SWEDEN · SEPTEMBER 2024
スウェーデン: 『魔女の宅急便』から始まった旅
『魔女の宅急便』のモデル地っぽいぞ。それが、スウェーデンへ行くきっかけだった。
旅先を決めるきっかけは、案外こういうものだったりする。あの映画につながる街を自分の足で歩けるなら、それだけで行ってみたかった。2024年9月下旬、ストックホルムと、ゴットランド島のヴィスビューを訪ねた。
作品の美術監督だった大野広司さんも、ストックホルムとヴィスビューでロケハンをしたことをインタビューで語っている。二つの街の屋根や塔、海のある眺め。映画を思い浮かべながら、まずは自分の目で見てみようと思った。
ストックホルムの空港から街へは、黄色いアーランダ・エクスプレスに乗った。夕方に到着し、その夜は食事をして街を歩く。翌日、水辺へ出ると、青い空の下に塔や屋根が並び、岸にはまだ花が咲いていた。9月下旬の旅は、雪の北欧ではなく、花と日差しの残る街から始まった。
ストックホルム市庁舎: 晩餐会の広間で、平和賞の行き先を知る
水辺に立つ市庁舎へ入った。外は赤茶色の壁と高い塔。中へ進むと、大きな階段と柱廊のある広間が現れる。写真やテレビで知っていたノーベル賞が、ここでは部屋の広さとして目の前にあった。
市庁舎はノーベル賞の晩餐会が開かれる場所だ。授賞式そのものの会場とは違う。ストックホルムの授賞式はコンサートホールで、晩餐会は市庁舎の「青の間」。その後の舞踏会には「黄金の間」が使われる。赤い壁の広間から、壁一面に金色のモザイクが広がる部屋へ進むと、同じ建物の中でも光ががらりと変わった。
そして、この旅で初めて知った。ノーベル賞のうち、平和賞だけはストックホルムではなく、ノルウェーのオスロで授与される。スウェーデンで生まれたノーベルの賞だから、全部ここで行われるのだと、僕はひとまとめに考えていた。
その背景には、1895年の遺言がある。ノーベルは平和賞の選考を、ノルウェー議会が選ぶ委員5人に託した。当時、スウェーデンとノルウェーは同じ国王を戴く同君連合にあり、その関係は1905年まで続いた。今の国境を前提に見ると意外だけれど、遺言が書かれた時代の二国の関係は今と違っていた。
ただ、ノルウェーを選んだ理由を、ノーベル自身は書き残していない。ノルウェー議会が国際紛争の平和的な解決に関心を寄せていたことなどが、理由の候補として挙げられている。現地で背景の話を聞き、あらためて調べてみると、そこには確かな事実と、今も推測にとどまる部分の両方があった。知っているつもりだった賞に、知らないことがずいぶんある。
アルフレッド・ノーベル: 工事を助ける発明と、戦争に使われる力
旧市街では、ノーベル賞博物館にも入った。メダルや賞状、受賞者にまつわる展示を見ていく。市庁舎で見た華やかな広間から、賞を生んだ一人の人間へと、関心が移っていった。
アルフレッド・ノーベルは1833年、ストックホルムに生まれた。その年に父の事業が破綻し、父が国外で再起を図る間、母が店を営んで家計を支えた。やがて一家はサンクトペテルブルクで合流する。父も発明家で、ノーベルは語学や科学を学び、若くして外国へ学びに出た。科学だけでなく文学にも関心を持ち、詩や戯曲も書いたという。賞の名前として知っていた人物に、ようやく育った場所や好きなものが加わっていく。
彼の研究は、初めから順調だったわけではない。扱いの難しいニトログリセリンをめぐる事故で、1864年には弟のエミールを失った。その後、1867年に特許を得たダイナマイトは、液体のニトログリセリンより安全に扱える爆薬だった。鉱山や鉄道、トンネル、運河。硬い岩を崩す必要のある工事に、大きな力をもたらした。
旅先で聞いた話の中で僕に残ったのは、工事を楽にするための発明が、戦争にも使われていくという隔たりだった。道を通し、暮らしをつなぐ力が、人を傷つける力にもなる。発明は、作った人の願いのままには使われない。そのことを、ノーベルという具体的な一人の人生に重ねて考えた。
ただし、彼を「平和のためだけに発明し、悪用されて後悔した人」と説明すると、話を単純にしすぎる。ノーベル自身も軍事技術に携わり、強力な兵器が戦争を抑えるという考えを持っていた。平和運動家ベルタ・フォン・ズットナーとは長く交流し、戦争と平和をめぐって意見を交わしている。彼の中には、発明や事業を進めることと、平和を願うことが、簡単には整理できない形で同居していた。
1895年の遺言で、彼は財産の大部分を、人類に大きな利益をもたらした人をたたえる賞へ回すよう定めた。それを、後悔だけで説明できるとは思わない。けれど、自分の作ったものが社会で何をするのかを考え、その先に財産を託したことは、賞の華やかさとは別の重みを持っている。
僕が考えたのは、何かを作った時点で、その仕事が終わるわけではないのだということだった。役に立つはずだったものが、どこで、誰に、どう使われるのか。答えがきれいに出る話ではないからこそ、ノーベルの生い立ちや葛藤を聞いた時間が残った。
ガムラ・スタン: 細い路地を抜け、夕暮れの水辺へ
旧市街のガムラ・スタンには、黄色や赤茶色の壁に挟まれた細い通りが続いていた。アーチの下から先の路地をのぞき、建物の隙間に教会の塔を見上げる。水辺へ出たときの広さと、路地へ入ったときの近さが、歩くたびに入れ替わる。
ガムラ・スタンは、ストックホルムの始まりにあたる場所だ。街の名前が文書に登場するのは1252年。ただし、それは街がその年に突然できたという意味ではなく、当時すでにあった街の名が手紙に残っているということだ。今では大きな首都の一角だけれど、目の前の小さな島から街が広がっていったと知ると、細い路地の密度にも少し納得がいく。
古い街だから、目に入る建物がすべて中世のままというわけでもない。建物の多くは16〜17世紀のもので、火災や建て替え、改修を重ねてきた。通りの曲がり方や区画には古い街の形が残り、その上に別の時代の壁や窓が重なっている。一枚の絵のように眺めていた街並みも、実際には何度も手を入れながら使われてきた場所なのだ。
調べていて面白かったのが、通りの名前にも商売の記憶が残っていることだった。たとえば「商人の通り」を意味するKöpmangatanは、1323年の文書に登場し、商人が店を構えていたことに名が由来する。当時は広場から城壁の門へ通じていた道で、後に門を取り壊し、坂を低くしたことで、重く大きな荷物を運びやすくなったという。路地の幅や坂道にも、見栄えとは別に、物を運ぶ人たちの事情があった。
この街もまた、水の向こうとの交易によって育った。スウェーデン各地の鉄や毛皮などが集まり、ドイツ商人が持ち込む塩や織物、ビールなどと行き交ったという。僕が見ていた色のある家並みや岸辺は、昔の人にとっては仕事の場所でもあった。きれいな路地を歩く楽しさに、そこで誰が何をしていたのだろうという興味が加わる。翌日に訪ねるヴィスビューの歴史も、後から振り返れば、この水辺の街と同じ交易の海につながっていた。
王宮の中庭や柱の続く通路も歩いた。大きな建物の正面を見た後でも、少し向きを変えると、すぐ次の細い道がある。映画をきっかけに来た僕が目を向けていたのは、特定の一場面との答え合わせよりも、屋根や塔が重なって見える街の形だった。
夕方には、通りの奥に立つ塔と建物の壁が、低い光を受けていた。日中は青空と水面が目立った街に、今度は暖かい色が加わっていく。まだ花のある9月の街でも、夕方の影は路地を長く伸びていた。
食事の後、水辺に戻った。空の下の方に橙色が細く残り、市庁舎の塔が黒い輪郭になる。昼に中へ入った建物を、今度は対岸から眺めた。広間の金色とは違う、空と水だけの色がそこにあった。
ゴットランド島への国内線: 向かい合う座席でヴィスビューへ
翌朝は、ゴットランド島へ日帰りで向かった。ストックホルムからは船で行く方法もあるけれど、今回乗ったのはブロンマ空港発の飛行機だ。街の地下鉄やトラムを乗り継いで空港へ行き、プロペラのある小さな機体に乗り込んだ。
機内で目に入ったのは、向かい合う座席だった。列車では見慣れた配置でも、飛行機の中にあると意外だ。島へ行くというだけでなく、その途中にも、普段と少し違うものがあった。
到着したのは島の街、ヴィスビュー。今回は島じゅうを巡る旅ではなく、城壁のある旧市街を歩く。門をくぐると、低い家並みと石畳の通りが続き、その先に赤い屋根が重なっていた。
ゴットランド島・ヴィスビュー: この小さな街が、バルト海の重要拠点だった
ゴットランド島とヴィスビューを歩くうえで、知る良い機会になったのがハンザ同盟の歴史だった。バルト海に浮かぶこの島で、ヴィスビューはその重要な拠点の一つだったという。城壁の中に続く家並みには、海を越えた商売の背景がある。
ハンザ同盟は、一つの国のように、ある年に一斉にできた組織ではない。遠くへ商売に出る商人たちが、海賊などから身と荷を守り、取引上の利益を確保するために手を結んだ。そのつながりが、やがて都市の連合へ育っていく。ロンドン、ブルッヘ、ベルゲン、ノヴゴロドにも大きな商館が置かれた。海を越えた仕事のために、人と街が結びついていた。
ヴィスビューの商人たちは、バルト海の中にある島の位置を生かした。海は街の端に見える景色であると同時に、別の街へ通じる道でもあった。島にある小さな街、という今の眺め方を少し変えると、周りを海に囲まれたこと自体が、ここに人と荷物を集める条件だったのだと分かる。
面白いのは、古い街並みに見える石造りの建物の多くが、もとは商品を扱う倉庫だったことだ。港から上へ向かう配置や、荷を取り込むための仕組みには、商売の都合が刻まれている。僕がきれいだと思って眺めていた建物に、働くための形が残っていた。
城壁にも、外から来る敵を防ぐというだけではない歴史があった。街とゴットランド島の農村部との交易をめぐる対立が深まり、1288年には内戦に至った。島の中にいながら、街の内側と外側で利益が違う。商売で遠くと結びついた街が、すぐ外にいる人たちとは衝突していたというのが、印象に残る。
その後のヴィスビューには、交易路の変化や疫病、1361年のデンマーク王による侵攻などが重なった。現在はスウェーデンの島だけれど、1645年に和平によってスウェーデン領となるまでには、長いデンマーク支配の時代もあった。海の中の島は、遠くとの交易に開かれ、支配を争う場所にもなってきた。
1995年に世界遺産となった「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」には、城壁や街路、商人たちの建物、教会の遺構が残っている。ゴットランド島全体ではなく、僕が歩いたこの街の形に、交易の歴史がまとまって残されているのだ。
日帰りで歩ける範囲の街に、ずいぶん大きな世界がつながっていた。島というと、つい陸から離れた場所として考えてしまう。けれど商人たちにとっては、海の道が交わる場所でもあった。その背景を知ると、家並みの向こうに見える海や、街を囲む城壁にも、別の意味が加わってくる。
ヴィスビュー旧市街: バラの路地と、空の見える教会
高い場所へ上がると、ヴィスビューの赤や灰色の屋根が、海へ向かって重なっていた。教会の塔が家並みから頭を出し、その向こうには青い海がある。ストックホルムの大きな水辺とはまた違う、屋根の高さでたどれる街だった。
サンタ・マリア大聖堂では、椅子の列の先に祭壇を見て、色のついた窓を眺めた。一方、街には屋根を失った教会も残る。石の柱とアーチの向こうに、天井ではなく青空が見える。教会として使われ続ける建物と、壁や柱が残る遺構が、同じ街の中にあった。
大聖堂は1225年に献堂され、もともとドイツ商人たちと深く関わる教会だった。教会がいくつも造られた背景にも、商人や修道会など、街へ集まった人たちがいる。遺構の姿も、一度の戦争だけで説明できるわけではない。宗教改革に伴う放棄などを経て、役割や姿が変わっていった。
路地へ戻ると、建物の壁ぎわにバラが咲いていた。石畳の細い道に花がせり出し、葉は緑に黄や赤が交じり始めている。9月下旬でも、こんなに花が残っている。屋根と塔を見渡した眺めもよかったけれど、足を止めたくなるのは、こういう家のそばの小さな景色だった。
塀の上には猫もいた。映画を思い出したくなる材料が、いくつも目の前にある。けれど、花のある家も、猫のいる塀も、誰かが暮らしている場所だ。『魔女の宅急便』への興味でやって来た街を、僕は映画とは別の景色としても好きになっていた。
昼は、広場の近くのBakfickanへ。店の魚のロゴが入った紙袋がカウンターに置かれ、食卓には貝を盛った皿とスープ、ビールが並んだ。街と海のつながりを考えながら歩いた後に、今度は食卓の海のものに向き合った。午後は再び路地を抜け、空港へ戻った。
Stadshuskällaren: 島から戻り、もう一度市庁舎へ
夕方にはストックホルムへ戻り、その夜は市庁舎に併設されたレストラン、Stadshuskällarenへ行った。石のアーチが続く店内で、ビールを飲み、食事をした。昼間のヴィスビューの明るさから、ろうそくと窓の光のある食卓へ、旅の場所が変わった。
ノーベル賞の晩餐会が開かれる建物で、自分も食事をしている。前日に見た広間や、ノーベルの生涯について聞いた話が、食卓のそばまでつながってきた。
食事の後は、市庁舎の回廊と水辺を歩いた。アーチの向こうには夜の青が残り、対岸の灯りが水面に延びている。前日は夕焼けの輪郭として見ていた塔の、今度は足元にいる。
映画のモデル地っぽいぞ、という理由で来たスウェーデンで、僕はノーベルの葛藤や、ハンザ同盟の商人たちの話を聞いていた。最初からそれを学びに来たわけではない。けれど、実際に街を歩くと、気に入った景色の背景を知りたくなる。
バラの路地と、屋根の向こうの海。金色の広間と、夜の市庁舎の回廊。翌朝には空港へ向かった。短い旅だったけれど、気軽に選んだ行き先には、思っていたよりずっと多くの話があった。
この旅で訪ねた場所
都市間はブロンマ空港とヴィスビュー空港を飛行機で往復。経路線は描かず、訪問地点を表示しています。
おすすめのレストラン
ストックホルム
| 店名 | おすすめポイント | お会計 |
|---|---|---|
| Tranan Karlbergsvägen 14 | 旧市街から少し足を延ばし、オーデンプラン周辺でスウェーデンの料理と一杯を楽しみたいときに。バーでの食事にも使える店。今回はIsterband(ソーセージ料理)やRimmad Lax(塩漬けサーモン)などを注文した。 | 720.30 SEK 参考:約10,190円 飲食686 SEK+チップ34.30 SEK |
| Tradition Österlånggatan 1 | ガムラ・スタンの散策と組み合わせて、スウェーデンの定番料理を味わえる。今回のS.O.S.(ニシンなどの前菜)とKöttbullar(ミートボール)は、魚の前菜と肉料理を一度に試したい人の参考になる組み合わせ。 | 600 SEK 参考:約8,490円 飲食590 SEK+チップ10 SEK |
| Stadshuskällaren Hantverkargatan 1 | 市庁舎の見学とあわせて、石のアーチが続く空間で食事を楽しめる。今回は鹿肉料理Kryddstekt Hjortとビール、グラスワインを注文。ノーベル賞の晩餐会の会場を訪ねた後、建物の余韻を食卓でも楽しみたいときに。 | 640 SEK 参考:約9,050円 飲食632 SEK+チップ8 SEK |
ヴィスビュー
| 店名 | おすすめポイント | お会計 |
|---|---|---|
| Bakfickan Stora Torget 1 | 旧市街の広場近くで、街歩きの途中に魚介の昼食を取れる。今回はGillardeauの牡蠣2個、魚のスープFisksoppa、Wisby Pilsを注文。日帰りで街を歩きながら、食事にも海のものを選びたい人に。 | 440 SEK 参考:約6,220円 飲食433 SEK+追加7 SEK(控えの表記はEXTRA) |
2024年9月の領収書に記載された会計単位の総額です。
今回お世話になった宿
ストックホルム
今回の拠点は、コンフォート ホテル エクスプレス ストックホルム セントラル(Comfort Hotel Xpress Stockholm Central)。中央駅に近いKungsbron 1にあり、空港やヴィスビューへの移動を組み込む旅の拠点にした。コンパクト・ダブルルームを3泊、食事なしで予約した。
| 宿名 | 泊数 | 予約総額 |
|---|---|---|
| Comfort Hotel Xpress Stockholm Central | 3泊 | 3,997 SEK 参考:約56,530円 |
予約確認書のSEK表示を採用。
宿を地図で見る参考資料
- 『魔女の宅急便』美術監督・大野広司氏インタビュー(SUUMO)
- 市庁舎の内部と見学(ストックホルム市)
- 市庁舎とノーベル晩餐会(ストックホルム市)
- 授賞式と晩餐会(NobelPrize.org)
- なぜノルウェーなのか(ノルウェー・ノーベル委員会)
- ノーベルの生涯と遺言(NobelPrize.org)
- 母アンデリエッテの生涯(NobelPrize.org)
- ダイナマイトの開発と用途(Nobel Prize Lessons 2018)
- ノーベルの研究と文学への関心(ノーベル財団1996年開会挨拶)
- 平和賞とノーベルの平和観(NobelPrize.org)
- 中世のヴィスビューと城壁・倉庫(Region Gotland)
- 中世のハンザ同盟(都市連合THE HANSA)
- ハンザ同盟都市ヴィスビュー(UNESCO)
- サンタ・マリア大聖堂の歴史(教会公式)
- Bakfickan公式
- Stadshuskällaren公式
- Comfort Hotel Xpress Stockholm Central(ホテル公式)
- 2024年9月30日の為替レート(フランス銀行)
- Tranan公式
- Tradition公式・所在地
- ストックホルムの成立と中世の交易(Stockholmskällan)
- 商人の通りKöpmangatanの歴史(中世博物館・Stockholmskällan、2026年10月17日参照)
- ガムラ・スタンの街並みと建物(Visit Stockholm)
参考円額は2024年9月30日のフランス銀行公表レート、1EUR=159.82JPY・11.3000SEKから、1SEK=約14.1434円として算出。10円単位で四捨五入した概算であり、実際のカード請求額ではありません。





































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