フィンランド旅行記・ヘルシンキ 編|サウナの作法を習い、海の要塞を歩く

コティハルユの赤いSAUNA看板。ヘルシンキ旅行記 ヨーロッパ

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サウナを出る前に、「何回?」と聞く。
コティハルユで習った作法から、冷たい海、二つの教会、海の要塞へ。サウナを目的に来たヘルシンキで、地元の人と同じことをしてみる旅になった。

この旅で訪ねた場所

サウナ、街歩き、飲食店、ホテルを切り替えて見られる。各地点からGoogle マップも開ける。

「何回?」から始まったサウナの旅

サウナを出る前に、「何回?」と聞く。

ヘルシンキへ来た目的は、サウナだった。コティハルユ・サウナで地元の人に教わったのは、退出するときの小さな作法だ。一番上、一番奥に座っている人に、何回か聞く。そして、返ってきた数だけ石に水を注ぐ。自分が出ていくときも、残る人の熱を考える。その順番が印象に残った。

フィンランド語でロウリュと呼ぶのは、熱した石に水をかけたときに生まれる蒸気だ。日本でも耳にする言葉だけれど、ここでは水をかける動作と、同じ室内にいる人への気遣いがつながっていた。施設の案内にも、最も高い席の人がロウリュの量を決めることが書かれている。僕が習った「出る前に聞く」は、このサウナで出会った人から教わったやり方として覚えておきたい。

赤い「SAUNA」の看板を掲げるコティハルユは、1928年から続く薪の公衆サウナだ。街のサウナが必要とされた背景には、家に浴室や温水設備が十分になかった時代の暮らしがある。身体を洗い、近所の人と顔を合わせる。街に住む人の日常を引き受ける場所だった。戦後、住宅に浴室やサウナが普及すると公衆サウナは減り、その後、新しい形の公共サウナが再び生まれていった。

サウナは、もともと家族の暮らしにも深く入り込んでいる。身体を洗う場所であり、かつては出産や死者を清める営みにも使われた。そうした生活の中で、入り方や人との距離の取り方が伝わってきた。2020年には、フィンランドのサウナ文化がユネスコの無形文化遺産に登録されている。

大きな歴史を知る入口が、「何回?」という短い問いだったのがよかった。知識として理解するだけでは分からないことを、その場で同じことをしながら習えた。サウナ目当ての旅が、地元の人の暮らしに近づく旅になった。

サウナのあとは、近くのレストラン、Cellaへ。肉団子とビールを囲む食卓まで、同じ街区の夜につながっていた。コティハルユを地図で見る

街角に灯るコティハルユ・サウナの赤い看板
街角に灯るコティハルユ・サウナの赤い看板。
サウナのあとに立ち寄ったRavintola Cella
サウナのあとに立ち寄ったRavintola Cella。
Cellaで食べた肉団子の皿
Cellaで食べた肉団子の皿。

朝の市場から、海辺のロウリュへ

翌朝は、元老院広場から港の方へ歩いた。大聖堂の白い輪郭を見てから、オールド・マーケットホールへ。外から見る建物と、中に並ぶ店とでは、街との距離が変わる。観光で眺めていた港に、朝食を取る場所ができた。

Scandinavia Cafeで、魚とじゃがいもの入ったスープとシナモンロールを頼んだ。フィンランドのサーモンスープ、ロヒケイットを扱う店だ。シナモンロールは、フィンランド語でコルヴァプースティ。このあとも、街のパン屋で同じ名前に出会う。

港から海沿いへ進むと、木の面が折り重なるロウリュの建物が現れる。住宅の並ぶ街角に溶け込んだコティハルユとは、姿も立地も違う。海に開いたデッキと、水面へ下りる階段。サウナを都市の公共空間に置き直したような建築だ。ここにも入った。

ロウリュには薪のサウナとスモークサウナがあり、海へ出られる。施設の名前が、サウナで共有する蒸気そのものなのも面白い。古い街のサウナと、海辺の新しい建築を続けて訪れると、ひとつの文化が同じ形だけで残っているわけではないと分かる。

この旅では、サウナから海にも入った。真冬ではなかったが、海水は、すぐに身体の芯まで冷えるくらい冷たかった。それでもよかったのは、地元の人と同じ気持ちで、同じことをしていると感じられたからだ。冷たさそのものより、その時間を共有できたことが残っている。

名所の外から写真を撮るだけでは得られない近さが、サウナにはある。上の席の人に蒸気の量を聞くことも、冷たい海に入ることも、その土地の人がしていることを、自分の身体でやってみる経験だった。ロウリュを地図で見る

朝の元老院広場とヘルシンキ大聖堂
朝の元老院広場とヘルシンキ大聖堂。
港に面したオールド・マーケットホール
港に面したオールド・マーケットホール。
Scandinavia Cafeの魚とじゃがいもの入ったスープ
Scandinavia Cafeの魚とじゃがいもの入ったスープ。
市場のカフェで頼んだシナモンロール
市場のカフェで頼んだシナモンロール。
海辺に広がるロウリュの木造建築
海辺に広がるロウリュの木造建築。
ロウリュから海へ下りる階段
ロウリュから海へ下りる階段。

街を歩く途中に、パン屋がある

サウナのあとは、街の方へ戻った。映画で知られる「かもめ食堂」の店先や、パン屋のカウンターを写真に収めながら歩く。サウナを目的に来たけれど、店の窓や通りの建物も、その間をつなぐ旅の一部になる。

僕が訪ねたこの場所の「かもめ食堂」は、その後、2025年9月20日に閉店した。現在、Ravintola Kamomeはパシラ地区へ移転している。ここに載せた写真は、移転前の店を訪ねたときのものだ。

Kanniston Leipomoでは、もう一度シナモンロールを選び、ラズベリーのデニッシュと紅茶も頼んだ。カウンターにパンが並び、テーブルには二つの菓子パンとカップがある。こういう写真を見ると、名所を訪ねたことだけでなく、途中で腰を下ろした時間も思い出せる。

同じシナモンロールでも、市場の朝食と、街のパン屋では出会う場所が違う。ひとつの食べ物を手がかりに、街の日常が少しずつつながっていく。パン屋を地図で見る

街歩きの途中に訪ねた「かもめ食堂」の店先
街歩きの途中に訪ねた「かもめ食堂」の店先。
Kanniston Leipomoのパンが並ぶカウンター
Kanniston Leipomoのパンが並ぶカウンター。
パン屋で選んだコルヴァプースティ
パン屋で選んだコルヴァプースティ。
ラズベリーのデニッシュ
ラズベリーのデニッシュ。

白い大聖堂と赤い聖堂、その間にある歴史

ヘルシンキには、白い大聖堂と、赤れんがのウスペンスキー大聖堂がある。近い距離に立つ二つの教会を見比べると、この街がどこから来たのかを知りたくなる。歴史に興味を持って来た僕にとって、ロシアと向き合ってきたフィンランドの歩みは、特に気になるところだった。

フィンランドは、長くスウェーデン王国の一部だった。1809年、スウェーデンからロシアへ移り、ロシア帝国のもとで自治を持つ大公国になる。ヘルシンキが首都になったのは1812年。それまでのトゥルクから首都が移され、街の中心も整えられていった。

元老院広場を囲む新古典主義の建物群は、その時代の首都づくりを今に伝える。建築家カール・ルードヴィヒ・エンゲルは、サンクトペテルブルクでも仕事をした人だ。ただ、ロシア統治の時代に整えられた街だからといって、白いヘルシンキ大聖堂が正教会というわけではない。こちらはルター派の教会。統治した国と、街に受け継がれた信仰や文化は、単純には重ならない。

広場にはロシア皇帝アレクサンドル2世の像もある。1899年、自治を脅かすロシア化政策への抗議で、その像に花が供えられた。改革の時代を象徴する皇帝の像が、後の皇帝の政策に抗う場所になったという。ロシアとの関係を、支配した側とされた側の一言だけで片づけられない歴史だ。

一方、1868年に完成したウスペンスキー大聖堂は、正教会の聖堂だ。赤れんがと金色のドームには、白い大聖堂とは違う存在感がある。建設には、クリミア戦争で破壊されたオーランド諸島のボマルスンド要塞のれんがも使われたという。建物の材料をたどるだけで、バルト海の島と、帝国の戦争がヘルシンキにつながる。

僕には、この二つの教会が、東西の間で積み重なった街の歴史を見せてくれるように思えた。外観の違いを楽しんでいたところから、同じ街に立っている理由へと関心が移る。その背景を知ると、ヘルシンキの街並みは、北欧らしいというひとまとめの印象より、ずっと具体的になる。ウスペンスキー大聖堂を地図で見る

元老院広場に立つ白いヘルシンキ大聖堂
元老院広場に立つ白いヘルシンキ大聖堂。
ヘルシンキ大聖堂の祭壇
ヘルシンキ大聖堂の祭壇。
赤れんがと金色のドームが目を引くウスペンスキー大聖堂
赤れんがと金色のドームが目を引くウスペンスキー大聖堂。
ウスペンスキー大聖堂の内部
ウスペンスキー大聖堂の内部。

海の要塞で、スウェーデンとロシアを考える

海の向こうのスオメンリンナにも足を延ばした。島の入口を通り、教会や石造りの壁、橋、トンネルをたどって歩く。街の中心で見ていた大聖堂とは違い、ここでは海を守るための建物が景色をつくっている。

要塞の建設が始まったのは1748年。当時、フィンランドはスウェーデンの一部で、ロシアに対抗する海軍の拠点が必要とされていた。スウェーデン語ではスヴェアボリと呼ばれる。ヘルシンキの沖に、スウェーデン王国の防衛を担う要塞が置かれていたわけだ。

それが1808年にロシア軍へ降伏し、翌年にはフィンランド自体がロシア帝国のもとへ移る。ロシア時代には、今度は帝国の防衛拠点として使われた。1917年にフィンランドが独立し、翌年、要塞はフィンランドの管理に移る。スオメンリンナ、「フィンランドの城」という名前も、そのときのものだ。

石の壁はその場にあり続けても、守る国と、向き合う相手は変わる。スウェーデン、ロシア、フィンランドという三つの時代を重ねて見ると、要塞がある理由が違って見えてくる。海に囲まれたきれいな島というだけでなく、国の境目が動くたびに役割を変えてきた場所だった。

僕が面白いと感じたのは、ロシアとの歴史をたどると、同時にスウェーデンとの関係も見えてくることだ。東の隣国との関係だけでフィンランドを理解することはできない。西との長い結びつきも、この要塞には残っている。スオメンリンナを地図で見る

スオメンリンナの入口を示す看板
スオメンリンナの入口を示す看板。
島に立つスオメンリンナ教会
島に立つスオメンリンナ教会。
要塞の島をつなぐ橋
要塞の島をつなぐ橋。
石造りの壁に開くトンネル
石造りの壁に開くトンネル。
要塞の石壁の間を通る道
要塞の石壁の間を通る道。
淡いピンク色の門を抜けて歩く
淡いピンク色の門を抜けて歩く。

北欧のつながりは、昔の話だけではない

スウェーデンとのつながりは、昔の要塞だけに残っているわけではない。フィンランドでは、フィンランド語とスウェーデン語が国語になっている。国境が変わっても、言葉や暮らしのつながりは、その線だけで切れるものではないのだと思う。

フィンランドは、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランドと北欧の協力にも参加している。北欧理事会に加わったのは1955年。背景には、ソ連との関係に配慮してきた戦後の立場と、国際情勢の変化があった。1962年には、北欧協力の基礎となるヘルシンキ条約が結ばれている。街の名前が、国どうしを近づける枠組みにもなっているのが面白い。

北欧の国々が働く場所や行き来の仕組みを整えてきた歴史は、フィンランドが1995年にEUへ加盟する以前から続いている。今の国境や組織だけを地図で眺めても、こうした結びつきの重なりは見えにくい。

東の隣国との関係にも、時代によって異なる重さがある。帝政ロシアの統治、独立後のソ連との冬戦争や継続戦争、冷戦期の慎重な外交。それらをひとつの「ロシアとの歴史」にまとめると、かえって分からなくなる。2022年のロシアによるウクライナへの全面侵攻を受け、安全保障の選択も変わった。フィンランドは2023年、スウェーデンは2024年にNATOへ加盟している。僕が訪れた時点で、両国はすでに同じ枠組みに入っていた。

スオメンリンナが示す古い防衛の歴史と、今の北欧の関係を並べると、海や国境の意味が動き続けていることを感じる。サウナの旅で来た街に、こんな関心も持って歩けた。街並みと要塞が、歴史を遠い話にしないでくれた。

港へ戻って見たヘルシンキの街並み
港へ戻って見たヘルシンキの街並み。
通りの先に見える大聖堂
通りの先に見える大聖堂。

広場の灯りと、港の食卓

街へ戻ると、元老院広場にはクリスマスマーケットの灯りがともっていた。大聖堂の階段から見ると、昼間は建物の輪郭が目立っていた広場に、小さな店の屋根と人の流れが広がっている。歴史を調べながら見ていた場所が、今ここにいる人たちのための広場になる。

港のFinlandia Caviarでは、牡蠣とキャビアのパスタを食べた。朝は市場のスープ、途中はパン屋、夜は港の食卓。サウナと街歩きの間に取った食事が、一日の場所の記憶をつないでくれる。

広場の灯りを見ながら、二つの教会と海の要塞を歩いたことを振り返る。街の成り立ちを知りたいという関心と、そこで暮らす人と同じことをしてみたいという気持ちが、今回は一緒にあった。Finlandia Caviarを地図で見る

元老院広場のクリスマスマーケット
元老院広場のクリスマスマーケット。
大聖堂の階段から眺める夜の広場
大聖堂の階段から眺める夜の広場。
Finlandia Caviarで食べた牡蠣
Finlandia Caviarで食べた牡蠣。
キャビアを盛ったパスタ
キャビアを盛ったパスタ。

最後の朝も、サウナへ

最後の朝は、クルトゥーリサウナへ行った。白い建物と、赤い「SAUNA」の文字のある煙突。ここにも入った。海沿いのサウナでも、ロウリュとは建物の姿が違う。

2013年に開かれたクルトゥーリサウナは、施設の案内で「saunarauha」、サウナの平穏を大切にしている。サウナをどんな場所として保つかにも、それぞれの考え方がある。街の暮らしを受け継ぐコティハルユ、海に開いたロウリュ、平穏を大切にするクルトゥーリサウナ。同じサウナ文化に、違う入口があった。

この旅で残ったのは、地元の人に「何回?」と教わり、冷たい海で同じことをしてみたことだった。歴史を知ると街を見る目が変わり、同じことをしてみると、その街にいる人との距離が変わる。

サウナが目的で来たヘルシンキで、僕はその両方を経験できた。次にサウナを出るときも、残る人のことを考えて水を注ぐ。その小さな作法を、持ち帰れるのがうれしい。クルトゥーリサウナを地図で見る

最後の朝に訪れたクルトゥーリサウナ
最後の朝に訪れたクルトゥーリサウナ。
白い建物の煙突に掲げられた赤い「SAUNA」
白い建物の煙突に掲げられた赤い「SAUNA」。

おすすめの飲食店・宿泊先と会計情報

以下は旅行当時の金額で、現在の料金ではない。円額は2024年11月末の最終営業日、11月29日のECB参考レート(1ユーロ=158.64円)で換算し、10円単位に四捨五入した参考値。実際のカード請求額とは異なる。

飲食店おすすめポイントお会計金額
Scandinavia Cafe港のマーケットホールで朝食を取れる。魚のスープとシナモンロールを、街歩きの始まりに。€18.50/約2,930円
Kanniston Leipomo街歩きの途中に菓子パンと紅茶でひと休み。シナモンロールやラズベリーのデニッシュを選べる。€10.60/約1,680円
Finlandia Caviar港で牡蠣やキャビアのパスタを楽しめる。市場の朝食とは違う、魚介を中心にした夕食に。€54.00/約8,570円
Ravintola Cellaコティハルユ・サウナの近くで食事を取れる。肉団子やトナカイ料理など、フィンランドの料理をサウナ帰りに。€61.60/約9,770円

ラディソン Blu プラザ ホテル ヘルシンキ

今回の拠点は、中央駅近くのラディソン Blu プラザ ホテル。所在地はMikonkatu 23。街の中心からサウナや港へ出かける旅で利用した。

宿泊先泊数・部屋予約総額/参考円額
Radisson Blu Plaza Hotel, Helsinki2泊/スタンダードルーム/食事なし€319.01/約50,610円

参考資料

サウナ文化、街と要塞の歴史、北欧協力の背景は以下の一次資料を参照した。施設の現在の案内と、旅行当時の体験・会計は分けて記述している。

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