夜の旧市街から始まる旅

2025年12月、バクーに着いた。入国審査では、以前アルメニアに行った理由を聞かれた。両国はナゴルノ・カラバフをめぐって長く対立してきた。そうした背景から、過去の渡航目的を確かめたかったのかもしれない。あくまで僕の推察で、審査官から質問の理由を説明されたわけではない。
僕にとっては、それぞれの国を見たくて出かけた旅だった。けれど国境では、隣国を訪れたというだけで、理由を尋ねるべき経歴になる。旅先を自由に選べる自分と、この地域で暮らす人とでは、隣の国との距離の感じ方も違うのだろう。入国の短いやり取りで、地図を眺めているだけでは意識しなかった隔たりを感じた。
もっと詳しく聞かれるかと思ったものの、入国は意外とすんなりできた。新しい旅が始まる。そのことが、まずうれしかった。

街に入る頃には夜が深くなっていた。照明を受けた石の塔が目の前に現れる。宿は旧市街のシャー・パレス。翌日、明るくなってから見る中庭には、細い柱とアーチが幾重にも並んでいた。
バクー旧市街、宮殿と路地を歩く


旧市街を歩き始める。建物の間は思ったより狭く、張り出したバルコニーや扉が近い。車も人も通るし、窓辺には鉢植えがある。歴史のある街を見に来たつもりで、その中にある普段の暮らしを見ていた。


シルヴァンシャー宮殿は、旧市街の高い場所にある。主に15世紀の建物が残る、かつてこの地方を治めた支配者たちの宮殿だ。石の入口をくぐると、壁と同じ色の装飾が近くでようやく見えてくる。派手な色がないぶん、彫りの深さや、小さな模様の繰り返しに目が向いた。
宮殿という名前から、大きな一棟を想像していた。けれど、ここには住まいだけでなく、モスク、王家の墓、浴場の跡まである。暮らし、祈り、亡くなった家族を葬る場所が、ひとつの敷地に集まっている。王の権力を見せる建物だと思って来たのに、見ているうちに、その周りで営まれていた生活の方が気になった。
敷地にあるムラド門は16世紀のものだという。宮殿全体が、同じ時代に一度につくられたわけでもない。入口を抜け、建物の間を歩くたびに、少しずつ別の時代へ入っていくようだった。外に目を向ければ、遠くにはフレイム・タワーが見える。この街では、古い建物を見ている最中にも、いまのバクーが視界に入ってくる。


宮殿を出ても、すぐ次の場所へ向かう気にならなかった。赤い扉の開いた細道で立ち止まり、建物の向こうを眺める猫を見つける。こういう寄り道ができるのは、歩いているときのいいところだ。現役を引退したあるサッカー選手が「旅の経験値は歩いた距離に比例する」と言っていた。ぼくはまだその言葉を信じている。
昼ごはんのあと、海の見える方へ


昼食は旧市街で。装飾の多い店内で席につき、米料理の皿を前にする。細長い米の上に具がのり、奥にはパンの籠。歩いている間とは違う距離で、この土地のものを眺める時間になった。

食後は、旧市街の路地からフレイム・タワーの方へ。近づいて見上げると、曲線を描くガラスの壁が空へ伸びていた。

坂の上からは街とカスピ海が見渡せた。建物に挟まれていた視界が、ここではずっと先まで続く。海岸に沿って広がる街を見て、さっき歩いた場所を探したくなった。
アテシュギャーフ、火を囲む祈りの場所

夕方には、バクー郊外のアテシュギャーフへ。低い石造りの建物が中庭を囲み、その中央で火が燃えていた。

近くまで行くと、アーチの向こうに青みの残る空が見える。暗い石と、橙色の炎。その差が思っていた以上に強かった。
この半島では、地下から出るガスと火が、古くから人々の信仰と結びついてきた。アテシュギャーフもゾロアスター教との関わりで知られるが、今に残る寺院の歴史には、17〜18世紀に訪れたインドの人々の信仰も重なっている。遠くから来た商人や巡礼者にとっても、祈りの場所だった。
火を見るために旅をして、ここで祈った人がいた。そう考えてから眺めると、中央に火があるだけの簡素なつくりが、かえってしっくりきた。壁を飾り立てなくても、目は自然と炎に向かう。アーチの内側で形を変え続ける火を、もう少し見ていたかった。
夜のヤナルダグへ

次に訪れたヤナルダグでは、火は建物の中ではなく、斜面に沿って燃えていた。周囲が暗いぶん、炎の形がはっきり見える。地面から火が出続けている光景には、少し子どもっぽい気持ちまで刺激された。ここは夜に来られてよかった、と思った。
バクーに戻って、夕食と夜の街

バクーに戻り、夜はフィルゼで食事をした。アゼルバイジャンのビール、ヒルダランがしみる。皿とグラスの並ぶテーブルを前にすると、歩いたり移動したりしていた一日が、ようやくゆっくりした速さになる。

外では大きなツリーの周りに人が集まり、頭上には何本もの明かりが広がっていた。
バクーを離れ、シャマキから山の方へ

翌朝は、バクー発の日帰りツアーへ。シャマキのモスクに寄り、イスマイリ方面を経てガバラで昼食。午後はキシュの教会とシェキの宮殿、キャラバンサライを巡り、夜にバクーへ戻る。今日は海辺の首都から、山のふもとの古都まで足を延ばす。
案内役はラシッド。バクーの城門を離れ、車で西へ向かう。街を歩くだけでは分からなかったことを、道中で少しずつ聞いていく。


シャマキのジュマ・モスクに着く。ミナレットの根元には「743」の数字が刻まれていた。その年からここに立っているのだとしたら、ずいぶん新しく見える。石の面も装飾も整っていて、僕の考えていた「古いモスク」の姿とは違った。
「あの743は、建てられた年?」
「最初のモスクがつくられた年だよ。今見えている建物が、そのまま残っているわけじゃない」
ラシッドは、地震や争いで何度も傷つき、建て直されてきたことを話した。1859年の大地震、そして1918年の民族間の衝突。現在の姿につながる大規模な再建は2013年だという。
「だから、こんなに新しく見えるんだ」
「うん。743年は、この場所での始まりを示しているんだ」
数字だけ見れば、千年以上の歴史はひと続きに思える。けれど、その間には建物が壊れ、またつくり直すことを選んだ人たちがいた。新しい石だから歴史が薄い、と思いかけた自分が少し早計だった。

中へ入ると、高い天井と青い装飾が目に入った。きれいだな、と見上げる気持ちは変わらない。ただ、ここまで直して使い続けようとしたことの方も、さっきより気になっていた。

再び車に乗り、山の方へ進む。道のそばには川が流れ、町を離れた景色が続いた。昼はガバラで食事をとる。遠くまで来た感じは、目的地の看板より、こうした途中の景色から少しずつ増えていく。
キシュの教会で、地面の下の時間を見る


午後、キシュの村へ。通りから教会へ向かう間に、古い木の扉や石の壁が目に入った。小さな教会の周りには、冬の枝を広げた木が立っている。バクーで見た高い塔とは、建物も、周りの空間の広さも違っていた。
キシュ教会は、古代のコーカサス・アルバニアの歴史と結びつけて紹介される場所だ。ヨーロッパのアルバニアとは別の、この地方にあった国の名前である。教会の敷地では、キリスト教より前の祭祀の痕跡も見つかっている。
墓の展示をのぞくと、建物の形を眺めていたときとは違う実感があった。ここに誰かが暮らし、死んで、葬られた。大柄な人の骨も出ているという。今この辺りに住む人々とは違う集団の骨だ、という話も気になった。
「ずっと同じ人たちが暮らしていた、というわけではないんだね」
ただ、骨の大きさだけで人種や民族が決まるわけではない。その話から、住民が丸ごと入れ替わったとまでは言えないのだろう。
ラシッドと話しているうちに、今の国の名前だけで、この土地の長い歴史を考えるのは難しいと感じた。人が移動してきて、土地に根づき、信じるものや話す言葉も変わっていく。目の前の小さな教会にも、その変化の一部が残っている。
建物の研究では、祭壇側の床が後の時代に高くされたことも分かっている。礼拝のあり方が変われば、同じ建物の中の高さまで変わる。単に古い教会を一つ見た、では済ませにくい場所だった。
シェキ・ハーン宮殿の、写真に残せなかった窓

シェキ・ハーン宮殿の前には大きな木が立っていた。葉の落ちた枝の間から、細かい模様で覆われた正面が見える。近づくと、壁も窓も軒下も、見るところがなかなか尽きない。
「この町には、どうしてこんな宮殿があるの?」
「シェキは絹の生産や取引で栄えた町なんだ。シルクロードを通る商人たちも、ここへやって来た」
18世紀末につくられた宮殿は、シェキを治めたハーンたちの時代の建物だ。絹がもたらした富は、宮殿だけでなく商人たちの家にも残っている。シルクロードという言葉から、僕はつい砂漠を進む隊商を想像していた。けれど、山のふもとのこの町でも、糸をつくり、売り、旅人を迎える人たちがいた。

窓を近くで見ると、色ガラスが細かい木の枠にはめ込まれている。
「これはシェベケという細工で、釘も接着剤も使わずに組んでいるんだ」
「この細かさで?」
窓全体の模様を見ていた目が、一つひとつのつなぎ目を追うようになった。色の美しさだけでも十分なのに、それを支える木の仕事まで気になってくる。
中に入って見たステンドグラスは、これまで見てきた中でもトップクラスに美しかった。宮殿内では撮影ができなかったけれど、むしろここはしっかり見ておきたいと思った。外観の写真は何枚もあるのに、いちばん印象に残った窓は写真にない。
中庭を囲む、二層のアーチ

宮殿をあとにして、キャラバンサライへ向かった。入口の厚い壁と丸い天井を見ながら、奥へ進む。

入口を抜けると、四角い中庭が開けた。二層のアーチが同じ間隔で続き、上階には手すりのある回廊が巡っている。外から見た建物の重さに対して、中は空が広く見えた。
同じ形が並んでいるだけなのに、単調には感じない。日が当たる石の面と、アーチの奥の暗がりが交互に続く。飾りを一つずつ追った宮殿とは違って、ここでは庭を含めた建物全体を見ていたくなった。
キャラバンサライは、交易の道を移動する商人たちの宿だった。シェキでは、18世紀の洪水で町が大きな被害を受けたあと、交易の発展とともにこうした宿や商店が整えられていった。
「絹を売る人も、買いに来た人も、この町で足を止めたんだね」
「宮殿だけでなく、こういう宿も商業の町だったことを伝えているんだ」
ラシッドの話を聞きながら回廊を見る。扉がいくつも同じ庭に向いている。初めて来た旅人も、部屋を出れば、ほかの旅人がいる場所へ自然に出てくるつくりだ。違う土地から来た人たちが、ここで顔を合わせていたところを想像した。
一晩泊まりたかったのは、古い宿だからというだけではない。朝になって、中庭のどちら側から光が入るのか。回廊の影がどう変わるのか。時間を変えて、この建物を見てみたかった。

階段には猫が座っていた。建物の写真を撮っていたはずなのに、また猫の前で足が止まる。宮殿でも路地でも、こうして何度か寄り道をした。

外に出ると、街灯がついていた。まだ少し明るさの残る空の下を歩く。キャラバンサライの部屋に泊まる予定はなく、今夜の宿はバクーにある。もう少しいたかったな、と思いながら、通りを一枚撮った。
おすすめのレストラン
| 店名 | 特徴 | お会計 |
|---|---|---|
| Firuzə(フィルゼ)/バクー | 串焼きに、薄い生地で具を包んだクタブを合わせられる店。肉料理だけで食卓を重くせず、地元のヒルダランビールと一緒に楽しめる。 | 33 AZN 参考:約3,019円 |
| Asgard Restoran Qəbələ/ガバラ | ザクロを使った羊肉料理や、肉入りのブリンチキがある。羊肉と果物を組み合わせる、この土地の料理に触れられる昼食の一軒。 | 44.99 AZN 参考:約4,117円 |
今回泊まった宿
Shah Palace Luxury Museum Hotelはバクー旧市街にある宿。柱とアーチに囲まれた中庭が印象に残った。旧市街を歩く旅の拠点として、宿を出てそのまま路地へ入れる立地がいい。
| 宿名 | 泊数 | 総額 |
|---|---|---|
| Shah Palace Luxury Museum Hotel シャー・パレス・ラグジュアリー・ミュージアム・ホテル |
3泊 | 389.10 AZN 参考:約35,603円 |
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シェキへ向かう日帰りツアー
利用したのは、GetYourGuideで予約した「バクー発:シェキ、ガバラ、イスマイリ、シャマキの1日ツアー」。英語ガイド付きで、バクーから郊外の町を巡って戻る行程だった。予約料金は€51.22(参考:約9,241円)。食事や一部施設の入場料は別途かかるため、予約時には含まれるものを確認しておきたい。
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バクー発のほかの日帰りツアー
以下は予約先を検討するための紹介です。今回利用したツアーとは異なります。
金額は2025年12月の旅行時のものです。日本円はアゼルバイジャン中央銀行の2025年12月1日公表レートから計算した参考値(1 AZN ≒ 91.50円、1 EUR ≒ 180.41円)で、実際の円決済額ではありません。現在の料金とは異なります。


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