ドイツ旅行記・クロンベルク/フランクフルト/コッヘム/マインツ 編|宮殿ホテルに泊まり、写真で見た街へ

ドイツ・クロンベルク/フランクフルト/コッヘム/マインツ旅行記。シュロスホテル・クロンベルクの外観。 ヨーロッパ

ホテルの廊下には絵画や調度品が並び、大きなクリスマスツリーが飾られていた。木の梁が渡る天井と白黒の模様が続く床の間を歩くと、ここがかつて誰かの住まいだったことが気になってくる。

ドイツの古城に泊まってみたいという思いから選んだのは、フランクフルト郊外にあるシュロスホテル・クロンベルク。二泊したあとはフランクフルトの街を歩き、以前から写真で見ていたコッヘムへ向かった。年が明けてからはマインツを訪ねた。

この旅の章
  1. シュロスホテル・クロンベルク: 皇后が夫の記憶とともに築いた住まい
  2. クロンベルク旧市街: 宮殿より古い、城下町の路地を歩く
  3. シュテーデル美術館: ルノワール《読書する少女》の視線をたどる
  4. フランクフルト: マイン川の眺めから夜の食卓へ
  5. フランクフルト中央駅: 年末の列車でコッヘムへ
  6. コッヘム旧市街: 絵葉書のような景色に残る街の歩み
  7. ライヒスブルク・コッヘム: 廃墟から再建された丘の上の城
  8. マインツ旧市街: ローマの軍営から続く街を歩く
  9. マインツ大聖堂: 火災と再建を重ねた赤い聖堂
  10. 聖シュテファン教会: シャガールの青い窓に込められた和解

シュロスホテル・クロンベルク: 皇后が夫の記憶とともに築いた住まい

クロンベルクはフランクフルトの北西にある街だ。ホテルの庭園には芝生が広がり、その向こうに塔やいくつもの屋根を持つ建物が立っている。夜に歩いた重厚な館内と昼間に庭から眺める外観では、同じ建物でも印象が違った。

ただし泊まったのは中世に築かれた防御のための古城ではなく19世紀末に建てられた宮殿だ。思い描いていた古城とは成り立ちが違う。それでも絵画や調度品に囲まれた廊下を歩き、庭から塔を眺める時間には歴史ある住まいに泊まる雰囲気を十分に楽しめた。

このホテルで特に印象に残ったのはその歴史だった。かつてフリードリヒスホーフと呼ばれた宮殿を建てたのはドイツ皇后ヴィクトリアだった。イギリスのヴィクトリア女王の長女であり、ドイツ皇帝フリードリヒ3世の妻でもある。

夫が皇帝として在位したのはわずか99日で、その死後ヴィクトリアはこの地に新しい住まいを築き、亡き夫にちなんでフリードリヒスホーフと名づけた。皇帝が妻へ贈った宮殿ではなく、夫を亡くした皇后自身が建てた場所だった。出典

建物は19世紀末のものだが、英国のチューダー様式やルネサンスの要素が取り入れられている。室内には夫婦で長年集めた美術品を置き、庭園は英国式に整えた。一方で建設当初から電灯や中央暖房も備えていたという。古い様式を選んだ外観と当時の新しい設備が一つの住まいの中にあった。出典

ヴィクトリアは晩年をここで過ごし、1901年に亡くなった。宮殿は娘マルガレーテへ受け継がれ、1954年からホテルとして旅人を迎えるようになる。出典

朝はホテルの食堂で朝食を取った。白いテーブルクロスのある室内から、料理の並ぶビュッフェへ。泊まることで、宮殿の中で食事をする時間も持てた。

古城に泊まりたいと思って選んだ宿には一人の女性の出自や夫との別れ、その後の暮らしが重なっていた。廊下の絵画も庭園も豪華な装飾というだけではなくこの家でどう暮らしたかったのかにつながっている。ここだけで一つの物語になりそうな歴史だった。

クロンベルク旧市街: 宮殿より古い、城下町の路地を歩く

ホテルで過ごす合間にはクロンベルクの街にも出た。細い道の両側に木の骨組みを見せた家が並ぶ。白い壁に濃い柱が走る家や淡い黄色の家の間を道が折れ曲がり、坂の先の景色を隠している。

泊まった宮殿と街の起源になったクロンベルク城は別の建物だ。中世の城の最も古い部分は12世紀後半にさかのぼる。その下に城で働く人や職人たちの集落が育ち、14世紀には都市としての権利を得た。街は段階的に広がり、15世紀半ばに達した範囲を19世紀半ばまで保ったという。出典

宮殿ホテルができる何百年も前から、この坂道には城とともに暮らす人たちの生活があった。そう考えると、建物が密に並ぶ路地にも地形に沿って街が育った時間が見えてくる。ホテルの敷地の広さとは対照的な家と家の近さだった。

旧市街ではグリューネ・ガンスで食事をした。入口には店名の看板があり、食卓にはビール、薄切りの肉や野菜を盛った一皿、そのあとに肉料理が並んだ。街を眺めるだけでなく、店の中で食事をする時間もこの街で過ごした二泊に含まれている。

夜になると、広場のクリスマスツリーが灯り、建物の間にも電飾が渡されていた。昼間に見た木組みの家が、今度は灯りの中に浮かぶ。二泊したことで、宮殿とその近くの街を昼と夜の両方で歩けた。

シュテーデル美術館: ルノワール《読書する少女》の視線をたどる

クロンベルクを離れ、フランクフルトへ戻った。大聖堂近くのパウラナー・アム・ドームで昼食を取り、白ソーセージやプレッツェルを食べた。その後、マイン川の南岸にあるシュテーデル美術館を訪ねる。館内では人物画や風景画を見て回った。

美術館の始まりは銀行家で商人でもあったヨハン・フリードリヒ・シュテーデルの遺言にある。1815年、彼は自宅や美術品、財産を財団へ遺すことを定めた。皇后の住まいに続いて訪ねたのは市民の収集が街に開かれた美術館だった。出典

ピエール=オーギュスト・ルノワールの《読書する少女》は1880年の作品だ。花を飾った帽子をかぶる少女が本へ視線を落としている。画面の大きさは縦57センチ、横47.5センチ。人の等身大の姿を描いた肖像画とは違い、一人の読書の時間を近くから見るような絵だった。出典

少女はこちらを見ていない。顔立ちは丁寧に形づくられている一方、背景や花には筆を動かした跡が残っている。美術館の解説でもこの描き方の違いが指摘されている。花や背景を一つずつ細密に埋めず、色の集まりで見せているところに印象派の絵画らしさがある。出典

この絵はパリの個人蔵から1898年の競売を経て画商ポール・デュラン=リュエルの手に渡り、1910年にフランクフルト市が購入した。フランスで描かれた一枚が収集や売買を経て今はドイツの街の美術館にある。出典

サンドロ・ボッティチェリの《理想化された女性の肖像》では、横顔に沿う髪の編み目や真珠の飾りが目に入る。シモネッタ・ヴェスプッチの特徴を持つとされるが、目の前の人物をそのまま写した肖像というより、ニンフの姿に託した理想像だという。黒い背景の前に浮かぶ横顔は、ルノワールの柔らかな色の重なりとは違う輪郭の明確さを持っていた。出典

ヨハネス・フェルメールの《地理学者》では、窓からの光を受けた人物がコンパスを手にしている。背後には地球儀が置かれ、壁には地図が掛かる。地図を広げた机と窓の外へ向く視線を、一枚の絵の中でたどった。出典

絵の来歴をたどると、展示室には制作された時代だけでなく、その後に作品を受け継いだ人や街の時間も重なっている。宮殿の美術品とこの美術館の絵画を、それぞれ違う道筋で残されたものとして同じ旅の中で見ることになった。

フランクフルト: マイン川の眺めから夜の食卓へ

美術館を出ると、マイン川の向こうに街並みが広がっていた。川沿いの建物の上から大聖堂の塔が伸び、水面には冬の空が映っている。

高層ビルや川越しの赤い塔など、同じフランクフルトでも歩く場所によって目に入る建物が変わる。郊外の宮殿と旧市街を歩いたあと、今度は川を挟んで街を眺めた。

夜はツヴェルフ・アポステルの灯りのついた看板の下から店に入り、ビールとソーセージを食べた。皿の上には色や太さの異なるソーセージが並んでいる。美術館と川辺を歩いた一日はここでの食事まで続いていた。

フランクフルト中央駅: 年末の列車でコッヘムへ

翌朝はフランクフルト中央駅から列車に乗った。大きな屋根の下にホームが並び、行先を示す表示が光っている。ここから目指すのは以前から写真で見ていたコッヘムだ。

列車の窓からは川沿いに続く家並みや斜面が見えた。街の中を歩く時間から、窓の向こうの景色を眺める時間へと移り、年末の旅の目的地がもう一つ近づいていた。

コッヘム旧市街: 絵葉書のような景色に残る街の歩み

モーゼル川沿いに家が集まり、その上の丘に城が立つ。コッヘムは実際に訪れてみても絵葉書のような街並みだった。

川辺から見ると城と街が一つの景色に収まる。家々の屋根の上に斜面が続き、その高いところに塔が見える。旧市街に入ると細い路地に家が迫り、通りの奥に別の建物が重なる。広場にはクリスマスツリーが残っていた。

この街の記録は9世紀にさかのぼり、中世には城とともにトリーアの大司教の支配下に入った。モーゼル川は長く、人や物を運ぶ主要な道だった。川沿いに家が集まる景色は、眺めの良さだけでできたものではない。川とともに暮らし、商いをしてきた街の姿でもある。出典

ただ、目の前の街並みが中世から無傷で残っているわけではなかった。1689年、フランス軍によって城とともに街の大部分が破壊された。その後の再建では従来の道筋が引き継がれたという。出典

絵葉書のように見えた景色にも、壊れた建物を建て直し、街を続けてきた時間がある。細い道の形が残り、その両側に家や店が並んでいることに、見た目の美しさとは別の厚みを感じる。写真で見ていた全景とその中を歩いて見た路地がようやく一つにつながった。

ライヒスブルク・コッヘム: 廃墟から再建された丘の上の城

旧市街から坂を上がり、コッヘム城ことライヒスブルク・コッヘムへ向かった。城はモーゼル川より100メートル以上高い場所に立つ。近づくにつれ、川辺から見上げていた塔や石壁が大きくなった。

ライヒスブルクは「帝国の城」という意味だ。中世に神聖ローマ帝国の王の所有となった歴史に由来する。その後、城と街はトリーアの大司教へ担保として渡され、買い戻されないままその支配下に組み込まれた。出典

城は1689年に破壊され、長く廃墟のままだった。1868年、ベルリンの商人ルイ・ラヴェネが購入し、残っていた建物の一部を取り込みながら再建する。現在の姿には中世の遺構と19世紀の人々が思い描いた城の姿が重なっている。出典

再建された城はラヴェネ家の夏の住まいになった。室内を飾るルネサンスやバロックの家具も一家が集めたものだという。城内に入ると、長い食卓、彫刻のある椅子、棚に並ぶ陶器の皿が見えた。外の塔や石壁から受ける印象とは違い、内側には住まいとして整えられた部屋が続いていた。出典

古い城を再建し、家具を集めて暮らす。その来歴を知ると、城内の食卓も中世の騎士たちの生活がそのまま残ったものとして見ることはできない。過去の城に憧れた19世紀の人の好みも、この景色の一部になっている。

城からはモーゼル川と家並みが見渡せた。クロンベルクの宮殿は皇后が新しく築いた住まいで、こちらは商人が廃墟から再建した城。同じ「城」でも今の姿に至るまでの事情は違っていた。

丘を下りて川辺へ戻ると、城は再び街の上に小さく見えた。見上げる塔の内側にはさっき歩いた部屋がある。写真で見ていた景色に坂道と城内を歩いた時間が加わっていた。

マインツ旧市街: ローマの軍営から続く街を歩く

年が明け、旅の最後にマインツを訪ねた。広場から通りへ入ると、色のついた建物や木組みの家が並び、その向こうに大聖堂の塔が現れる。コッヘムでは丘の城を見上げたが、ここでは教会と家々が近い。

マインツの始まりにはローマ軍の軍営がある。当時の名はモゴンティアクムで、マイン川がライン川へ注ぐ場所の対岸という位置を生かし、軍の拠点が置かれ、その周囲に職人や商人の集落が育った。のちにはローマの属州オーバーゲルマニアの中心地となった。出典

街の名の由来も、ローマ人が来る前の地域の神モゴンに結びつくという。今歩いている旧市街よりさらに古い時代がこの名前の中に残っている。出典

今回歩いたのは大聖堂の周囲や旧市街で、ローマ遺跡を巡ったわけではない。それでも川のそばに人が集まり、街が続いてきた背景を知ると、目の前の家並みだけでは測れない時間の長さがある。年明けの街歩きは、その上に重なるほんの短い時間だった。

マインツ大聖堂: 火災と再建を重ねた赤い聖堂

旧市街を歩くと、赤褐色の大聖堂が広場に大きく現れた。近くの家々に比べて高い塔と横に長く続く建物は、通りから見えていた塔に近づくほど全体の大きさが分かってくる。

建設を始めたのは10世紀の大司教ヴィリギスだった。1009年には献堂を迎えるが、その当日か前日に火災に遭い、早くも再建が必要になった。完成を祝う節目と火災が重なったという出発から、この聖堂の歴史は続いている。出典

その後も火災や損傷、増改築が繰り返された。最初の計画から東西に内陣を置く構成があり、時代ごとに手が加えられながら、現在の大聖堂の骨格が形づくられていった。出典

中に入ると、太い柱が高い天井を支え、身廊の奥へ続いていた。回廊ではアーチの間から中庭が見える。一度に完成した一つの建物として見るよりも、建て直しながら使い続けてきた場所として見るほうが、その長い来歴に近いのだと思う。

コッヘムの城でも街でも、破壊と再建の歴史に出会った。マインツの大聖堂もまた古いものがただ残ったのではなく、手を加えて支え直すことで今に続いている場所だった。

聖シュテファン教会: シャガールの青い窓に込められた和解

マインツで特に好きだったのは聖シュテファン教会だった。窓から入る青い光と教会の静けさが印象に残っている。

祭壇の奥には細長いステンドグラスが並ぶ。青の中に人物や動物や植物が描かれている。窓を近くから見ると一つずつの形があり、少し離れると、その色が教会全体へ広がって見える。

教会の起源は10世紀にさかのぼり、大聖堂の建設を始めたヴィリギスに結びつく。第二次世界大戦では大きな被害を受けた。そこへ戦後の修復を経て加わったのが画家マルク・シャガールによる窓だった。出典

制作のきっかけは司祭クラウス・マイヤーが1973年にシャガールへ働きかけたことだった。手紙や面会を重ね、最初の窓が設置されたのは1978年で、シャガールはすでに90歳を超えていた。最終的には九つの窓を手がけ、最後の窓が教会へ迎えられたのは彼が亡くなった1985年だった。出典

ユダヤ人の画家がドイツのキリスト教会のために制作した窓には、ユダヤ教とキリスト教のつながり、民族を超えた理解への願いが込められている。描かれているのは聖書の場面で、青い色の美しさとその背景にある願いは切り離せない。出典

静かな教会で見た青い光が、戦争で傷ついた場所に人と人をつなぐために加えられたものだった。そのことを知ると、窓の色とともに、ここへ至るまでの働きかけにも目が向く。古い建物に新しい時代の意味が加わっていた。

大聖堂の大きさも印象的だったが、僕にはこの教会の青い光と静けさが強く残った。窓だけを見上げるときと椅子や柱を含めて室内を眺めるときとで青の広がりが変わる。古城に泊まりたいと思って始めた年末年始の旅の終わりにもう一度光の入る教会の中を見渡した。

おすすめのレストラン

店名 特徴
グリューネ・ガンス
(クロンベルク)
旧市街のレストラン。肉料理や、薄切りの肉と野菜を盛った一皿を食べた。
パウラナー・アム・ドーム
(フランクフルト)
大聖堂近くでバイエルン料理とビールを楽しめる店。白ソーセージやプレッツェルの昼食に訪ねた。
シュロスホテル・クロンベルク内の食堂
(朝食)
絵画やシャンデリアのある室内で朝食を取れる。料理の並ぶビュッフェを利用した。
ツヴェルフ・アポステル
(フランクフルト)
ビールとソーセージの盛り合わせを楽しめる店。夜の市内散策と合わせて訪ねた。

シュロスホテル・クロンベルク: 宿泊情報

宿名 泊数 総額
シュロスホテル・クロンベルク 2泊 €583.20

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