ガラタサライのスタジアムは熱気がすごかった。
スタジアム内でたばこを吸う人の姿もあった。平成初期の日本を思わせる光景だった。イスタンブールに着いた僕の一人旅は、RAMS Parkでのサッカー観戦から始まった。
翌日は旧市街へ。アヤソフィアではモスクの中に残るキリスト教のモザイク画が気になった。トプカプ宮殿の聖遺物に驚き、橋と船で街を歩いたイスタンブールの旅だった。
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ブルーモスク — 内部と中庭を見学 Google Mapsで開く
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エジプシャンバザール — 屋内を歩いた Google Mapsで開く
- RAMS Park: スタンドの熱気に触れる
- イスタンブール: 二つの帝国が残した街を歩く
- 地下宮殿: 柱の列をたどって貯水池の奥へ
- ブルーモスク: ドームを見上げて中庭へ
- アヤソフィア: モスクに残るキリスト教のモザイク
- グランドバザール: 門の先に続く店と通り
- 旧市街の夜: 食後に二つの建物を眺める
- トプカプ宮殿: 庭と回廊の先に広がる海
- トプカプ宮殿: ムハンマドの聖遺物に驚く
- ガラタ橋: 釣り人の横を歩いて金角湾を渡る
- ガラタ塔: 路地の先に残るジェノヴァの歴史
- エジプシャンバザール: 水辺へ戻る前に市場を歩く
- 金角湾: 日が落ちた水辺へ戻る
- カドキョイ: 船で渡って市場と魚料理へ
- 今回の宿泊先
- 街歩きの続きは食事の記事へ
- 参考資料
RAMS Park: スタンドの熱気に触れる
スタジアムの外にはガラタサライのショップがあり、赤と黄の看板の前に人が集まっていた。僕もパンに具材を挟んだ軽食を手にして会場へ向かった。
ガラタサライの始まりは1905年の高校の教室だった。アリ・サミ・イェンらガラタサライ高校の生徒たちがつくったクラブが、この大きなスタジアムにつながっている。学校で始まったサッカーが一世紀以上続き、今はこれだけの人を集めている。その来歴を知るとスタンドの熱気にも長い時間の積み重ねが見えてくる。
赤と黄も創設時からの色ではない。クラブの公式記録によると最初は赤と白で、その後は黄と黒を経て赤と黄になったという。ショップの看板で見た色にも変遷があった。今では当たり前に見えるクラブの姿が少しずつできあがったことが面白い。
スタンドからは緑のピッチを取り囲む観客席が見えた。屋根の下まで人の姿が続いている。熱気の強さと、たばこを吸う人がいる光景が印象に残った。
対戦相手はイスタンブールスポル。終盤に撮ったスコアボードには2対1と表示されている。試合はその後さらに得点が入り、ガラタサライが3対1で勝った。




イスタンブール: 二つの帝国が残した街を歩く
スタジアムから始まった旅は翌日から旧市街へ移った。ここはかつてコンスタンティノープルと呼ばれた街だ。東ローマ帝国の都として栄え、1453年にメフメト2世が征服した後はオスマン帝国の都になった。アヤソフィアとトプカプ宮殿は、その二つの時代を隣り合う場所で見ることのできる建物だった。
旧市街の歴史半島は北を金角湾、東をボスポラス海峡、南をマルマラ海に囲まれている。金角湾は天然の港でもあった。教会や宮殿だけを見ていると陸の街に思えるが、地図を開くと海に面した都だったことが分かる。後に橋を歩き、船から街を眺めた体験もこの位置関係につながっている。
僕が感じたイスラム教とキリスト教の歴史的な交流は、抽象的な言葉だけのものではなかった。アヤソフィアにはキリスト教の人物像とイスラムの書が同じ空間に残っている。隣の宮殿にはオスマン帝国の政治や教育、信仰の品々がある。歩いて移れる距離にそれぞれの時代が見えることが、この街の面白さだった。
世界遺産の正式な登録名は「イスタンブール歴史地域」だ。アヤソフィアやトプカプ宮殿のある考古学公園地区のほか、スレイマニエ地区、ゼイレク地区、テオドシウスの陸城壁地区の四つから成る。今回歩いた街全体が一つの登録範囲というわけではない。
地下宮殿: 柱の列をたどって貯水池の奥へ
旧市街では地下宮殿へ入った。細長い柱が何列も並び、その間を見学用の通路が通っている。緑色の光を受けた柱と天井のアーチが奥まで重なっていた。
地下宮殿という名前だが、ここは神殿や皇帝の住まいではなく水を蓄えるための施設だ。6世紀にユスティニアヌス1世の命で造られた。336本の柱が天井を支え、その多くは古い建物から転用されたと考えられている。アヤソフィアと同じ皇帝の時代に、都を支える貯水池も造られていたことになる。
奥では柱の土台に使われたメドゥーサの頭を見た。僕の写真には顔を逆さまにした石が残っている。横向きの頭もあり、二つが柱を支えているという。向きの理由ははっきりしないが、彫刻が水をためる施設の部材になっている姿にも古いものを使い直してきた街の歴史が見える。


ブルーモスク: ドームを見上げて中庭へ
地下宮殿を出た後はブルーモスクへ向かった。正式にはスルタンアフメト・モスクという。内部では赤い絨毯の上からドームや窓を見上げた。大きな柱の間に照明が掛かり、天井まで細かな装飾が続いている。
モスクを建てたのは17世紀初めのスルタン・アフメト1世。設計はセデフカル・メフメト・アーが担った。ブルーモスクという通称は内部の青を含むタイル装飾に由来する。外観を青く塗った建物という意味ではない。内部の写真を見ると青だけでなく白や赤、窓から入る光も重なっている。
教会からモスクへ変わったアヤソフィアに対し、こちらはオスマン帝国がモスクとして建てた建築だ。この後に向かったアヤソフィアとは近い場所にあるが、建てられた時代も出発点も違う。二つを続けて見ることで僕が感じた宗教と歴史の重なりも、建物ごとの違いとともに考えられる。
外へ出ると回廊のアーチ越しにドームとミナレットが見えた。夜には再び中庭へ戻った。昼とは違う照明を受けた姿は、この日の最後にもう一度眺めることになった。


アヤソフィア: モスクに残るキリスト教のモザイク
ブルーモスクに続いてアヤソフィアへ。広場越しに見ていたドームの中へ入り、回廊を進んだ。
高い空間に大きな円形の書が掛かり、その下にいくつもの照明が並ぶ。僕が特に印象に残ったのは壁面のキリスト教のモザイク画だった。
今のアヤソフィアは皇帝ユスティニアヌス1世の命で532年に建設が始まり、537年に完成した教会だ。設計を担ったのはトラレスのアンテミオスとミレトスのイシドロスだった。目の前の大きな空間が6世紀の計画に始まると知ると、ドームを見上げる意味も変わる。建物の古さだけでなく、この空間をつくろうとした人々の仕事に目が向く。
1453年の征服後にはモスクへ転用され、1935年には博物館として公開された。その後は再びモスクになっている。用途が変わるたびに全てが取り替えられたのではなく、教会だった時代のモザイクとモスクの大きな円形の書が同じ内部に残っていた。
写真に残したモザイクには大きく欠けた部分もある。20世紀の保存修復に携わったアーネスト・ホーキンズは、失われた絵を描き直さない保守的な修復を行った人物だったという。欠けたままの姿を見ると、きれいに完成させることと古いものを残すことは同じではないと考えさせられる。
僕が訪れたときもアヤソフィアはモスクだった。礼拝のための入口と観光客の見学動線を分ける仕組みが導入された直後で、上階から内部を見渡している。
モザイクを眺めているとイスラム教とキリスト教の歴史的な交流を感じた。ただし教会からモスクへの転用には征服の歴史もある。異なる信仰のものが並んでいるという一場面だけで、その間の歴史を穏やかな交流だけだったとは言えない。それでも建物が使われ続ける中で何が変わり、何が残ってきたのかを考えるきっかけになった。





グランドバザール: 門の先に続く店と通り
アヤソフィアを見た後はグランドバザールへ向かった。入口の上には「KAPALIÇARŞI 1461」とある。門を抜けると屋根のある通りが続き、店先には色のついたランプや皿が並んでいた。
市場の始まりはメフメト2世による15世紀の建設にさかのぼる。トルコの観光当局によるとアヤソフィアのための収入を生む役割もあった。宮殿や宗教建築と買い物の場所が、街を動かす仕組みの中で結びついていたことが分かる。
写真を見返すと建物の装飾と同じくらい、両側に張り出す商品や通りを行き交う人の姿が目に入る。古い建物を見学するだけでなく、商売が続いている場所を歩く時間だった。


旧市街の夜: 食後に二つの建物を眺める
夕食を終えた後は夜の広場へ戻った。アヤソフィアが照らされ、足元には濡れた路面の反射があった。その後はブルーモスクの中庭へ。回廊とドームが照明を受け、昼に見た建物を夜にも眺める一日になった。


トプカプ宮殿: 庭と回廊の先に広がる海
二つの塔に挟まれた門をくぐり、トプカプ宮殿の中へ進んだ。庭と回廊を挟んで建物が続き、展示室には衣服や装飾品も並んでいる。
トプカプ宮殿はイスタンブールを征服したメフメト2世が1460年から1478年にかけて建設を進めた宮殿だ。その後のスルタンたちが建物を加え、19世紀半ばまで住まいと政治の中心として使われた。一つの大きな建物の中に全てが収まるのではなく、中庭を挟んで役割の違う建物が集まっている。
国立宮殿局の説明では行政を担う御前会議の建物に加え、エンデルンと呼ばれる宮廷学校も置かれていた。僕は見学を通してオスマン帝国の教育について知ることができた。宮殿を支えるのが財宝や豪華な部屋だけでなく、人を育てる仕組みでもあったことが印象に残った。
名前にも変遷がある。以前の宮殿と区別して「新宮殿」と呼ばれていたものが、後に「大砲の門」に由来するトプカプの名で知られるようになったという。何世紀も建物を足して使ってきた場所に「新」という呼び名があったことも面白い。
宮殿では室内の展示だけでなく、建物の間を歩いている時間も長かった。青いタイルの装飾を見て、回廊の外へ出ると水面が広がっていた。
旧市街のある歴史半島は北に金角湾、東にボスポラス海峡、南にマルマラ海がある。宮殿はその先端に位置する。街の地図を眺めると、宮殿と水辺の近さも分かる。





トプカプ宮殿: ムハンマドの聖遺物に驚く
そして驚いたのがムハンマドの聖遺物だった。宮殿ではムハンマドの足跡を表した品も展示されていた。信仰の対象となってきたものが宮殿に集められ、保管されてきたことを知った。
聖遺物の一部はセリム1世による1517年のエジプト征服後にイスタンブールへもたらされ、その後も各地から集められたという。宮殿に保管されている背景にはオスマン帝国の広がりとイスラムの信仰が重なっている。ムハンマドにまつわる品がここにあるという驚きから、その品がどのようにこの都へ集まったのかにも関心が向く。
写真に残した足跡の展示は、ムハンマドの足跡として伝えられてきたものだ。歴史上の人物に結びつく信仰の対象を目の前にする体験は、衣服や装飾品を見るのとはまた違っていた。展示の由来や伝承と、実物が本人のものだと立証できるかということは分けて受け止めたい。
入場料には少し躊躇したが、教育や聖遺物の展示に加えて海の眺めも楽しめた。見学の内容には満足した。

ガラタ橋: 釣り人の横を歩いて金角湾を渡る
宮殿を出た後はエジプシャンバザールで昼食を取り、水辺へ向かった。ガラタ橋には釣りざおを並べる人たちがいた。橋の先には建物が斜面に重なり、その上からガラタ塔が見える。
この橋が渡っているのは金角湾だ。旧市街のエミノニュと対岸のカラキョイを結んでいる。両岸ともヨーロッパ側にあり、ここを歩いても大陸は変わらない。ボスポラス海峡と金角湾は地図でも見分けておきたい。
この場所に最初のガラタ橋が架かったのは1845年で、今の橋は五代目だという。何世代も架け替えながら対岸への移動を支えてきた場所で、僕が見たのは釣りざおを並べる人たちの姿だった。古い都の橋にも日々の暮らしが続いていることが伝わってくる。

ガラタ塔: 路地の先に残るジェノヴァの歴史
橋からカラキョイへ入り、建物の間の道を歩いた。見上げた先には塔が現れる。路地では近かった壁が塔の前に出ると離れ、空が広く見えた。今回はガラタ塔を外から眺めた。
今のガラタ塔は1348年にジェノヴァ人が築いた見張り塔にさかのぼる。金角湾の北には東ローマ帝国と関係を結んだジェノヴァ人の居留地ペラがあり、塔はその城壁の一部だった。東ローマとオスマンの二つだけを思い浮かべていた街の歴史に、海を越えてきたジェノヴァの人々も加わる。塔を目印に歩いた道が交易で結びついた街の一部に見えてくる。
塔は地震や火災で修理を重ね、屋上には消防のための部屋が置かれた時期もあった。今の尖った屋根も過去の姿を参照して復元されたものだ。古い塔が昔のまま立っているのではなく、役割や姿を変えながら残されてきたことを知ると外観の見方も変わる。


エジプシャンバザール: 水辺へ戻る前に市場を歩く
ガラタ塔とカラキョイを歩いた後はエジプシャンバザールへ。昼食でも訪れた一帯に戻り、今度は市場の通りを歩いた。天井のアーチの下に店が並び、通りには人が続いている。
別名はスパイスバザール。イスタンブール市の説明では1664年に完成し、新モスクの複合施設の一部として造られた市場だという。前日に歩いたグランドバザールとは場所も成り立ちも違う。宮殿やモスクと市場を行き来すると、信仰の場と商いの場が近い距離にあることに気づく。
市場を出た後は金角湾の水辺へ戻った。屋根のある通りから外へ出ると、橋と対岸の街が見える場所へ景色が変わった。

金角湾: 日が落ちた水辺へ戻る
夕方は再び水辺へ戻った。ガラタ橋の下に灯りが並び、その向こうにはガラタ塔が見える。昼に歩いた橋と斜面の街を、水面越しにもう一度眺めた。
明るかった空が青くなり、建物の灯りが水に映っている。昼と同じ場所でも見えるものが変わっていた。

カドキョイ: 船で渡って市場と魚料理へ
翌日は船に乗ってアジア側のカドキョイへ向かった。船内には窓に沿って席が並んでいる。水上からは修繕の覆いを掛けたハイダルパシャ駅が見えた。
駅を見て、いつか東京から列車を乗り継いで来たいと思った。今回は船からその姿を眺めた。
カドキョイでは市場の通りを歩いた。道の両側に店先が続き、野菜や魚が並んでいる。街には牛の像もあった。
この一帯の歴史は古く、古代にはカルケドンと呼ばれたギリシャ系の植民市があった。ヨーロッパ側のビザンティオンより先に築かれた街とされる。今の旧市街を見た後に船で渡ると新しい街へ来たようにも思えるが、こちらにも古代からの歴史が続いている。
対岸の半島のほうが恵まれているのにこちらを選んだとして「盲人の国」と呼ばれたという話も伝わる。ただしこれは古代の土地選びを語る伝承だ。僕の写真に残ったのは魚や野菜が並ぶ市場の通りだった。帝国の建物を見てきた後は、こうした店先から街の暮らしに目が向く。
市場を歩いた後は魚料理を食べた。宮殿やモスクを見た旅は、橋や船で移動しながら何度も魚を食べる旅にもなった。
この後は空港へ向かった。スタジアムの熱気、アヤソフィアのモザイク、宮殿の聖遺物に驚きながら過ごしたイスタンブールの一人旅だった。




今回の宿泊先
今回の宿はElite Marmara Boutique Hotel Sultanahmet。旧市街のファティ地区で3泊した。
| 宿名 | 泊数 | 総額 |
|---|---|---|
| Elite Marmara Boutique Hotel Sultanahmet | 3泊 | €151.20 参考 約24,220円 |
金額は予約確認書の記載額。参考円は2024年1月31日のフランス銀行の公表レート(1ユーロ=160.19円)で換算した。
広告:以下はBooking.comのアフィリエイトリンクです。
Booking.com今回泊まった旧市街のホテル
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街歩きの続きは食事の記事へ
宮廷料理のラム肉から街角のサバのラップ、市場を歩いた後の揚げイワシまで。この旅は建物を見て歩く合間に食べたものも印象に残った。料理の味や店の雰囲気は別の記事にまとめている。イスタンブールで何を食べようか考えるときはこちらもどうぞ。
【グルメ情報】イスタンブール個人的レストラン・屋台ベスト3参考資料
- ガラタサライ公式:対イスタンブールスポル戦
- トルコ文化観光省:アヤソフィアの建築史
- トルコ大統領府広報局:2024年1月の見学動線変更
- トルコ国立宮殿局:トプカプ宮殿
- トルコ文化観光省:聖遺物
- UNESCO:イスタンブール歴史地域
- Go Türkiye:ガラタ橋と金角湾
- ガラタサライ公式:クラブの創設と色の変遷
- Dumbarton Oaks:修復家アーネスト・ホーキンズ
- トルコ文化観光省:ガラタ塔の歴史(PDF)
- カドキョイ区:街の歴史と住民(PDF)
- フランス銀行:2024年1月31日の為替レート
- イスタンブール市:地下宮殿の歴史と柱・メドゥーサ
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- トルコ観光当局:グランドバザールの成り立ち
- イスタンブール市:エジプシャンバザール

