フランス旅行記・マルセイユ/アヴィニョン/アルル/エクス=アン=プロヴァンス 編(後編)|歴史の重厚感と、画家の足跡をたどる

マルセイユ・アヴィニョン・アルル・エクス=アン=プロヴァンス旅行記。黄色いカフェのテラス ヨーロッパ・中央アジア

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2025年1月。ニースの海辺で新しい年の朝日を見たあと、僕はマルセイユへ向かった。穏やかな海辺から、長い歴史を抱えた街へ。アヴィニョンの石壁には権力の重みを感じ、アルルではゴッホを思いながら歩くうちに少し切なくなった。旧港のそばを拠点に、教皇の街、画家の街をたどる。旅先の景色に、その場所を選んだ人たちの期待や暮らしが重なっていく、南フランスの旅の後半だった。

マルセイユ、港を起点にプロヴァンスへ

元日のニースで海辺の朝日を眺めたあと、列車でマルセイユへ移動した。ここからは旧港のそばに宿を取り、アヴィニョンやアルルへ足を延ばす。海を見ながら過ごしたニースから、港を起点に街を巡る旅へと、南フランスの歩き方が変わった。

マルセイユの成り立ちは、紀元前600年ごろにフォカイアのギリシャ人が築いた植民市マッサリアにさかのぼる。海の向こうから来る人と物を受け入れてきた港なのだ。建国にはギプティスとプロティスの結婚物語も伝わるが、これは史実と同じようには扱えない伝説。都市の起源を人の出会いとして語り継ぐところにも、港町らしい物語がある。

丘の上のノートルダム・ド・ラ・ガルドからは、街と港を見渡した。現在の聖堂は19世紀に建設され、1864年に奉献されている。高い場所から見ると、旧港が街の一部でありながら、その形と方角を決める中心でもあることが分かる。街の中に戻ると、ラ・マジョール大聖堂の大きな縞模様の外観と、その内部の空間が続いた。

夕方の旧港には季節の飾りと灯りが並び、翌朝には同じ水面が違う色で写真に残っている。僕らが泊まったGrand Hotel Beauvauはその港に面していた。アヴィニョンやアルルから帰ってきたあとも、旅の終わりの場所としてこの港に戻る。周遊の拠点という実用的な選び方が、毎日の景色とも結びついた。

歴史・美術の参考:[1] [2] [3]

アヴィニョン、教皇がこの街にいた理由

アヴィニョンには、歴史の重厚感があった。教皇庁宮殿の厚い石壁と大きな中庭、その内部に続く広い空間。建物の規模を目の前にすると、ここで教皇が暮らしていたという事実が、遠い時代の説明だけではなくなる。同時に気になったのは、なぜローマの教皇が、この街にいたのかということだった。

その歴史は『アヴィニョン捕囚』と呼ばれる。ただし、教皇がこの街で逮捕され、宮殿に閉じ込められていたという意味ではない。一般に1309年から1377年にかけて、教皇たちがローマを離れてアヴィニョンを拠点にした時代を指す。フランス王権の影響を受けた教皇庁のあり方を、批判的に捉える呼び名でもある。

クレメンス5世がローマ行きを見合わせた背景には、ローマで続いていた政治的な争いがあった。一方で、フランスに関係する案件を処理し、教会会議を準備する必要もあった。アヴィニョンは当時、フランス王国の領内ではなく、そのすぐ近くにあるプロヴァンス伯の都市だった。近隣にはすでに教皇領のコンタ・ヴネサンがあり、ローヌ川を渡る橋は交通上の重要な利点になった。安全、政治、教会領との近さ、移動の便利さが重なった場所だったのだ。

滞在が続くにつれ、ここは教会を統治する政治・行政・財政の中心になった。宮殿の主要部分は1335年から1352年に造られ、1348年にはクレメンス6世が街そのものを購入している。初めから今の宮殿が教皇を待っていたわけではない。教皇庁がこの街に根を下ろしていく過程で、目の前の壮大な建物が形になった。

教皇庁が集まる場所には、絵を描く仕事も生まれた。イタリアから来たマッテオ・ジョヴァンネッティは、1343年にアヴィニョンに到着し、教皇の注文で礼拝堂などのフレスコ画を制作した。この場合、画家を土地へ引き寄せたのは自然の光だけではなく、宮廷の依頼と制作の機会だった。本人がこの街で感じたことを直接言い切る資料は手元にないが、壁面に物語を展開した仕事は、教皇庁の権威と美術が結びついていたことを伝えている。

なぜここだったのかを知ると、僕が感じた重厚感にも、もう少し具体的な輪郭が生まれる。石壁に残っているのは信仰の歴史だけではなく、どこに拠点を置き、どう権力を保つかという判断の積み重ねでもあった。1377年のローマ帰還後には教会分裂が起こり、アヴィニョンに別の教皇が立つ時代が続く。この街の歴史は、教皇が来た理由だけでなく、去ったあとの対立まで含んでいる。

宮殿のあとには、ローヌ川へ突き出すサン=ベネゼ橋へ向かった。途中で終わる橋の姿を、川の上から見ている。宮殿の石の大きさと、橋の先の空間。同じ街の歴史でも、残り方は一つではなかった。

歴史・美術の参考:[4] [5] [6] [7]

アルル、ゴッホを思いながら歩く

アルルは、ゴッホのことを思いながら歩くと、少し切なくなる街だった。フォーラム広場の黄色いカフェ、旧病院の中庭、街の外にある跳ね橋。絵で知っていた場所をたどると、作品の背景にあった生活のことも考える。彼はここで何を見て、どんな期待を持って描いていたのだろう。

街にはローマ時代の円形闘技場も残っている。内部へ入ると、客席とアーチの輪郭が街の中に大きく現れた。アルルをゴッホだけの街として見ると、この長い時間を見落としてしまう。古代の建物がある日常の中へ、19世紀の画家がやって来たのだ。

1888年2月、ゴッホがアルルへ向かったとき、求めていたのは南の光と色だった。とりわけ、日本の版画に感じた澄んだ大気や鮮やかな色の世界を、南フランスに見いだそうとしていた。日本を訪れたことのない画家が、版画から思い描いた日本を、この土地に探していたという関係が面白い。

アルルでの彼は、制作仲間と暮らす拠点も構想していた。黄色い家を整え、ゴーギャンを招き、『南のアトリエ』を実現しようとした。風景に惹かれただけでなく、その風景の中で、誰かと働く暮らしを始めようとしていたのだ。しかし共同生活は長く続かず、病の発作と入院を経験することになる。

カフェや中庭、橋を見ながら僕が感じた切なさは、彼の苦しみだけを思ったからではない。これから始まるはずだった制作や暮らしへの期待も、この街にあったと考えると、絵の明るい色が少し違って見えてくる。美しい作品が残っていることと、その人の毎日が穏やかだったことは、同じではない。アルルを歩いていると、その隔たりを考えてしまう。

歴史・美術の参考:[8] [9] [10]

エクス=アン=プロヴァンス、セザンヌが見続けた故郷

旅の最後に訪れたエクス=アン=プロヴァンスでは、街の中に噴水と市場があった。ミラボー通りから旧市街へ入ると、建物の間に細い道が続き、広場には野菜や果物が並ぶ。石造りの町という共通点があっても、アヴィニョンの宮殿やアルルの遺跡とは、目に入るものの大きさが違う。暮らしの道を歩くように、街を巡った。

セザンヌは1839年、この街に生まれた。学生時代にはゾラと親しくなり、周辺の自然の中で時間を過ごした。その後パリで制作する時期もあったが、エクスとその周辺の風景は、繰り返し描く対象になった。南仏を選んだ理由を『故郷だから』だけで片づけると、彼が同じ土地で続けた仕事の難しさが見えなくなる。

1874年の手紙では、故郷の風景が制作のための資源を与えてくれることを伝えている。一方で、家庭との関係や画家として生きることには葛藤もあった。親しんだ土地へ戻る安心と、目の前の風景をどう絵にするかという探究は、同時に存在していたのだろう。サント=ヴィクトワール山を繰り返し描いた仕事にも、既に知っている対象を、もう一度見ようとする姿勢がある。

僕はレ・ローヴのアトリエの前まで歩いた。今回は建物の内部ではなく、その周辺と入口の案内を見ている。1902年から晩年まで使った制作の場所をたどると、セザンヌが暮らした街と、仕事をする場所との距離を具体的に考えられる。作品を見ただけでは分からない、街の道のつながりがそこにあった。

旧市街に戻り、市場とサン=ソヴール大聖堂を巡った。この旅では、画家の土地をいくつか歩いた。マティスのニース、シャガールの村、ゴッホのアルル、そしてセザンヌのエクス。同じ南フランスでも、選んだ理由も、そこで続いた暮らしも異なる。海と石の景色を見ながら、その違いを考えた旅だった。

歴史・美術の参考:[11] [12] [13]

食事とバーを選ぶなら

今回利用した店から、マルセイユの魚介料理、アヴィニョンのワインバー、アルルの昼食、エクスの街歩き途中の食事を挙げたい。

店名・場所 特徴と今回の利用 お会計額
Les Arcenaulxマルセイユ・旧港近く 本とワインのあるレストラン。今回は帆立のテリーヌ、ブイヤベース、飲み物など。港町の料理を夕食の目的にしたいときに。 €138.00約22,500円
Le 46アヴィニョン・46 Rue de la Balance 教皇庁宮殿近くのレストラン兼ワインバー。散策の合間の食事にも、ワインを選ぶ休憩にも候補になる。今回のカード決済額。 €59.50約9,700円
Le Cochon qui Fumeアルル・旧市街 今回は店名と同じ名前の料理、もう一皿、栗のティラミスと飲み物など。旧市街の散策と昼食を組み合わせたいときに。 €70.50約11,500円
Le Ramusエクス・12 Place Ramus 旧市街の広場にあるレストラン。今回はシーザーサラダとサン=ジョゼフの赤ワイン。街歩きの途中に食事をとった。 €36.00約5,870円

金額は旅行当時の一会計の合計。会計票または決済票に基づき、1人あたりの料金には換算していない。現在のメニューや営業日は各店の案内を確認してください。

旧港の景色を眺めながらバーを選ぶなら、泊まったGrand Hotel BeauvauのLe Beauvauも候補になる。ホテル公式案内では港を見渡すラウンジバーとして紹介されている。こちらは今回の利用を確認した店とは別に、滞在先の設備として紹介しておきたい。

今回泊まった宿

マルセイユでは、Grand Hotel Beauvau Marseille Vieux-Port – MGallery Collectionに3泊した。旧港に面する4 Rue Beauvauにあり、今回予約したのはデラックス・ダブルルームの旧港ビュー。街に戻ってきた夜にも、翌朝にも、港が滞在の景色になった。

公式案内によると、ホテルは1816年創業で、ジョルジュ・サンドやショパンが滞在した歴史を持つ。旅先の宿にも、街の文化の続きがある。港を眺めることを滞在の一部にしたいときに、候補にしたい宿だ。

宿名 泊数 予約総額 参考円
Grand Hotel Beauvau Marseille Vieux-Port 3泊 €690.90予約確認書の表示額。現地追加精算は含めて確定していない 約112,660円

参考資料・円換算について

日本円は1ユーロ=163.06円(ECB、2024年12月31日)の参考値で換算し、10円単位に丸めた概算。実際のカード請求額とは異なる。ECBの基準日資料。店舗・ホテルの公開情報確認日:2026年10月12日。

  1. https://www.marseille-tourisme.com/decouvrez-marseille/culture-et-patrimoine/sites-et-monuments/le-vieux-port/
  2. https://www.marseille-tourisme.com/decouvrez-marseille/culture-et-patrimoine/sites-et-monuments/la-basilique-notre-dame-de-la-garde/
  3. https://all.accor.com/hotel/1293/index.ja.shtml
  4. https://podcasts.institutdefrance.fr/emissions/un-jour-dans-lhistoire/les-papes-sinstallent-en-avignon-1309-1376
  5. https://palais-des-papes.com/9-papes-a-avignon/
  6. https://palais-des-papes.com/le-parcours-de-visite/
  7. https://palais-des-papes.com/des-fresques-inestimables/
  8. https://www.vangoghmuseum.nl/en/art-and-stories/stories/inspiration-from-japan?v=1
  9. https://www.vangoghmuseum.nl/en/art-and-stories/vincents-life-1853-1890/south-of-france?v=1
  10. https://catalogues.vangoghmuseum.com/contemporaries-of-van-gogh-1/cat60
  11. https://www.societe-cezanne.fr/2013/08/27/le-jas-de-bouffan/
  12. https://www.museegranet-aixenprovence.fr/fileadmin/user_upload/DP_Cezanne_chez_lui_annee_II_VF.pdf
  13. https://www.cezanne-en-provence.com/L-Atelier-des-Lauves?lang=fr

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