ヨルダン旅行記|アンマンの坂道、ペトラ、砂漠の星空と死海での会話

ヨルダン|アンマン・ペトラ・ワディ・ラム・死海 旅行記 中東

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アンマンの坂道を歩く

早朝にアンマンへ着き、ホテルにアーリーチェックインした。街へ出たのは昼過ぎ。2025年の秋、10月末から11月にかけてのヨルダン旅行は、坂道をひたすら歩くところから始まった。

急いで回るというより、坂の多い街並みをゆっくり味わうように進んだ。日差しのあるアンマンは、歩いていて快適だった。丘の斜面には淡い色の建物が続き、その間を道路や階段が通っている。

坂を上り、また下る。向かいの丘にも建物がびっしりと並んでいる。歩いているうちに、どうしてこんなに起伏のある場所に街をつくったのだろう、と思った。平らな場所なら、行き来も暮らしも楽そうなのに。

そして、どうしてここがヨルダンの首都になったのだろう。街の中に残るローマ劇場や、丘の上の遺跡を見ると、今の首都になるずっと前から、人がここを選んで暮らしてきたことが分かる。景色を眺めていたはずが、いつの間にか、この街ができた理由を知りたくなっていた。

ローマ劇場の向こうまで、丘を埋めるアンマンの建物
ローマ劇場の向こうまで、丘を埋めるアンマンの建物

ローマ劇場へ行くと、半円形の石の客席が大きくせり上がっていた。古代に人が集まり、上演を楽しんだ場所。その向こうには今のアンマンの家々が並んでいる。劇場だけが切り離されているのではなく、街を眺める景色の中に収まっていた。

街の中に残るローマ劇場の客席
街の中に残るローマ劇場の客席

街を見渡すシタデルにも足を延ばした。ヘラクレス神殿の柱が立つ場所から、ドームのあるウマイヤ朝の宮殿へ歩く。柱だけを残した建物もあれば、屋根のある空間もある。同じ丘の上でも、目の前の景色は少しずつ変わっていく。

シタデルは、ローマ時代の神殿やイスラム時代の宮殿が残る丘だ。通称ヘラクレス神殿には現代の部分的な復元が加わっている。今見えている柱の姿を、古代からそのまま立っていたものと思って眺めるのとは、少し話が違ってくる。

ウマイヤ朝の宮殿は八世紀のもの。目立つ建物は、宮殿への大きな入口であり、人を迎える広間でもあった。神殿と宮殿をたどるだけでも、この丘が異なる時代に使われてきたことが分かる。

一方、近代の首都としての歩みはずっと新しい。アブドゥッラーが統治を始めたトランスヨルダンの時代を経て、1946年の独立後もアンマンは王国の首都となった。市の記録によると、最初の市議会ができた1909年には人口は約二千人だったという。丘を埋める今の街並みからは、その規模を想像しにくい。なぜここなのかという疑問から、街の大きくなり方にも興味が向いた。

シタデルに残るヘラクレス神殿の柱
シタデルに残るヘラクレス神殿の柱
丘の上にあるウマイヤ朝宮殿の建物
丘の上にあるウマイヤ朝宮殿の建物

夕方にはまた街の通りを歩いていた。店の看板、道路に並ぶ車、その間を行く人たち。高い場所から見ていた街の中へ戻ってくる。

夕暮れのアンマン。店の明かりがともる通り
夕暮れのアンマン。店の明かりがともる通り

食事をし、夜にはお酒を飲める場所を探して歩いた。そこで行き着いたのが、色とりどりの明かりが頭上に下がる通りだった。写真を撮るために探していたわけではないのに、ついカメラを向けたくなる場所に出くわす。アンマンでは、そんなふうに街を歩く時間を過ごした。

アンマンで食べた、肉をのせた米料理
アンマンで食べた、肉をのせた米料理
夜の通りに下がる色とりどりの明かり
夜の通りに下がる色とりどりの明かり

ドライバーと南へ、ペトラへ

翌朝からは、ペトラ、ワディ・ラム、死海を巡る二日間のツアーに参加した。アンマンを出発し、ワディ・ラムで一泊して戻ってくる行程だ。

運転してくれたのは、現地の四十代くらいのおじさん、サーミルだ。ペトラがどのようにできたのか、土地の歴史についても話してくれた。車窓を眺めながら、これから向かう場所の話を聞いた。

アンマンで迎えの車に乗ってから、ペトラの入口に着くまではおよそ四時間。道の両側には乾いた丘や広い土地が続き、車窓には走り過ぎるトラックも見えた。ペトラに近づくと、ワディ・ムーサの建物が斜面に重なって現れる。街を離れて長い道を走り、また人の暮らす場所へ入っていった。

ペトラに来たかった理由は、昔見た、あるハリウッド映画の場面にあった。あの景色を自分の目で見たいという憧れなのか、何なのか。いずれにせよ、浅薄な理由だった。ナバテア人の歴史を深く知っていたわけでも、遺跡の建築に詳しかったわけでもない。

南へ向かう車窓。道路の先に続く乾いた丘
南へ向かう車窓。道路の先に続く乾いた丘

ペトラの入口付近では、なぜか「キャプテン翼」が流れていた。これから遺跡へ入るという場所で、日本のアニメに出会った。

ペトラの入口付近で見かけた「キャプテン翼」
ペトラの入口付近で見かけた「キャプテン翼」

入口から歩いていくと、道はシークと呼ばれる細い峡谷へ続く。両側の岩壁が高く、見上げた先に空が細く見える。岩の表面には赤みの強いところも、淡い色の層もあった。

岩壁の間を歩く、ペトラのシーク
岩壁の間を歩く、ペトラのシーク

その岩の隙間の先に、柱と彫刻のある正面が見えてくる。エル・ハズネだ。道を抜けると、岩壁を彫り込んだ大きな建物の姿が目の前に広がった。

峡谷の隙間から見えてくるエル・ハズネ
峡谷の隙間から見えてくるエル・ハズネ

「宝物殿」と呼ばれるけれど、財宝を保管する建物だったと確認されているわけではない。墓に関わる建造物と考えられている。背後の岩と、整った柱や装飾とが一つになっている。足元にいる人やラクダを見ると、その大きさがよく分かる。

ペトラは、ナバテア人が交易の拠点として栄えさせた都市だった。岩を彫った墓や建物だけでなく、水路や貯水設備も残る。乾いた土地で水を集め、蓄える仕組みが、ここでの暮らしを支えていた。

岩壁に彫られたエル・ハズネの正面
岩壁に彫られたエル・ハズネの正面

エル・ハズネの先にも歩く場所は続いていた。劇場があり、柱が並ぶ道があり、斜面にはいくつもの建物の正面が見える。エル・ハズネを過ぎても、歩く先々に遺跡があった。

劇場は、ナバテア人の時代に岩を削って造られ、その後ローマ時代に拡張されたものだ。客席の形はアンマンで見た劇場にも似ているが、ここでは座席も背後の崖とつながっている。岩壁を眺め、足元の道へ目を戻し、また次の建物へ歩く。

列柱のある道は、かつての都市の中心部へ続く。墓だけでなく、神殿や人が集まる場所を備えた街だった。残る柱の間からも周囲の山肌が見え、道を進んでも岩の存在が近い。

岩を削って造られたペトラの劇場
岩を削って造られたペトラの劇場
遺跡の奥へ続く列柱のある道
遺跡の奥へ続く列柱のある道

斜面に並ぶのは、王家の墓と総称される墓群だ。柱や装飾を備えた正面が岩肌に続き、建物によって形も石の色合いも違う。この墓群には、後に教会へ転用されたものもある。墓として造られた場所を、別の時代の人が違う用途で使っていた。目の前に残る遺跡にも、一つではない時代が重なっている。

岩肌の色の層が見える墓群
岩肌の色の層が見える墓群

道の途中にはラクダやロバがいて、エル・ハズネの前では猫も見かけた。正面からだけでなく、高い場所からも遺跡を眺めた。ペトラには「人生に一度は」という言葉が似合う。そう感じる景色だった。

映画の中の景色を見たい。それだけだった動機に、歩いているうちに別の関心が加わった。岩を彫って墓や劇場を造り、水を集めて街で暮らす。目の前の景色は、そうした人々の知恵の積み重ねでもあった。ペトラは、憧れていた景色に会うだけでなく、その背後の歴史を知る良い機会になった。

高い場所から見下ろすエル・ハズネ
高い場所から見下ろすエル・ハズネ

ワディ・ラムで夕暮れと星空を見る

ペトラを離れ、さらに南のワディ・ラムへ向かった。ワディ・ラムは、ヨルダン南部、サウジアラビアとの国境に近い砂漠地帯だ。砂丘がどこまでも続く景色を想像すると、少し違う。赤い砂の平原から巨大な砂岩の山がそびえ、その間に細い峡谷や、自然にできた岩のアーチがある。長い年月をかけた風化や侵食が、この起伏に富んだ景観をつくってきた。

ここには、景色だけでなく人の歴史も残っている。岩絵や碑文、遺跡は、一万年以上にわたって人々がこの土地で暮らし、行き来してきたことを伝える。ワディ・ラム保護区が2011年に世界遺産へ登録されたのは、自然と文化の両方に価値が認められたからだ。四駆で岩山の間を走り、キャンプで夜を過ごすと、その広さと、時間によって変わる表情を味わえる。移動はおよそ二時間余り。窓の外には起伏のある山並みが続き、途中では羊の群れも見かけた。道路沿いの案内にワディ・ラムの名が現れ、やがて大きな岩山が近づいてくる。

ペトラからワディ・ラムへ向かう途中に見かけた羊の群れ
ペトラからワディ・ラムへ向かう途中に見かけた羊の群れ

キャンプへ入る手前の町で、車を四駆に乗り換えた。ここからは砂地を走ってテントへ向かう。乗り換える前の道路での移動とは違い、岩山の間をそのまま進んでいくようなドライブだった。広い砂漠の中を走るのが、なんとも爽快だった。

四駆で進むワディ・ラム。岩山の間に続く砂の道
四駆で進むワディ・ラム。岩山の間に続く砂の道

夕暮れになると、遠くの山がいくつもの影になって重なった。空は地平線に近いところほど暖かい色を残し、上へ向かうにつれて青くなる。ペトラとはまた違う景色が、目の前に広がっていた。

夕暮れのワディ・ラム。砂地の向こうに重なる山影
夕暮れのワディ・ラム。砂地の向こうに重なる山影

夕暮れの砂地には、ラクダに乗って進む人たちの姿もあった。低い光の中で、その列が岩山を背に浮かんで見えた。

夕暮れのワディ・ラムを進むラクダの列
夕暮れのワディ・ラムを進むラクダの列

夕景を眺めていると、猫もいた。大きな岩山や広い砂地を見ていた写真の中に、小さな姿が残っている。

この旅では、イタリア人のカップルとも話した。二人はイタリアのウディネを拠点にしながら、世界中を旅しているという。どこへ行ったかだけでなく、どこを暮らしの拠点にして旅を続けているのか。そんな話も聞けた。

夕暮れの砂漠にいた猫
夕暮れの砂漠にいた猫

夜は砂漠のキャンプに泊まった。頭上には満天の星が広がっていた。

この星空を見るために、ここへ来た。そう思った。夕景も鮮明に残っているけれど、ワディ・ラムを思い出すとき、やはりこの空は外せない。

ワディ・ラムの夜空と岩山の輪郭
ワディ・ラムの夜空と岩山の輪郭

朝焼けの砂漠から、ハザリ渓谷へ

翌朝は、朝焼けの砂漠を見た。同じ砂地に車の跡が続き、その向こうに岩山が立っている。夕暮れ、星空、そして朝焼け。一泊したことで、そのそれぞれを見られた。

朝の光が差すワディ・ラムの砂地
朝の光が差すワディ・ラムの砂地

二日目はガイドが付き、ハザリ渓谷などを案内してくれた。岩壁の間へ入り、説明を聞きながら、岩に刻まれた絵や文字を見る。人の姿が、線で表されていた。

岩に刻んだ絵は「岩刻画」と呼ばれる。ワディ・ラムには、人や動物を表した絵、さまざまな時代の文字が残り、人がこの土地で暮らし、行き来してきたことを伝えている。すべてが同じ時代に刻まれたものではなく、目の前の一つひとつの年代は見ただけでは分からない。それでも、昔の誰かがこの岩に何かを残したということが面白かった。古い「落書き」を眺めるような面白さと、遠い昔に触れるようなロマンがあった。

ハザリ渓谷の岩壁の間へ
ハザリ渓谷の岩壁の間へ
岩肌に刻まれた人の形
岩肌に刻まれた人の形

死海のビーチとアメリカ人老紳士

ワディ・ラムを後にし、次に向かったのは死海だった。死海の近くを走っているとき、対岸の話になった。

「あの向こうがイスラエルなんですね」

「あの土地は、パレスチナと呼んでいるよ」

サーミルはそう言い、名前の由来も教えてくれた。

「古代のペリシテ人から来た名前なんだ」

パレスチナという地名は、ペリシテ人の土地を指すヘブライ語の名や、古代ギリシア語の地名と結び付いている。その名が指す範囲は時代によって異なる。目の前の水面の向こうを話題にしていたら、土地に残る古い名前の話になっていた。

リゾートに着くと、ビーチで過ごす時間になった。岩山と砂地を巡った後で、今度は広い水面を前にする。僕も死海へ入った。そこで念を押されたのが、「絶対に水を飲むな」という注意だった。

死海の水は塩分が非常に濃い。飲み込むと体内の電解質のバランスを崩す危険があり、単にしょっぱいからという話ではない。景色を眺めるだけでは分からない、この水ならではの注意だった。

ビーチでのんびり過ごしているとき、ツアーで一緒だったアメリカ人の老紳士と話した。今は七十代くらいだろうか。仕事の話になった。

「仕事は、五十代でやめたんだ」

「それまでは、何をされていたんですか」

「金融の仕事だよ。でも、リーマンショックを経験して、競争を続けることに意味を感じなくなってね」

彼は、仕事を離れた理由を続けた。

「人生には、ほかに大切なことがあると思ったんだ」

それからは、悠々自適に暮らしているという。

死海の岸辺と、その先に広がる水面
死海の岸辺と、その先に広がる水面

聞きながら、自分もそう暮らしたいと思ったわけではなかった。共感とも憧れとも違う、うまく名前をつけられない感情があった。

リーマンショックという、ニュースや歴史の中で知っている出来事が、目の前の人の人生の転機になっている。そして今、その人と僕が死海のビーチで話している。歴史の中に生きているというのは、こういうことでもあるのかもしれない。何か答えが出たわけではないけれど、その話は妙に心に残った。

日差しを映す死海の水面
日差しを映す死海の水面

アンマンへ戻り、ペトラビールを飲む

ツアーを終え、アンマンへ戻った。最初に泊まったホテルに、もう一泊する。

最後の夜に飲んだのは、ペトラビールだった。最初の日は坂道を歩き、お酒を探して街をうろうろした。その街へ戻って飲む一杯が、五臓六腑に染みた。

振り返ると、ヨルダンでは景色を見ながら、何度も「どうしてだろう」と考えていた。アンマンでは街ができた場所を、ペトラでは岩を彫って都市を築いた人たちを、ワディ・ラムでは岩に絵や文字を残した人たちを。人と話せば、土地の呼び名や、その人が今の暮らしを選ぶまでの話にも関心が向いた。

ペトラの絶景も、砂漠の星空も見たかった。そのどちらも鮮明に残っているけれど、帰ってから思い返すのは、景色のことばかりではない。歩く先で疑問が生まれ、人の話を聞くとまた知りたいことが増える。ヨルダンは、好奇心をくすぐられる旅だった。

アンマン最後の夜に飲んだペトラビール
アンマン最後の夜に飲んだペトラビール

おすすめのレストラン

店名 特徴
Plato Rooftop(アンマン) Hotel Philosophyの屋上にあるレストラン・バー。街の灯りを眺めながら食事ができる。僕は肉料理とビール、ワインを楽しんだ。肉料理にはピュレと野菜が添えられ、ソースは別の器で出てきた。
La Plaza(ペトラ) ペトラのビジターセンターにある店。遺跡入口側の広場にあり、散策の前後に立ち寄れる。

Plato Rooftopのお会計:JOD 37.557(約8,161円)。

旅で利用した宿とツアー

宿名 泊数 総額
Khan Khediwe Hotel 2泊 JOD 109.872(約23,873円/アーリーチェックイン込み)

利用内容 支払額
アンマン発・ペトラ、ワディ・ラム、死海の2日間ツアー/GetYourGuide
デラックステント付き共有スモールグループ。ワディ・ラムのキャンプ1泊、夕食・朝食、ジープツアーを含む。
EUR 340.13(約60,477円)
死海リゾートのビーチ利用・昼食(ツアー代とは別) USD 40(約6,162円/現金)

利用したツアー(広告)

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料金・含まれる内容は、日程や選択するプランによって異なります。


日本円は2025年10月31日のXe参考レートで換算(1 JOD=約217.28円、1 EUR=約177.81円、1 USD=約154.05円)。実際の決済額とは異なります。

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