ヨーロッパ / イタリア
広場からカフェへ。トリノでは、日常のすぐ隣に王国の歴史がある。
柱とアーチの続く回廊を歩き、広場を渡ってカフェに入る。通りの先には王家の宮殿があり、朝の一杯を飲む店にも、イタリア統一をめぐる人々の歴史が残っている。トリノでは、いつもの街歩きやコーヒーの時間が、そのまま過去への入口になる。[10]
この街に来たきっかけはカルチョ(サッカー)だった。まだスタジアムで見たことのないセリエAを、現地で観戦してみたかった。子どものころのアイドル、ジズーことジネディーヌ・ジダンがかつてプレーしたユベントス。その試合の相手がインテルだったことも、トリノを選んだ理由だ。
観戦までの時間に歩いたのは、かつてイタリアの首都だった街だ。王家がつくった景観の中で、人は広場を横切り、カフェで朝を過ごしている。王国の歴史が残る場所を、いまの暮らしの場所として歩ける。その重なりを、今回のトリノでは見て回った。[7]
回廊と広場に残る、王都の面影
トリノの中心部には、建物の一階をくぐるように歩ける回廊が続いている。柱の並びに沿って進むと、次の通りや広場がその先に現れる。建物を一つずつ眺めるというより、街全体の中を歩いている感じがする。サン・カルロ広場も、その回廊に囲まれた広場の一つだ。
この街並みの背景にいるのが、サヴォイア家だ。トリノを拠点に公国を治め、のちにイタリア王家となった一族である。1563年、エマヌエーレ・フィリベルト公は公国の首都をシャンベリからトリノへ移した。1861年には、一族のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア王となり、トリノは統一されたイタリア王国の最初の首都になった。[6][7]
広場の騎馬像は、そのエマヌエーレ・フィリベルトだ。1557年のサン・カンタンの戦いを制した公が、剣を鞘に収める姿を表している。広場の真ん中に置かれた像も、街を首都にした人物の記憶なのだ。[1][6]
サヴォイア家は、宮殿だけでなく、周囲の街や郊外の邸宅まで含めて王家の力を示す景観をつくっていった。その歴史を重ねると、揃った建物の並びにも別の意味が見えてくる。僕には美しい散歩道でも、かつては権力を見せるための街だった。王宮の中へ入る前から、すでにその世界を歩いていたのだと思う。[8]






Caffè San Carloで味わう、歴史と朝の一杯
朝に訪れたのは、サン・カルロ広場に面した老舗カフェ、Caffè San Carloだ。華やかな内装と、おいしいスイーツやコーヒー。その両方を楽しめた、トリノの朝の一軒だった。
大きなシャンデリア、金色の装飾、壁の鏡。カウンターの奥にも、頭の上にも、目を向けたくなるものがある。ショーケースに並ぶ小さな菓子のクリームや果物が、内装とはまた違う華やかさを添えていた。
1822年に始まったこのカフェは、イタリア統一運動の時代、政治家や知識人たちの集まる場所だった。カヴールや作家アレクサンドル・デュマも訪れている。優雅な店の歴史を調べると、1837年には政治的な活動を問題視され、一度閉鎖されたこともわかる。きれいなサロンで交わされていたのは、世間話ばかりではなかったのだ。[9][10]
この店はトリノで早くからガス照明を取り入れたカフェの一つでもある。ただし、いま見える内装をすべて1822年から残るものと考えるのは違う。1942年の爆撃で大きな被害を受け、戦後に修復された。大きなムラーノ製のシャンデリアも、1960年ごろに据えられたものだ。長く続く店の美しさには、壊れたものをもう一度つくり直した時間も含まれている。[10]
そんな歴史がある店で、僕が頼んだのはビチェリンと菓子だった。内装が美しいだけでなく、スイーツもコーヒーもおいしい。歴史のある空間を眺めながら、目の前の一杯と菓子もちゃんと楽しめる。この店のよさは、そこにあると思う。




トリノ王宮でたどる、サヴォイア家の歴史
サヴォイア家の歴史を街の中で眺めたあと、トリノ王宮へ入った。ここでは、どこまで飾るのだろうと思うほど、装飾が続く。
大きな窓のある階段、天井画、赤い幕のかかった玉座。視線を下げれば床の模様があり、上げればまた別の絵がある。シャンデリアの下には、食器を並べた長いテーブル。部屋の中のどこを見ても、手をかけた跡が残っている。
トリノ王宮は、サヴォイア家の中心的な住まいだった。16世紀末に新しい宮殿の計画が進み、17世紀以降も歴代の当主が改築や装飾を重ねた。いま歩く部屋も、一人の王が一度につくったものではない。玉座の間は19世紀にペラージョ・パラージが整えた空間で、そこにはバロック期の天井や、別の場所から移された18世紀の欄干も組み込まれている。[11][12]
新しい時代の王が、前の時代の威厳を受け継いで部屋をつくる。そう考えると、豪華さは単に贅沢な暮らしのためだけではなかったのだろう。訪れた相手に王家の格を感じさせる仕掛けが、天井から床まで続いているように見える。
王立武器庫では、その装飾の中に甲冑や武器が並ぶ。カルロ・アルベルト王が設立し、1837年に開館した博物館だ。武器が置かれた長いギャラリーは、もともと王家の絵画を飾っていた場所でもある。戦いの道具を展示する空間までこれほど華やかだと、王家にとって武器を持つことと、それを見せることは近かったのだと思えてくる。[3][12]
そこには、日本の甲冑もあった。撮った写真には、兜と面頬を備えた二領が並んでいる。王宮の公式ガイドによると、これらは1869年と1871年に、明治天皇からヴィットーリオ・エマヌエーレ2世へ贈られたものだ。その少し前、1866年には日本とイタリアの間で友好通商条約が結ばれている。[12][13]
ヨーロッパの王家のコレクションの中に、日本から渡った甲冑がある。兜の形や、細かく組み合わされた胴のつくりを見ると、それまで眺めてきた西洋の甲冑との違いがよくわかる。トリノの王宮を歩いていたはずなのに、ここで急に、日本の歴史が目の前に現れる。遠い国の王家の話に、自分の知っている世界への入口ができたように感じる。
贈られたのは、日本が明治の新しい時代を歩み始めたころだ。その日本から、統一を進めたイタリアの王へ甲冑が渡る。国の名前や条約の年号だけでは遠かった関係が、兜や面頬を備えた二領の姿になると、急に具体的になる。海を越えて相手に贈る品として、こうしたものが選ばれたということもおもしろい。武具の形を通して、日本の技術や美意識まで伝わっていくように見える。
豪華な宮殿の中で、僕の目を引いたのが日本からの贈り物だったことも、この旅の記憶に残る。サヴォイア家の歴史と明治初期の日本を、同じ展示室で考えることになるとは。旅先の博物館では、その土地の歴史を見に来て、自分の国の歴史にも出会うことがある。
玉座や食卓、武器や外交の贈り物まで、王宮の中にはサヴォイア家が過ごした時間と、外の世界との関係が残っている。豪華な部屋を見て回るうちに、その装飾の奥に、王家がどのように自分たちを見せ、他の国とつながっていたのかまで見えてくる。トリノ王宮のおもしろさは、建物の美しさと、そこに集まった歴史を一緒にたどれることだと思う。





川を渡り、丘からトリノを見る
ポー川へ出ると、建物の間を歩いていたときより、空が広くなる。水面の両側には街と木々が続き、橋の向こうには丘がある。回廊や宮殿で上へ向けていた視線を、ここでは遠くまで伸ばせる。
モンテ・デイ・カプチーニからは、屋根の重なるトリノを見渡せた。街の中で見上げていたモーレも、ここでは屋根の海から伸びる一本の尖塔になる。近くでは大きすぎて全体をつかみにくかった建物が、丘の上では街の目印として収まっていた。
そのモーレは、もともとユダヤ教のシナゴーグとして計画された建物だ。計画の変更や建設費の増大を経て市が引き継ぎ、現在は国立映画博物館になっている。外から見ただけの今回の旅でも、その来歴を知ると、独特の姿にいくつもの時代が重なって見える。[14]
丘から下り、グラン・マードレ・ディ・ディオ教会の前を通り、モーレのそばまで歩いた。遠くから街を眺め、またその中へ戻る。トリノは、建物の細部を見る楽しさと、街全体を眺める楽しさの両方がある街だった。






エノテーカで聞いた、トリノのクラブの話
旅の途中、Enoteca Brosioで一人でワインを飲んでいると、隣にいたトリノっ子たちが話しかけてきた。
一人で旅をして、一人で飲んでいると伝えると、少し驚かれた。僕には普通のことだったので、彼らには一人で何かをすることがあまりないのだろうか、と感じた。旅先では、こちらの当たり前が、相手には当たり前ではないことがある。
サッカーを見に来たことも話した。すると、生粋のトリノっ子はユーベではなく、トリノFCを応援するのだと教えてくれた。
もちろん、そこで会った彼らの言葉だ。トリノで暮らす人の応援するクラブが、みんな同じというわけではない。けれど、ユーベを目当てに来た僕にとって、その一言は、この街のサッカーをもう少し知る入口になった。
トリノFCとユーベは、誕生の時点から歴史が絡み合っている。1906年、アルフレード・ディックに率いられたユベントスの離脱者たちが、既存のFCトリネーゼと合流してトリノを創設した。もともと関係のない二つのクラブが、同じ街でたまたまライバルになったわけではない。ユーベから離れた人々が、もう一つのクラブをつくる側にいたのだ。[18]
両クラブの対戦は「デルビー・デッラ・モーレ」と呼ばれる、トリノの街を舞台にしたダービーだ。最初の対戦は1907年1月13日で、トリノが2対1で勝った。今回僕が見に行くインテルとのイタリア・ダービーに加えて、ユーベには、すぐ近くで暮らす相手との長いライバル関係もある。[18][21]
二つのクラブには、それぞれに受け継ぐ歴史もある。ユーベは1923年に、FIAT創業者の息子エドアルド・アニェッリが会長となり、以後アニェッリ家と長く結びついてきた。サッカーの歴史に、この工業都市を象徴する一族の歴史も重なっている。[19]
トリノFCには、1940年代に国内リーグ5連覇を果たした「グランデ・トリノ」の記憶がある。そのチームを襲ったのが、1949年5月4日のスペルガの航空機事故だった。クラブの歴史をたどると、トリノFCを応援することには、勝敗だけでは語りきれない栄光や喪失の記憶も重なって見える。[20]
僕がジダンからつながったユーベにも、彼らが応援するトリノFCにも、この街で積み重ねてきた時間がある。ワインバーで聞いた「トリノFCを応援する」という言葉が、クラブ名を選ぶだけの話よりも、少し深く聞こえてくる。遠くから憧れていたものと、そこで暮らす人が大切にしているもの。その違いを、一杯飲んでいる途中に聞けたのがおもしろかった。
ユベントスのホームで迎える、インテルとの伝統の一戦
夜、アリアンツ・スタジアムへ向かった。外にはグッズを並べた店があり、客席に入ると緑のピッチが開けた。スタンドには旗が揺れ、多くの人が試合を待っていた。
この日のユベントス対インテルは、「デルビー・ディタリア(イタリア・ダービー)」と呼ばれる伝統の一戦だ。トリノとミラノという別の街を本拠地にする二つのクラブが、長く競い合ってきた。地元同士の対決という意味でのダービーを越え、イタリアのサッカーを代表するライバル対決として知られている。[17]
ユベントスは、1897年にトリノの学生たちがつくったクラブだ。始まりは街中のコルソ・レ・ウンベルトにあるベンチでの集まりだったという。「ユベントス」はラテン語で「若さ」を意味する。しかも、初期のユニフォームは白黒ではなくピンクだった。いまの大きなクラブの姿からは、学生たちの集まりもピンクのシャツも、すぐには結びつかない。[15]
僕が憧れたジダンがここでプレーしたのは、1996年から2001年までの5シーズンだ。その時間も、この長いクラブの歴史の一部分になる。自分にとっては一人の選手が入口でも、現地には、その前から続き、その後も続くクラブがある。[16]
2月16日のユベントス対インテルは、ユベントスが1対0で勝った。初めてのセリエA観戦は、この旅でトリノを選んだ理由を果たす時間になった。[4]
それでも、トリノを思い返すと、スタジアムだけでなく、回廊の明かりやカフェの天井、王宮にあった日本の甲冑、丘から見た屋根も浮かぶ。ジダンへの憧れが連れてきてくれた街で、サッカー以外にも、書き残したいものが増えた。



今回歩いた場所
中心部の広場とカフェ、宮殿から、川の向こうの丘へ。スタジアムは中心部の北西にある。
地図は訪問・撮影地点の参考位置。入口や実際に通った経路を示すものではありません。MeloMangioは旅行当時の食事地点を示しています。
おすすめのレストラン
| レストラン/カフェ名 | おすすめポイント | 金額 |
|---|---|---|
Caffè San Carlo | シャンデリアと装飾のある店内。スイーツとコーヒーもおいしかった。 | €17.50 約2,750円 |
Pastificio Defilippis | 通りを眺めながら昼食を取った店。緑のタヤリンとプロセッコを頼んだ。 | €21.50 約3,370円 |
Piattini Caffè & Vini | 初日の夕食にピエモンテ風の生肉料理とグラスワインを楽しんだ店。 | €16.50 約2,590円 |
MeloMangio | 観戦前にカチョエペペ、ビール、ティラミスを頼んだ店。 | €20.00 約3,140円 |
Enoteca Brosio | 一人でワインを飲み、トリノっ子から地元のクラブの話を聞いたエノテーカ。 | €9.00 約1,410円 2回の会計:€4+€5 |
トリノ滞在最後の夜に訪れ、肉料理を食べたお店。 | €34.00 約5,340円 |
宿泊情報
| ホテル名 | 泊数 | 金額 |
|---|---|---|
Consolata 7 Apartment | 3泊 | €380.34 約59,700円 宿泊料金€373.44+宿泊税€6.90 |
観戦チケットの費用
| 内容 | 金額 |
|---|---|
ユベントス対インテルの観戦チケット | €150.00 約23,540円 |
購入ルート:ユベントスのクラブ公式サイト(Juventus Official Ticket Shop)。
参考資料
円概算は2025年2月28日のフランス銀行公表値、1 EUR=156.96 JPYを使用し、10円単位で四捨五入しています。実際のカードの円請求額とは異なります。
- イタリア政府観光ポータル:サン・カルロ広場と騎馬像
- イタリア文化省:ムゼイ・レアリ
- ムゼイ・レアリ:王立武器庫の設立とコレクション
- Juventus公式:2025年2月16日の試合結果
- フランス銀行:2025年2月28日の為替参考値
- MuseoTorino:エマヌエーレ・フィリベルトと1563年の遷都
- イタリア上院歴史資料:1861年のイタリア王国成立
- UNESCO:サヴォイア王家の王宮群と都市計画
- トリノ市 Torino Compra Vicino:Caffè San Carloの1822年創業
- MuseoTorino:Caffè San Carloの政治・照明・戦後修復の歴史
- ムゼイ・レアリ:王宮の建築史
- ムゼイ・レアリ公式見学ガイド:玉座の間と日本の甲冑B.53・B.54
- ムゼイ・レアリ:明治天皇による1869年の甲冑寄贈と1866年の日伊条約
- MuseoTorino:モーレのシナゴーグ計画と映画博物館への転用
- Juventus公式:1897年の学生による創設、名称とピンクのシャツ
- Juventus公式:ジダンの1996〜2001年の在籍
- Juventus公式:ユベントス対インテルの伝統とデルビー・ディタリア
- Torino FC公式:1906年の創設とユベントス離脱者、1907年の初ダービー
- Juventus公式:エドアルド・アニェッリとFIAT、1923年の会長就任
- Torino FC公式:グランデ・トリノとスペルガの事故
- Juventus公式:デルビー・デッラ・モーレのライバル関係


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