空港からGrabでマカティの宿へ向かう。2026年1月中旬。今回の旅では、この街を拠点にマニラを歩くことにした。
来る前には、少し身構えていた。前年の夏、マニラで日本人が殺害されたというニュースを見ていたからだ。知らない街を歩く楽しみのそばに、気をつけなければ、という気持ちがあった。
宿はシティ・ガーデン・グランド・ホテル。周囲には高いビルが並ぶ。マカティはマニラ首都圏を構成する市の一つで、これから訪ねる城壁の街、イントラムロスがあるマニラ市とは別の市だ。ひとまとめに「マニラ」と呼んでいた場所にも、いくつもの街がある。

サンチャゴ要塞と第二次世界大戦
翌朝、Grabでサンチャゴ要塞へ向かった。高い建物が並ぶマカティから、城壁に囲まれたイントラムロスへ。車を降りると、石造りの門が目の前にあった。門の上には細かな彫刻が施され、左右に厚い壁が続いている。
半袖とショーツで歩く。日なたでは少し汗ばむが、歩き続けるのがつらい暑さではない。1月も半ばを過ぎた頃のマニラは、僕にはちょうどよかった。

敷地を歩き、現地の説明板を読んだ。そこには第二次世界大戦中の日本軍の話があった。日本軍はこの要塞を占領し、人々を収容した。ここで命を失った人たちがいた。
スペイン時代の要塞を見に来たつもりで、僕は日本の戦争の歴史を読んでいた。石の門の前で写真を撮ることと、その内側で何があったのかを知ることは、同じ場所にいてもずいぶん違う。説明板から顔を上げ、もう一度、壁を見た。
要塞は1945年のマニラの戦いで大きな被害を受け、その後に修復された。いま歩いている街並みは、植民地時代の姿がそのまま残ったものばかりではない。壊れた後に、つくり直された部分もある。
石畳の先に、海を渡った歴史がある
要塞を出て、マニラ大聖堂へ歩く。石の正面にいくつものアーチが重なり、その奥には長く椅子が並んでいた。外の通りから入ると、視線が自然に建物の奥へ向かう。

どうしてこの街に、これほど大きな教会や城壁があるのだろう。マニラが栄えた背景には、港と、そこへ集まる交易があった。スペインの支配が始まる以前から、ここはアジアの商人が行き交う土地だった。スペインは16世紀後半、この港を植民地支配の拠点とし、太平洋の向こうのメキシコと結び付けた。
マニラからアカプルコへ向かうガレオン船には、中国などアジアから集まった絹や陶磁器が積まれ、反対向きにはアメリカ大陸の銀が運ばれた。スペインと聞いて思い浮かべるヨーロッパだけでなく、メキシコも、この街の歴史のすぐ近くにある。
大航海時代、ポルトガルがアフリカを回る航路でアジアへ進んだ一方、スペインはアメリカ大陸を経て太平洋へ進んだ。マニラの城壁や教会につながるのは、後者の航路と支配の歴史だ。
通りへ戻ると、頭の上に色とりどりの小さな旗が渡されていた。古い建物の前を車が通り、自転車に客席を付けた乗り物が路肩にいる。石畳を歩く人をよけながら、サン・アグスティン教会へ向かった。

サン・アグスティンでは、教会に隣接する博物館の回廊を歩いた。展示室には宗教美術が並び、階段の先にも、また部屋が続いていた。外から建物を見るだけでは分からなかった広さがある。

回廊の開口部からは中庭が見えた。芝生の周りを建物が囲み、ヤシが高く伸びている。さっきまで石畳の上を歩いていたのに、ここでは建物の内側をぐるりと回り、同じ庭を違う角度から見ている。日なたに出ては、また屋根の下へ入った。

スペインの統治の後には米国の統治があり、日本軍の占領と戦争を経て、フィリピンは1946年に独立した。教会の大きさに驚いていたところから、ここで暮らしてきた人たちは、支配する国が変わるたびにどんな暮らしをしていたのだろう、と考えるようになった。
ヨーロッパ風の建物がある、というだけでは見落としてしまうものが多い。遠いメキシコと船が行き来していたことにも驚いたし、その後の戦争に日本が深く関わっていたことは、要塞を歩いたばかりの僕には遠い話と思えなかった。きれいな街並みを眺める楽しさと、そこで起きたことを知った後の落ち着かなさが、一緒に残った。
マカティへ戻ると、高い建物の間に夕日が見えた。ビルの輪郭に太陽が重なり、その周りの空が橙色になっていた。下には、低い屋根がぎっしり並んでいる。朝に出た街も、見下ろすとまた違って見えた。

マカティの教会で、黒いキリスト像を見る
翌日はマカティのポブラシオンを歩いた。通りには車とバイクが並び、電線が建物の前を横切っている。その中で目を引くのが、細長い車体のジープニーだった。金属の車体に文字や色が入り、乗用車とはずいぶん形が違う。ここでは、その独特な乗合の車も日々の移動を担っている。

忙しそうな道路のそばに、聖ペテロ・聖パウロ教会があった。門の上の名前を確かめて、中へ入る。高いビルのあるマカティにも、こういう古い教会がある。
中で見たのは、十字架を担いだ黒いキリスト像だった。赤い衣に金色の刺繍があり、顔と手は黒い。その姿を見て、朝、ホテルで聞いた話を思い出した。
出かける前に、ホテル内にある観光案内のレセプションで、マカティのあたりで見ておくとよい場所を尋ねていた。
「昨日はイントラムロスへ行ったので、今日はこの辺りを歩こうと思っているんです」
「それなら、ポブラシオンの聖ペテロ・聖パウロ教会はどうですか」
教会の話から、黒いキリスト像のことになった。
「黒いナザレ像には、船の火事で黒くなったという言い伝えがあるんですよ。メキシコから運ばれてくる途中に」
「火事に遭っても、像は残ったんですか」
「そう伝えられています。キアポの像の話が有名ですね」
「なるほど。そんな話があるんですね。教会に寄ってみます」
そのとき聞いたのは、キアポで崇敬される黒いナザレ像にまつわる伝説だった。いま目の前にあるマカティの像そのものの来歴とは別の話だ。それでも、朝に聞いた言い伝えを思い出しながら見ると、十字架を担いだ姿が気になって、しばらくその前にいた。

通りには、また車が並んでいた。マニラにもマカティにも、場所や時間によって用心が必要なところはある。それでも、今回、教会を訪ねたり街を歩いたりしている間、僕自身は身の危険を感じなかった。出発前に想像していた緊張と、実際に過ごした時間には違いがあった。
マニラ湾を歩く
夕方はGrabでマニラ湾へ向かった。車を降りて、海沿いを歩く。マカティでは建物の間を探していた空が、ここでは海の上まで広がっていた。
雲の下に、橙色の明るいところが残っている。沖の船が黒い形になり、海にもその色が映っていた。歩きながら眺めていると、見る位置が少し変わるだけで、船と空の重なり方も変わる。

きれいだった。ビルの間で見た前日の夕日もよかったけれど、海沿いを歩きながら見るこの夕焼けには、素直に感動した。写真を撮って、少し歩いて、また海を見る。似た景色なのに、もう一枚撮っておきたくなる。
空の色が薄くなっても、すぐには海沿いを離れなかった。もう少し先まで歩いてから、戻ることにした。
おすすめのレストラン
| 店名 | 特徴 | お会計額 |
|---|---|---|
| Alamat Filipino Cuisine | フィリピン料理をアレンジした料理が揃うポブラシオンの店。牛肉のビステックにマッシュしたサツマイモを合わせるなど、付け合わせにも工夫がある。 | PHP 1,416.07(参考:約3,721円) |
| Tiabuela Cocina Española | エビを使ったガンバス、一口サイズのピンチョス、パエリアが揃うスペイン料理店。小皿をいくつか選んでサングリアと合わせる楽しみ方もでき、食事にも軽く飲みたいときにも使いやすい。 | PHP 539.20(参考:約1,417円) |
| Firefly Roofdeck | City Garden Grand Hotelの32階にあるルーフトップレストラン。マカティの高層ビルを見渡せる眺めが魅力。食事だけでなく、カフェラテや紅茶でひと息つく使い方もできる。 | PHP 275(参考:約723円) |
| Jollibee | フライドチキン「チキンジョイ」と甘口の「ジョリースパゲッティ」が看板メニュー。ハンバーガーだけでなく、チキンやスパゲッティも定番に並ぶ、フィリピン発のファストフード店。 | PHP 200(参考:約525円) |
宿
| 宿名 | 泊数 | 総額 |
|---|---|---|
| City Garden Grand Hotel(マカティ) | 3泊 | PHP 15,370.99(参考:約40,386円・朝食付き) |
ペソの金額は旅行当時の実績です。日本円は2026年1月30日の参考レート(1 PHP=2.6274円)による換算値で、実際の決済レート・円請求額とは異なります。現在の料金を示すものではありません。
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