アルバニア旅行記・ベラト/ティラナ 編|城のある街に泊まり、変わりゆく首都を歩く

アルバニア ベラト/ティラナ旅行記。ベラト城の教会と街を照らす光を使ったタイトル入りサムネイル ヨーロッパ

ベラトの橋の上から、川の向こうに並ぶ家々を眺めていた。

白い壁に幾つもの窓が開き、赤茶色の屋根が斜面を上へと続いている。その上には、昼間に歩いた城があった。夕方の雲の下に光が残り、川沿いの街を照らしていた。

路地の中では、目の前の石段や曲がり角を追って歩いていた。対岸に渡ると、さっきまで自分がいた道も家々の間に隠れてしまう。橋の上、川岸、少し離れた場所。同じ街を、場所と時間を変えながら何枚も撮った。

アルバニアに着いたのは、その前の夜だった。ティラナからベラトへ向かい、旧市街で一泊して、再び首都へ戻る。秋の一人旅だった。

ティラナ: 夜の到着から、ベラトへ向かう

アルバニアに着いた頃には、外はもう暗かった。空港の到着口は明るく、人が集まっている。市内へ向かい、最初の夜はアーバー ホテルに泊まった。

ティラナは、ベラトのように城の丘を核に眺める街とは成り立ちが違う。周辺には古くから人の営みがあったが、現在の都市につながる節目とされるのは1614年。スレイマン・パシャがモスク、浴場、パン焼き場、宿を建てたことが、その後の街の核になった。

始まりに並ぶのが、政治の建物ではなく、祈り、身体を洗い、食べ、泊まるための場所だったという点が面白い。首都という名前をいったん外すと、人が集まり、旅人が立ち寄る町の輪郭が見えてくる。

アルバニアは1912年に独立し、ティラナは1920年に暫定首都、1925年に正式な首都となった。首都としての歴史は、街の歴史全体から見れば比較的新しい。王政期にはイタリア人建築家も都市計画に関わり、1939年にはファシスト・イタリアによる占領が始まった。現在の中心部に見られる大通りや公共建築には、首都を整備していった時代の影響も残る。

第二次世界大戦後は、ホッジャの率いる共産主義体制の中心となった。広場の周囲に大きな公共施設が建てられ、国の歴史や文化を表す場所へと姿を変えていく。そこへ1990年代初めの体制転換、その後の都市の拡大が重なっている。

ティラナの変化には、建物を新しく建てる以外の方法もあった。2000年に市長となったエディ・ラマは、既存の建物の外壁を鮮やかな色や模様で塗り替える取り組みを進めた。美術家でもあった人物が、色を街の再生に使ったという話だ。もちろん、僕が見た色のある建物すべてを、その事業のものと決めつけることはできない。

後に歩いた広場、古いモスク、石橋、ピラミッドをこの流れの中に置くと、街並みがそろっていないことにも理由が見えてくる。異なる政治や都市計画の時代が、同じ場所の使い方を変えてきた街なのだ。ベラトでは家々の連なりを眺めたが、ティラナでは隣り合う建物の違いが、歩く手がかりになる。

到着した夜に見たのは、ホテルの入口と、その周辺の通りくらいだった。首都を歩く時間は後に残し、翌日はベラトへ向かった。

朝、カフェで軽く食べてからバスターミナルへ。広い敷地には、大型バスや小さな車両が並んでいた。行き先と出発時刻を並べた大きな案内板を写真に残す。ベラトのほかにも、アルバニア各地の地名が続いていた。

フロントガラスに「BERAT」と掲げた小さなバスに乗った。車内には赤いカーテンがあり、座席の間から前方の道が見えた。ベラトに入ってからも車窓を撮る。道沿いには大きな木が立ち、その周りに街の建物が続いていた。

午後に着いたベラトでは、街のすぐ後ろに丘が迫っていた。斜面に家が集まり、その上に城がある。ティラナの通りから、川と坂道のある街へ移ってきた。

夜のティラナ空港
夜のティラナ空港
最初の夜に泊まったアーバー ホテル
最初の夜に泊まったアーバー ホテル
バスターミナルの行き先案内
バスターミナルの行き先案内
ベラト行きの表示を掲げたバス
ベラト行きの表示を掲げたバス
ベラトへ向かうバスの車内
ベラトへ向かうバスの車内
ベラトに入ってからの車窓
ベラトに入ってからの車窓

ベラト: 「千の窓の街」に重なる、古代からの歴史

ベラトに着くと、まず丘と川の近さが目に入った。斜面には白い壁の家々が重なり、その上を城が見下ろしている。赤茶色の屋根の間に窓が並び、オスム川を挟んだ向こう岸にも家が続いていた。

街を眺めるには、川沿いだけでなく、坂道と城、対岸を行き来する必要がある。平面の地図では近く見える場所にも高低差があり、歩くたびに家並みの重なり方が変わっていく。

ベラトの歴史は、今見える白い家並みよりもはるかに古い。城の丘には古代から人が暮らし、紀元前4世紀には石の防御壁が築かれていた。ローマ、ビザンツ、中世のブルガリアなど、異なる勢力の支配を経て、1417年からはオスマン帝国の領域となった。

街の名前にも、その長い歴史が残っている。「ベラト」は、スラヴ語系の「白い街」を意味するベオグラードという古い呼び名につながる。セルビアの首都と共通する意味を持つ名前だが、ここはオスム川沿いの別の街だ。目の前の白壁だけを見て付けられた最近の愛称ではない。

ベラトを紹介する「千の窓の街」という言葉も、実際に川を渡って眺めるとよく分かる。壁の面積に対して窓が大きく、上の家の窓と下の家の窓が重なるように続いていた。ただし、これは窓の数を数えた呼び名ではなく、斜面に連なる家並みを表すものだ。

オスマン帝国期、特に16〜18世紀のベラトは、交易と手工業の拠点として発展した。今の景色を形づくる住宅には、主に18〜19世紀の建築の特徴が残っている。城や宗教施設だけが街の歴史なのではなく、商人や職人が暮らした家そのものにも、その時代が残っている。

1961年にはアルバニア国内で「博物館都市」として保護され、2008年には世界遺産に加わった。歴史地区は、城の地区、川のこちら側のマンガレム、対岸のゴリツァから成る。川沿いの一列だけを見ていると気づきにくいが、僕が歩いた城と坂道と対岸は、もともと一つの街を形づくっていた。

「博物館都市」と聞くと、過去の姿をそのまま展示する街を想像しやすい。けれど、ベラトの路地には鉢植えや木の扉があり、壁際には猫がいた。守られているのは建物の輪郭だけでなく、家と道が今もつながっている街並みなのだと、歩いた景色と重ねて考える。

窓の連なりも、遠くからは美しい模様に見えるが、一つ一つは家の中と外をつなぐものだ。交易や手工業で栄えた時代、その後に街並みを守ろうとした時代が、同じ斜面の上に重なっている。窓を数えるよりも、その奥に暮らしの続きがあることを想像するほうが、この街を近く感じられる。

白い壁と石の壁の間へ入ると、対岸からは見えなかった石段や曲がり角が現れた。遠くから街全体を眺め、路地に入って細部を見て、また川辺へ戻る。ベラトではその繰り返しが、家並みを一枚の景色から、歩ける街へと変えてくれた。

旧市街の石段
旧市街の石段
家々のそばで見かけた猫
家々のそばで見かけた猫
石段に沿って白い家が並ぶベラトの路地
石段に沿って白い家が並ぶベラトの路地
幾重にも窓が重なるマンガレム地区の家並み
幾重にも窓が重なるマンガレム地区の家並み

ベラト城: 城壁の内側に続く家と、異なる信仰の痕跡

旧市街から、城のある丘へ登った。

ベラト城の起源は古代にさかのぼり、現在の城の大部分は13世紀に築かれたものだ。城内にはビザンツ期の教会があり、1417年に始まるオスマン帝国支配の時代にはモスクも建てられた。

石の門をくぐった先にも、家や路地があった。城壁や塔の間を巡るだけではなく、建物の前を通り、石を敷いた道を曲がりながら歩く。城の内側にも街が続いていた。

高い場所に出ると、足元に赤茶色の屋根が集まり、その先をオスム川が曲がっていた。対岸の家並みと背後の山まで見渡せる。

下から見上げていた丘に登ることで、街全体の形が分かる。川を挟んで家々が広がり、平らな場所から斜面へと建物が連なっていた。

城内では、石とれんがを組み合わせた教会や、細く立つ塔の跡も見た。こうした建物の背景をたどると、ベラトの歴史をオスマン帝国の一時代だけで説明できないことが分かる。それ以前の教会が残り、その後の支配の痕跡が重なり、今も家々がある。

遠くからは丘の上の城に見えていた場所を、家や宗教建築の間を歩きながら見て回った。

ベラト城の石造りの門
ベラト城の石造りの門
城壁の内側に続く路地
城壁の内側に続く路地
丘の上から見渡す街とオスム川
丘の上から見渡す街とオスム川
城内に残る塔
城内に残る塔
石とれんがの教会
石とれんがの教会
木陰と石畳が続くベラト城内の道
木陰と石畳が続くベラト城内の道
石壁と緑に囲まれたベラトの家
石壁と緑に囲まれたベラトの家
ベラト城の丘から見下ろす対岸の屋根
ベラト城の丘から見下ろす対岸の屋根

オスム川: 坂の街を見渡し、夕景と夜景を待つ

城から下り、再び川沿いへ出た。

マンガレム地区の家々が、川の向こうに並んでいる。屋根の高さも、壁の向きも少しずつ違う。その間には、先ほど歩いた細い路地が通っていた。

ベラトは、異なる宗教や文化の共同体が長く暮らしてきた街としても評価されている。オスマン帝国期の影響を受けながら、正教会の伝統も受け継がれてきた。街中で教会とモスクの両方が目に入る景色には、その歴史が残っている。

建物が共に残っているからといって、人々の関係のすべてが分かるわけではない。それでも、城から川辺まで歩いた道のりには、一つの時代や信仰だけに収まらない街の姿があった。

橋を渡り、川の両側から写真を撮った。雲の下に夕方の光が残り、白い家並みの色が少しずつ変わっていく。

夕食では、料理とアルバニアのビールをテーブルに並べた。食後にもう一度川辺へ出ると、斜面の家々に灯りがともっていた。

昼間には白い壁と窓の並びが目立っていたが、夜には明かりのついた場所が浮かび上がる。橋の上から、丘の上まで続く灯りを眺めた。

橋から見たマンガレム地区
橋から見たマンガレム地区
雲の下に夕方の光が残る川辺
雲の下に夕方の光が残る川辺
夕食のテーブルに並べたビール
夕食のテーブルに並べたビール
ベラトでの夕食
ベラトでの夕食
夜の川沿いにともる灯り
夜の川沿いにともる灯り
川越しに眺めるベラトの白い家並み
川越しに眺めるベラトの白い家並み

ベラト旧市街: 朝の光の中で、もう一度路地へ

翌朝、宿の窓の外は明るくなっていた。

夜には灯りだけが見えていた場所も、屋根や壁の輪郭がはっきり見える。川と対岸の斜面を眺めてから、出発前の街歩きに出た。

青空の下、石段を上がり、家々の間を抜けて教会へ向かった。内部にはイコンや装飾があり、外の強い日差しから入ると、室内の陰影が際立っていた。

ベラトでは、建物の外側にある石やれんがと、内側にある絵画や装飾を行き来することになる。川越しの家並みだけでなく、その建物の中にも、受け継がれてきたものがある。

教会を出ると、再び窓や鉢植えのある路地だった。歴史的な建物と、その間に続く家々を通りながら、川の見える場所へ戻った。

一晩の滞在でも、午後、夕方、夜、朝と、同じ街を違う光の中で歩くことができた。

その後、ベラトを離れてティラナへ戻った。

朝の川と対岸の家並み
朝の川と対岸の家並み
朝の光を受ける旧市街
朝の光を受ける旧市街
石壁の間を通る路地
石壁の間を通る路地
朝の街歩きで訪ねた教会
朝の街歩きで訪ねた教会
教会内部の装飾
教会内部の装飾

スカンデルベグ広場: 英雄の騎馬像と、各地の石を集めた広場

ティラナでは、中心部のスカンデルベグ広場から歩いた。

広場の周囲には、モスクや時計塔、博物館、文化施設が並ぶ。その向こうには高い建物も見えていた。ベラトでは坂の先や丘の上へ向いていた視線が、ここでは広い空間を横に移動する。

広場の名になっているスカンデルベグは、15世紀にオスマン帝国への抵抗を率いた人物だ。騎馬像は、彼の没後500年に当たる1968年に建てられた。

ベラトでは、オスマン帝国期の影響を受けた家並みを歩いてきた。首都の中心では、その帝国に抵抗した人物が国の英雄として立っている。同じ国の中に残る歴史にも、異なる側面がある。

広場自体も古い姿のままではない。2017年に再整備され、舗装にはアルバニア各地から集めた天然石が使われたという。記念碑の周囲を歩く足元にも、国の各地域を集める意図がある。

大きな広場を写した写真では見落としやすいが、そこを歩いているのは、一枚一枚の石の上だった。

スカンデルベグ広場を見渡す
スカンデルベグ広場を見渡す
広場に立つスカンデルベグの騎馬像
広場に立つスカンデルベグの騎馬像

エトヘム・ベイ・モスク: 広場の隣で、細かな装飾を見上げる

広場に面したエトヘム・ベイ・モスクへ入った。

広い広場と、その周囲の大きな建物に対して、モスクは比較的こぢんまりしている。細いミナレットとドームがあり、入口の回廊にも装飾が続く。外から眺めた姿だけで通り過ぎるには惜しい建物だった。

建設が始まったのは18世紀末。モッラ・ベイが着手し、その息子エトヘム・ベイが19世紀初めに完成させた。父から息子へ引き継がれた建物の名前が、今も残っている。ティラナが首都になる、およそ一世紀前のことだ。

見どころは、壁やドームを覆う絵だった。花や葉の模様だけでなく、自然の風景や建築を描いた装飾がある。モスクの装飾というと幾何学模様や文字を思い浮かべやすいが、ここでは景色を描く絵も建物の中に広がっている。アルバニア観光局も、自然景観を表した壁画を特徴として挙げている。

修復に関わったTİKAは、こうした装飾を、土地の美術とバロック、オスマンの美術が混ざり合う例として説明している。一つの様式の名前を覚えるより、壁の植物、絵の中の建物、ドームに沿って続く模様を見比べるほうが、その混ざり方をたどりやすい。

ただ、このモスクが建設以来ずっと礼拝の場として使われ続けたわけではない。共産主義体制下には閉鎖され、礼拝が再開されたのは1991年だった。さらに2018年から修復が行われ、2021年に再び礼拝に開かれている。僕の訪問は、その修復後だった。

壁画が残っていることと、祈る営みが途切れなかったことは同じではない。内部を撮った写真をこうした歴史と合わせて見ると、目の前の装飾の美しさに加え、建物が残り、再び使われるまでの時間も意識に入ってくる。

すぐ外にはスカンデルベグの騎馬像が立つ広場がある。オスマン帝国に抵抗した英雄の像と、オスマン期につくられたモスクが、現在の首都の中心で隣り合う。その組み合わせにも、ティラナの歴史が一方向だけではないことが表れている。

外へ出ると、また広場の大きさが目に入った。中で見上げた細かな絵と、その外に広がる空間。モスクに入ったことで、この広場を建物の配置だけでなく、それぞれが経てきた時間とともに眺められる。

エトヘム・ベイ・モスクの外観
エトヘム・ベイ・モスクの外観
モスク内部の壁と天井の装飾
モスク内部の壁と天井の装飾

タバク橋: 現在の道路のそばに残る、小さな石のアーチ

中心部から歩き、タバク橋へ向かった。

18世紀のオスマン帝国期に築かれた石造りの歩行者橋だ。大きな観光施設のように独立しているわけではなく、周囲には建物があり、すぐ近くを道路が通っていた。

橋のアーチを近くから見て、少し離れて周囲も一緒に撮る。石橋だけを写したときと、街の中に置いて眺めたときでは、見え方が変わる。

古いものは、城や宮殿のように大きく残るとは限らない。こうした小さな橋にも、今とは違う街の道筋が残っている。

その先を、さらに南へ歩いた。

街の建物に囲まれたタバク橋
街の建物に囲まれたタバク橋
橋の石畳とアーチ
橋の石畳とアーチ

ティラナのピラミッド: 指導者の博物館から、用途を変える建物へ

白い斜面を持つ、ピラミッド形の建物が現れた。

1988年に、エンヴェル・ホッジャの博物館として開館した建物だ。ティラナ市の解説では、上から見た形には鷲の翼が意図されていたという。国の象徴をかたどった形が、地上からはピラミッドに見えるため、この呼び名が定着した。

ホッジャは戦後のアルバニアを長く統治した指導者で、この建物には、その人物を記念する役割があった。体制転換後には用途が変わり、さらに大規模な改修が進められた。

改修では既存のコンクリート構造を生かし、斜面に階段を設け、教育や文化活動のために使う計画へと転換している。僕が訪れたのは、その正式な開所式が行われる少し前だった。

上がった場所からは、市街地と背後の山が見えた。

ベラトでは、住宅や教会を残しながら暮らす街を歩いた。ここにあるのは、建物の形を残し、役割を変えて使う試みだった。

白い斜面の形だけでも目を引くが、何のために建てられ、体制が変わった後にどう扱われてきたのかを知ると、建物を見る手がかりが増える。ティラナの変化は、新しい建物が増えることだけではなかった。

白い斜面が広がるティラナのピラミッド
白い斜面が広がるティラナのピラミッド
ピラミッドから眺めた市街地と山
ピラミッドから眺めた市街地と山

ティラナ大公園: 広場と建物を離れて、湖のほとりへ

ピラミッドからさらに歩き、湖のある公園へ向かった。

中心部では建物と道路が続いていたが、公園に入ると木陰が増え、その先に水面が広がった。湖畔にはテーブルや椅子があり、向こう岸まで視界が開けている。

広場、モスク、石橋、ピラミッドと歩いてきて、ここでは建物を見上げる時間が少なくなる。岸辺の木と水面を眺めながら歩いた。

夜は再び街へ出て食事を取り、ワインの瓶が壁一面に並ぶ店にも立ち寄った。通りには照明が入り、昼間に見てきた街の輪郭が変わっていた。

木陰から眺める湖
木陰から眺める湖
ティラナでの食事
ティラナでの食事
ワインの瓶が並ぶ店内
ワインの瓶が並ぶ店内

国立歴史博物館: 街で見たものを、長い歴史の中につなぐ

最後の朝は、スカンデルベグ広場に面した国立歴史博物館へ向かった。

1981年に開館し、古代から20世紀までの資料を収蔵する博物館だ。正面の大きなモザイクも、アルバニアの歴史上の人物や場面を表している。

内部では、石の彫刻や紋章、武具などを見て回った。写真には、石に刻まれた図像や双頭の鷲、赤い背景の展示が残っている。

旅の間に見たものを並べると、ベラトの城と教会、オスマン帝国期の住宅やモスク、首都の中心に立つ英雄の像、ホッジャの博物館として生まれたピラミッドがある。

それぞれを一つずつ訪ねている間は、目の前の形や装飾を見ている。歴史をたどると、それらは別々の名所ではなく、時代の変化を経て同じ国の中に残ってきたものとしてつながる。

今も住むための家、祈るための場所、過去を示す記念碑、別の用途へ変わった建物。その間には、カフェや食堂があり、車の通る道があり、湖のほとりがあった。

博物館を出て食事を取り、空港へ向かった。夜に到着したティラナ空港を、今度は昼の光の中で通った。

国立歴史博物館正面のモザイク
国立歴史博物館正面のモザイク
博物館で見た石の展示
博物館で見た石の展示
展示に見られる双頭の鷲
展示に見られる双頭の鷲
出発前のティラナ空港
出発前のティラナ空港

おすすめのレストラン

店名特徴
Restaurant Ansel(ベラト)石壁や木の梁、楽器を飾った店内が旧市街の建物になじむレストラン。川と対岸を望む窓際の席では、街歩きの続きを眺めながら食事やビールを楽しめる。
Blanc Bistro(ティラナ)パスタやリゾット、サラダなどをそろえるビストロ。緑を添えて盛り付けた一皿と、写真に残した明るいテーブルまわりが印象に残る。

アーバー ホテル/Hotel Ansel/Hotel La Favorita: 今回の宿泊先

宿名泊数総額
アーバー ホテル1泊€55.00
Hotel Ansel1泊€68.40
Hotel La Favorita1泊€43.74

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