ウィーン:美術と食を楽しむ旅の始まり
ウィーンは美術館と老舗の食卓を行き来しながら楽しめる街だった。宮殿でクリムトの『接吻』を見て、カフェで菓子を前に過ごす。今回は芸術とグルメを通してこの街の魅力を知りたかった。
前にウィーンを訪れたのは学生の頃だった。年明けの早朝に着き、その夜の寝台列車で街を離れるまでの滞在。限られた時間で街を歩く忙しない旅だった。
今回はグルメと芸術を楽しみたい。もう一度同じ街へ来るのだから、前とは違う過ごし方をしてみたかった。美術館へ入り、食事やお茶のために席に着く。そんな時間を通して、前回の街歩きでは見られなかったウィーンの良さを知ることになった。
スロバキアから列車でウィーンへ入った。中央駅に着き街へ向かう。前の街から鉄道で移ってきたところで、ここからはウィーンの美術と食を楽しむ時間だ。
まずはオペラ座近くのレーバーケーゼ専門店レーバーカス・ペピへ。パンに挟まれた厚い一切れを食べる。旅の食事はこういう気軽な一品から始めるのもいい。
レーバーケーゼは細かく練った肉の生地を型に入れて焼き上げる食べ物だ。名前を直訳すると肝臓とチーズを連想するけれど、オーストリアで一般的なものは肝臓入りを前提としていない。チーズを練り込む種類もあるが、それも一つのバリエーション。見た目は肉の塊でも、作り方はソーセージの仲間に近い。
製法の歴史をたどると肉を細かくして型に詰めるパテの技術とつながる。今のような機械がない頃は包丁や乳鉢で肉を細かくしていたという。名前の由来にもパンやチーズのような塊を意味するという説などがあり、語源は一つに定まっていない。気軽に買ったパンの中身にも肉屋の仕事の歴史がある。
僕が食べたのは馬肉を使った種類だった。レーバーケーゼを一種類の肉料理だと思っていると、その幅を見落としてしまう。名物を食べる面白さは有名な料理名を一つ覚えるだけでなく、その土地でどんな種類が選ばれているのかを知るところにもあると思う。


美術史美術館:大階段とハプスブルク家のコレクション
美術史美術館では絵の前へたどり着くまでにも足を止める場所がある。大階段を囲む大理石の柱、壁や天井の絵、上へ続く空間。展示室へ向かう道そのものがすでに鑑賞の一部になっている。
美術史美術館が開館したのは1891年。ハプスブルク家が長く集めてきた美術品を収めるため、ゴットフリート・ゼンパーとカール・フォン・ハーゼナウアーが設計した。宮殿のように見えるのも偶然ではなく、美術とともに集めた皇帝たちの存在を示す建物だった。
向かいの自然史博物館と対になる建物は、ホーフブルクをさらに大きく広げる「皇帝広場」の計画の一部でもあった。ただし、構想のすべてが実現したわけではない。広場に立って眺めた整った建物の並びにも完成した部分と計画にとどまった部分がある。
館内では、入口、大階段、ドームの広間が一つの流れをつくっている。目の前の絵を一枚ずつ見るのとは別に、上へ視線を向け、次の空間へ進むことで建物の大きさを感じる仕組みだ。豪華な内装という印象の後ろに、見る人を導き、収集した側の力を伝える意図もあったのだと分かる。
この階段まわりの装飾には若い頃のグスタフ・クリムトも関わっている。弟エルンストやフランツ・マッチュとともに建築装飾を手がけていた時期の仕事だ。金色の『接吻』で知られる画家の経歴がこの美術館にもつながっている。二つの美術館を訪れる今回の旅に一本のつながりができる。
展示室ではブリューゲルの『バベルの塔』やフェルメールの『絵画芸術』を見た。写真に残したのは絵だけではない。絵画を囲む展示室やドームの下に広がる空間も写っている。街の建物を外から見ていた前回とは違って、今回はその内側で過ごしている。
そう知って写真を見返すと、階段を何枚も撮ったことにも納得がいく。僕は絵画を見に来ていたけれど、美術館そのものにも目を奪われていた。ハプスブルク家の歴史は展示の解説に書かれた遠い話だけではなく、作品の前へ向かうこの空間にも残っていた。




グリーヒェンバイスル:旧市街の老舗で味わうウィーン料理
美術館を出てホーフブルク周辺から旧市街へ歩く。広場では建物の正面が大きく開け、路地へ入ると壁と壁の間に教会や塔が見える。同じ街でも通りを一本曲がると写真に収まる景色が変わる。
夕食はグリーヒェンバイスルにした。蔦の茂る外壁と通りへ突き出した看板が目印になる。注文はウィーナー・シュニッツェルとゲッサーのビール。皿に広がるシュニッツェルにはレモンが添えられている。
店名のグリーヒェンバイスルにはかつて周辺に住んだギリシャ商人たちの歴史が残る。店の説明では宿屋は何度も名を変え、商人たちがこの一帯に集まったことから今の名になったという。ギリシャを思わせる名前でも、ここで僕が食べているのはウィーン料理だ。通りの名前と食卓の間に人が移り住んできた街の時間が見える。
店が伝える五世紀以上の歴史の中でも、特に印象に残るのは「いとしのアウグスティン」の伝説だ。17世紀の歌い手が酔って疫病の死者を葬る穴へ落ちたのに生還したという話で、店の入口にもそれをしのぶ場所があるという。これは歴史上の出来事として断定できる話ではなく、街に伝わる物語。看板の人物や古い店構えが単なる飾りとは違って見えてくる。
さらにマーク・トウェインの名を冠した部屋には芸術家や政治家らの署名が残る。署名の残る部屋があるというのも、人の集まる場所であり続けた店らしい。美術館では作品を通して昔の人に近づき、食事の店では同じ場所に人が座り続けてきた時間を知る。街の歴史に触れる入口は美術館だけではなかった。
ウィーナー・シュニッツェルは伝統的には仔牛肉を薄くし、小麦粉、卵、パン粉をまとわせて揚げる料理だ。ウィーン風という名は1831年の料理書に現れる。薄い肉と肉から少し浮くような衣がこの料理の大事なところになる。皿に大きく広がって見えるのは、単純に肉の量が多いからだけではない。
ラデツキー元帥がイタリアから作り方を持ち帰ったという有名な話もあるが、オーストリアの伝統食品資料は後から広まった伝説として区別している。料理の歴史は分かりやすい一人の英雄の話にまとめるより、昔の料理書や調理の積み重ねから見た方が面白い。僕の皿の上の一枚もそうした日常の技術が続いてきたものとして受け止めたい。
街を歩いて建物を眺める時間に、その街の料理を食べる時間が加わる。今回楽しみたかったウィーンが少しずつ具体的になってきた。




カフェ・ツェントラル:アーチの下で楽しむ菓子と紅茶
夕食のあとはカフェ・ツェントラルへ。入口には人が並び、店内では細い柱からアーチが枝分かれするように天井へ伸びている。
ここは1876年に開業したフェルステル宮殿のカフェだ。僕が頼んだのはアップルシュトゥルーデルとアールグレイ。コーヒーの街で、紅茶を選んだ。
この建物は初めからカフェ専用につくられたわけではなかった。銀行や取引所に使われたフェルステル宮殿の一角がカフェになった。イタリアの建築を思わせる柱とアーチの下で、金融の場所がやがて文学や議論の場所にもなっていった。
常連だった作家ペーター・アルテンベルクはここを自分の住所として使ったという。作家や建築家、政治に関わる人々が集まった店の歴史を知ると、カフェは飲み物を注文するだけの場所ではなかったのだと分かる。自宅とも職場とも違う街の中の居場所だったのだろう。僕には一度のお茶の時間でも、誰かにとっては毎日の中心だった。
アップルシュトゥルーデルはリンゴなどの具を薄い生地で巻いて焼く菓子だ。生地を幾重にも折り込むパイとは違い、薄く伸ばした生地で具を包む。切り口の層や中身を意識すると、見慣れたリンゴの菓子にもその土地の作り方があることに気づく。
その薄い生地の文化にはオスマン帝国や周辺地域とのつながりがあると紹介されている。いまウィーンを代表する菓子にもほかの土地から伝わり、ここで根づいた背景がある。ギリシャ商人の名を残す店で夕食をとり、異なる土地の食文化が重なる菓子を食べる。今回のグルメは街の成り立ちを知る手がかりにもなった。
前回のウィーンでは夜の列車までに街を見ることが中心だった。今回はテーブルに座って菓子とお茶を前に過ごす。観光の途中の休憩もこの旅で楽しみたかった時間の一つだ。




カフェ・ザッハー:名物ザッハートルテで始める朝
翌朝はカフェ・ザッハーへ。赤い壁と白いテーブルのある席でチョコレートのケーキを食べた。皿には白いホイップクリームも添えられている。
店が伝える1832年の始まりでは料理長が病気だった日に、16歳の見習いフランツ・ザッハーがメッテルニヒの客のために菓子をつくったという。いまは立派な名前になっているケーキの出発点が若い見習いの仕事だったというのが面白い。完成したブランドだけを見ていると、その前にあった台所の出来事を忘れてしまう。
一方、ホテル・ザッハーを1876年に開いたのはフランツの息子エドゥアルトだ。菓子の誕生とホテルの開業には四十年以上の隔たりがある。エドゥアルトの死後は妻アンナが経営を担い、ホテルは社交の場として知られるようになった。一人の発明だけでなく、次の世代が店を続けてきた歴史でもある。
ザッハートルテはチョコレートの生地にアプリコットのジャムを合わせ、外側もチョコレートで覆った菓子。店では甘みをつけないホイップクリームを添えることが勧められている。写真に写る黒いケーキと白いクリームにもただ色を添える以上の組合せがある。
こうした背景を知ると、僕が朝の席で食べた一切れはウィーンの菓子というだけでなく、菓子職人の名が街の店名として残ってきた一切れにも思える。美術館の作者名だけでなく、カフェの看板にも人の名前がある。今回はその名前の後ろまで少し見てみたい旅だった。
前夜のアップルシュトゥルーデルに、朝のザッハートルテ。美術館だけでなく、菓子を食べる時間も旅の予定に入っている。



ベルヴェデーレ:クリムトの『接吻』と宮殿の歴史
今回見たかった絵がある。クリムトの『接吻』だ。ベルヴェデーレではその目的を果たせたことにとても満足した。
ベルヴェデーレは美術館として建てられた場所ではない。もとはハプスブルク家に仕えた軍人、プリンツ・オイゲンの夏の宮殿だった。ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントが設計し、上宮が完成したのは1723年。庭園を挟んで上宮と下宮が向き合う造りには住まいと権威を示す場という宮殿の役割が残っている。
その後ハプスブルク家の所有となり、1781年には上宮で皇室の絵画コレクションが一般に公開された。そのコレクションは後に美術史美術館へ移る。昨日訪れた美術館と今日の宮殿はクリムトの仕事だけでなく、作品を集め、見せる場所の歴史でもつながっていた。
1955年には上宮でオーストリア国家条約が調印された。帝国時代の宮殿が美術を公開する場所になり、戦後の主権回復を象徴する舞台にもなる。絵を見るために通った大きな広間にも絵画とは別の歴史が積み重なっている。
金色の中で二人の身体が一つの大きな形に包まれている。顔や手足には肌が見えるのに、衣服は模様へと変わっていく。男性の側には角張った形、女性の側には丸みのある模様。画面の下には花が広がり、女性の足先はその縁にかかっている。
作品は縦も横も180センチある正方形だ。小さな複製で見慣れた図柄にも実物には実物の大きさがある。金色という印象だけでまとめず、人物の輪郭や模様の違いを追ってみたくなる。
クリムトは初めからこの作風だったわけではない。建築装飾で実績を重ね、やがて1897年にウィーン分離派の初代会長となった。大学のために描いた絵は批判や論争を招いた。今は街の顔として親しまれる画家にも同時代の美術のあり方とぶつかっていた時期があった。
人物像をたどると、仕事を共にする仲間や支援者、長く親しかった服飾家エミーリエ・フレーゲが見えてくる。ただし、『接吻』の二人をクリムトとフレーゲだと断定することはできない。画家の人生を知ることと、絵の人物の正体を決めることは分けておきたい。
金色の表現にはイタリアのラヴェンナなどで目にしたモザイクからの影響もある。ウィーンの美術を見に来て、その背景がイタリアへつながる。一枚の有名な絵の周りに、仕事の歩みや人との関係、ほかの土地で見たものが重なっている。
美術史美術館の階段を飾った若い画家と、この金色の絵を描いた画家が同じ人だと知ると、今回の二つの訪問先を少し違う角度から振り返れる。『接吻』を見るという目的が一人の画家をもう少し知りたいという関心へつながった。
しかも旅の日付を照らすと、ベルヴェデーレを訪れた日はクリムトの誕生日でもあった。作品を目当てに決めた旅にそんな接点まであった。
『接吻』を目当てに来た僕には、まず目的の作品が見られたという満足がある。そこへ宮殿の来歴が重なると、庭園から街を見下ろす眺めも、豪華な室内も、作品のための背景だけではなくなる。外から建物を眺めた前回と内側で絵を見た今回。その違いがここでは特にはっきりしていた。




ナッシュマルクト:フィアカーグーラッシュで締めくくる旅
美術館のあとはナッシュマルクトへ。屋根の低い店が通りの両側に続き、宮殿の展示室とはまた違う景色が広がっている。ここではビールと目玉焼きを載せたフィアカーグーラッシュを食べた。
フィアカーグーラッシュは煮込みに目玉焼き、ソーセージ、ピクルス、パン団子を合わせた一皿だ。目玉焼きの下には煮込みのソースが広がり、脇には輪切りのパン団子が添えられている。ひと皿にいくつもの具材が載る姿にもこの料理の食べごたえが表れている。
グーラッシュはハンガリーにルーツを持ち、ウィーンでも独自の形に根づいた煮込み料理だ。そのウィーン風の一つがフィアカーグーラッシュ。牛肉の煮込みに目玉焼きやソーセージを添える、食べごたえのある一皿で、フィアカーという名は馬車の御者に結びつく。かつては馬車を操る御者たちの力になる食事だったという。
僕は宮殿で絵を見たあと、街を動かしてきた人の食事につながるものを食べていた。宮廷に由来する菓子や作家たちのカフェだけでなく、働く人のための料理も街の味だ。華やかな建物を見て歩くだけでは気づかなかったウィーンが食卓から見えてくる。
学生の頃に歩いたウィーンと今回のウィーンは同じ街だ。それでも、絵の前で立ち止まり、店の席に座ると、旅の中に残るものが変わる。街並みの美しさに加えて、美術や食を楽しめることが今度は自分の体験になった。
『接吻』を見られたことには満足している。そしてその一枚の前後に美術館の階段やカフェのアーチ、シュニッツェルや菓子の皿がある。前回の街歩きでは見られなかったウィーンの良さを知る旅になった。



今回訪れた場所
写真の撮影位置と宿泊資料を基にした地点図。
おすすめのレストラン
今回実際に利用した店から食事やカフェの時間を楽しむ場所を挙げる。金額は2024年7月の注文・支払記録で、現在のメニュー価格ではない。
レーバーカス・ペピ(Operngasse店)
おすすめポイント
美術館へ向かう前など、短い時間で土地の軽食を試したいときに。レーバーケーゼをパンで食べる肉屋の食文化に触れられる。
注文:レーバーケーゼのパンとビール
会計:€8.47/参考 約1,460円
パンとビールの合計。
グリーヒェンバイスル
おすすめポイント
古い店構えとウィーン料理を一緒に楽しみたい人に。ギリシャ商人やアウグスティンの物語を知ってから訪れると、看板や店名にも目が向く。
注文:ウィーナー・シュニッツェルとゲッサーのビール
会計:€32.20/参考 約5,570円
料理€27.90+ビール€4.30。
カフェ・ツェントラル
おすすめポイント
街歩きの途中に腰を落ち着け、柱とアーチが続く空間で菓子を楽しみたい人に。文学者が日常の居場所にしたカフェの文化を知る入口にもなる。
注文:アップルシュトゥルーデルとアールグレイ
会計:€14.70/参考 約2,540円
飲食€12.70+チップ€2。2026年は改修の営業案内を公式サイトで確認。
カフェ・ザッハー・ウィーン
おすすめポイント
ザッハートルテをその菓子の名を受け継ぐホテルのカフェで食べてみたい人に。オペラ座周辺の散策とも組み合わせやすい。
注文:ザッハートルテ
会計:€18.69/参考 約3,230円
このときの飲食合計€17.80+チップ€0.89。ケーキ単品の価格ではない。
ナッシュマルクトの食事は店名と会計を特定できていないため、店別のおすすめには含めていない。カフェ・ツェントラルは2026年の改修案内があるため、訪問前に公式サイトの営業情報を確認してほしい。
今回泊まった宿
Motel One Wien-Staatsoper
オペラ座近くのElisabethstraße 5にある宿に1泊した。現在の予約サイトでは「The Cloud One Wien-Staatsoper, part of the Motel One Group」として掲載されている。オペラ座周辺の散策やカフェへ出かける拠点として検討しやすい立地だ。
| 宿泊 | 1泊・スモールシングルルーム・1名 |
|---|---|
| 支払総額 | €111.82/参考 約19,330円 |
| 内訳 | 宿泊€109+市税€2.82。 |
参考円は2024年7月12日のECB参考値1ユーロ=172.87円。
参考資料
- 美術史美術館:ブリューゲル『バベルの塔』
- 美術史美術館:階段装飾のクリムト作品
- クリムト財団:画家の年譜
- ベルヴェデーレ:『接吻』作品データ
- ウィーン観光局:『接吻』の寸法と背景
- ベルヴェデーレ:クリムトとイタリア
- カフェ・ツェントラル:歴史・営業案内
- ザッハー:ザッハートルテの歴史
- グリーヒェンバイスル:店舗の所在地
- スロバキア国立銀行:2024年7月12日のECB参考為替
- オーストリア伝統食品資料:レーバーケーゼの製法・歴史・語源
- オーストリア伝統食品資料:ウィーナー・シュニッツェルと伝説の検証
- オーストリア観光局:アップルシュトゥルーデルの作り方と背景
- 美術史美術館:建築と美術館の歴史
- グリーヒェンバイスル:店名・歴史・アウグスティンの物語
- ザッハー:家族とホテルの歴史
- ベルヴェデーレ:宮殿・コレクション・国家条約の歴史
- ウィーン観光局:フィアカーグーラッシュと御者の食事
- ウィーン観光局:フィアカーグーラッシュの具材とハンガリーとの関係
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