれたものだ。
何のために描いたのかには複数の見方がある。儀礼や天文との関係が考えられ近年の山形大学の研究では地上絵の種類によって道や儀礼の場との関係が異なることも示されている。すべての地上絵に同じ目的があったと考えるより形や置かれた場所の違いを見ていく必要がある。
僕は空から見たが当時の人々は地面を歩きながら線を引きその周囲を行き来していた。どう全体の形を捉え誰に何を伝えようとしていたのだろう。描く方法の説明を知ってもその光景への不思議さは残る。むしろ人の手で作られたものだと考えるほど知りたいことが増えた。
ナスカツアー:カナダの淑女たちとの出会い
このツアーではカナダ人の淑女二人と仲良くなった。二人は大学時代からの友人で40年以上経った今も毎年こうして一緒に旅行しているという。そのうち一人は日系人だった。
彼女の祖先は和歌山県の出身で数年前には自分のルーツをたどって和歌山へ行ったという。その旅の話や日本からカナダへ渡った人たちの話を聞かせてもらった。ペルーで会った人から和歌山の話を聞くことになるとは思わなかった。
彼女から聞いた移住の話は19世紀から続く日系人の歴史につながっていた。1877年には永野万蔵がブリティッシュ・コロンビアへ渡りその後の移住で西海岸などに日系の人々の暮らしが築かれていった。
第二次世界大戦中の1942年には日系人が太平洋岸から強制的に移動させられ財産も失った。戦争が終わってすぐに元の生活へ戻れたわけでもない。カナダ政府と日系カナダ人の救済合意が結ばれたのは1988年だった。日本から海を渡った人たちの歴史には移住先で生活を築く営みだけでなく差別や排除との闘いもある。
自分のルーツを訪ねた彼女の話を聞きながら国をまたいで続く家族の歴史のことを考えた。ペルーを旅していたはずがカナダと日本のつながりまで知る機会になった。
二人が大学時代から付き合いを続け毎年一緒に旅をしていることも印象に残った。行き先や見どころだけでなくこうして誰かと話したことも旅の記憶になる。
ワカチナ:オアシスを囲む砂丘と夕暮れ
遊覧飛行の後はワカチナへ向かった。オアシスの周囲に建物が集まりその先に砂丘が続いている。ここではバギーとサンドボードの体験に参加した。詳しい行程や別料金はナスカとワカチナの日帰りツアー体験記にまとめている。
ワカチナはイカ近郊の砂漠にあるオアシスだ。湖の周りに木々と建物が集まりその外を大きな砂丘が囲む。乾いた土地の途中に水と緑のある場所がまとまって現れる。砂丘の上から町を見るとその小ささと周囲の砂の広がりがよく分かった。
20世紀には保養地として発展し湖畔に宿や遊歩道が整えられた。今のバギーやサンドボードの印象とは違う時間がこの湖の周りにはある。人が訪れる場所としての歴史も砂丘の景色と一緒に続いてきた。
湖には恋人を失った女性の涙から生まれたという伝説がある。湖と周辺の砂漠は保護地域になっており鳥や植物の生息地でもある。砂ばかりに見える景色の中に水を中心とする別の環境がある。

夕方になると砂丘に長い影ができた。ナスカでは地面の線を探していたがここでは砂の起伏そのものが目に入る。日が沈んだ後も砂丘が幾重にも続いて見えた。


砂丘から町へ戻り再び車でリマへ向かった。クスコの石組みから山の上のマチュピチュ、砂漠の地上絵まで来た旅だった。それぞれの場所で造った人や暮らしてきた人のことを考えた。分かったこともあるけれどなぜだろうと思ったことも多い。その疑問ごとペルーの景色を覚えている。

リマ:宿泊の記録
| 宿名 | 泊数 | 宿泊総額 | 参考円 |
|---|---|---|---|
| Hotel Paris Lima | 1泊 | S/139.30 | 約5,830円 |
| Hotel Diamond Lima | 2泊 | US$95.76 | 約15,030円 |
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Booking.comHotel Paris Lima空室・料金を見る →Hotel Parisはペルー到着時に1泊、Hotel Diamondはクスコから戻って2泊した。
リマ・パルパ・ワカチナ:レストランの記録
| 店名 | 特徴 | お会計額 | 参考円 |
|---|---|---|---|
| Restaurant Huascaran | リマ旧市街の夕食 | S/30.00 | 約1,250円 |
| Bruces Bar | パルパでオムレツの朝食 | S/15.00 | 約630円 |
| Restaurante Huacachina | ワカチナでの会計。注文詳細は未確認 | S/38.00 | 約1,590円 |
ナスカ・ワカチナ:ツアーの記録
| 事業者・参加内容 | 支払総額 | 参考円 |
|---|---|---|
| Inca Trilogy Tours/Viator予約 リマ発・ナスカ遊覧飛行とワカチナのバギー・サンドボード | €341.93 | 約57,540円 |
送迎とガイド、遊覧飛行、バギー、サンドボードが含まれた。食事とチップ、ナスカの空港税S/30と出発税S/47は別料金だった。ツアー代とは別に必要になった金額として分けておく。
| 別料金 | 当時の金額 | 参考円 |
|---|---|---|
| ナスカ 空港税 | S/30.00 | 約1,250円 |
| ナスカ 出発税 | S/47.00 | 約1,970円 |
参考円は旅行開始月末の2024年4月30日を共通基準にした。1ユーロ=168.27円、1米ドル=約157.00円、1ソル=約41.82円として計算し10円単位で四捨五入した。出典:フランス銀行・ペルー中央準備銀行。
ペルー:歴史と文化の参考資料
- UNESCO|Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa
- 山形大学|ナスカの地上絵研究
- カナダ公文書館|Japanese Canadians
- カナダ政府|移民史と日系人の強制移動
- カナダ政府|救済合意の年表
- PROMPERÚ|ワカチナの湖
- PROMPERÚ|ワカチナの保養地としての歴史
ペルー:訪問地と移動の地図
写真の位置情報で確認した訪問地と移動手段。
訪問地を選ぶ
| 順序 | 区間 | 移動手段 |
|---|---|---|
| 1 | リマ → クスコ | 航空便 |
| 2 | クスコ市内・周辺 | 街歩き。市内車移動は領収書のある区間を別管理 |
| 3 | クスコ → オリャンタイタンボ | Inca Rail接続バス |
| 4 | オリャンタイタンボ → マチュピチュ村 | Inca Rail鉄道 |
| 5 | マチュピチュ村 ⇄ 遺跡 | Consetturバス |
| 6 | 村 → オリャンタイタンボ → クスコ | 鉄道+バス |
| 7 | クスコ → リマ | 航空便 |
| 8 | リマ → パルパ → ナスカ → ワカチナ → リマ | ツアー車両 |
| 9 | ナスカ周辺 | 小型機の遊覧飛行 |
| 10 | ワカチナ砂丘 | バギー |
移動の通過点と撮影地点を確認できても、全区間の連続した走行記録ではない。未確認の道路線は描いていない。航空便も実際の飛行軌跡を示すものではない。


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