チリ旅行記・サンティアゴ/バルパライソ 編|アンデスを越えて、海の見える路地を歩く

チリ・サンティアゴとバルパライソの旅行記 中南米

ブエノスアイレスからサンティアゴへ向かう機内で、アンデス山脈を眺めていた。

幾重にも重なる山の稜線。深く刻まれた谷。その間に見える湖と、山肌に残る白い雪。地図の上では一本の境界に見える山脈が、窓の向こうでは果ての見えない広がりになっていた。

アンデスを越えてチリへ向かう。それだけでワクワクした。

機窓から眺めたアンデスの稜線と湖
機窓から眺めたアンデスの稜線と湖
山肌に雪が残るアンデス
山肌に雪が残るアンデス

アンデスの向こうにある街

初日の夕方の街には、低い光が差していた。古い建物の輪郭と、通りの奥の空が赤く染まる。機窓から見ていた山々の向こうで、サンティアゴの滞在が始まった。

夕方のサンティアゴの通り
夕方のサンティアゴの通り

旧市街の建物と、街を囲む山並み

翌朝の旧市街にも、危険な雰囲気を感じた。夜だけの印象ではなかった。街の美しさに目が向く一方で、気を抜けない感覚も残っていた。

旧市街の中心にはアルマス広場があり、大聖堂や歴史的な建物が広場を囲む。サンティアゴの成り立ちをたどる場所でもある。

スペイン人のペドロ・デ・バルディビアが、この地にサンティアゴを建設したのは1541年。選ばれたのはマポチョ川の谷だった。ただし、誰もいない土地に街が生まれたわけではない。そこにはすでに先住民が暮らし、土地を耕していた。水を確保でき、周囲を見渡せる丘があることも、スペイン人がここを拠点にした理由だった。

その丘が、現在のサンタ・ルシアだ。建設されたばかりの街は、同じ年に先住民側の指導者ミチマロンコらの攻撃を受け、ほとんどの建物を失った。サンティアゴの始まりには、植民都市を築こうとする側と、その土地を守ろうとする側の衝突がある。その後、バルパライソの港を通じてペルーから物資や援軍を受け取れるようになり、街の基盤が固まっていった。

広場のヤシと大聖堂の二つの塔。大聖堂の内部には、装飾された天井が奥まで続いている。外の青い空とは違う色と光が、建物の中に広がっていた。

丘から見渡すサンティアゴには、ビルが幾つも並び、そのさらに奥に山並みが続く。モネダ宮殿の白い外壁や、街角の古い建物を近くで見る景色とは、距離も大きさも違う。

昼の市場には魚が並び、大きな屋根の下に店と食卓が集まっていた。建物や広場だけでなく、食べものと人の姿も、この街の写真に残っている。

アルマス広場のSTGOの文字
アルマス広場のSTGOの文字
アルマス広場から見るサンティアゴ大聖堂
アルマス広場から見るサンティアゴ大聖堂
サンタ・ルシアの石畳と蔦のある壁
サンタ・ルシアの石畳と蔦のある壁
奥まで装飾が続くサンティアゴ大聖堂の内部
奥まで装飾が続くサンティアゴ大聖堂の内部
サンタ・ルシアから見る街と山並み
サンタ・ルシアから見る街と山並み
モネダ宮殿の白い正面
モネダ宮殿の白い正面
中央市場の魚売り場
中央市場の魚売り場
中央市場の大きな屋根と食卓
中央市場の大きな屋根と食卓
中央市場の店々(写真はDonde Augustoの看板)
中央市場の店々(写真はDonde Augustoの看板)
Caleta Delfínで食べた魚介の一皿
Caleta Delfínで食べた魚介の一皿

サンクリストバルの丘で、手のひらに種をまかれた

午後はサンクリストバルの丘へ。見下ろす先にはサンティアゴの街が広がり、その奥にアンデスが連なっていた。

大都会と山脈が、同じ視界に収まる。そのコントラストが素晴らしかった。機窓から見た山々を、今度は街の向こうに眺めている。

サンクリストバルの丘では、チリ人の男性に声をかけられた。大学で歴史を研究しているという彼との立ち話は、小一時間ほど続いた。

彼が語ったのは、スペインによる植民地支配と、それにまつわる戦争の歴史だった。街を築いた人々の話だけでなく、その土地に暮らしていた人々との衝突もある。目の前に広がるサンティアゴの長い歴史を、一人のチリ人の言葉で聞く時間になった。

丘の下には、今を生きる人々の街が広がっている。その向こうにはアンデスがある。美しい眺めの中にも、土地をめぐる争いや、支配する側とされる側の歴史が重なっている。建物や山並みだけを見ていては分からない、この国の話だった。

長い歴史の話が終わるころ、彼は手を開いてほしいと言った。

言われるまま掌を開くと、彼はそこに指を置いた。今、種をまいたのだという。その種に水をやり、花が咲いたら、自分のことを思い出してほしい、と。

掌には何も残っていない。何を託されたのか、すぐには分からなかった。少し怖くもあり、戸惑いもあった。それでも、その不思議な言葉には温かさがあった。街とアンデスを眺めに来た丘で、景色とは別の記憶を持ち帰ることになった。

サンクリストバルの丘から見渡すサンティアゴ
サンクリストバルの丘から見渡すサンティアゴ
青空を背に立つ丘の上の白い像
青空を背に立つ丘の上の白い像
夕方の光に包まれたサンティアゴの街並み
夕方の光に包まれたサンティアゴの街並み

港と丘、路地に色が重なるバルパライソ

翌日はバルパライソへ。サンティアゴのビルと山並みから、港と丘の街へ景色が変わる。

この街の特徴は、平らな港と、その背後に立ち上がる丘がひと続きになっていることだ。海沿いの建物から斜面の家々へ、街が段々と重なっていく。道は坂になり、階段になり、建物の間の細い路地へ姿を変える。

バルパライソという名は、「天国の谷」を意味する。名付けの由来には二つの説がある。1536年にこの湾へ来たスペイン人フアン・デ・サアベドラが、故郷のバルパライソ・デ・アリバにちなんで名付けたという説。もう一つは、航海者フアン・バウティスタ・パステネの兵士たちが「楽園の谷」と呼んだという説だ。丘から港と海を見渡す景色に、その名前が重なる。

バルパライソの歴史地区は、2003年に世界遺産に登録された。19世紀後半、太平洋側の海上交易を支える港として発展し、丘の地形に合わせた街並みが形づくられた。急斜面をつなぐ昇降機も、ここでは街の歴史を伝える存在だ。

19世紀、この港は大西洋と太平洋をマゼラン海峡で結ぶ航路の重要な拠点になった。世界各地から船や人が集まり、イギリスやドイツからの移民も、丘の街並みづくりに関わった。海沿いの平地と斜面では道の形が違い、坂や階段、昇降機が高低差のある暮らしをつないでいる。

1914年にパナマ運河が開通すると、港の発展はそれまでの勢いを失った。一方で、かつて海上交易で栄えた時代の建物や街の形が残った。今の路地を彩るグラフィティと、港町の古い輪郭。その重なりが、歩いていて目に留まるバルパライソの景色になっていた。

丘の上からは、港の建物と船、その先の海が見える。遊歩道にはヤシの葉が影を落とし、花の色が海の青に重なる。サンティアゴで眺めた広大な街とは違い、家並みと海が近い。

路地に入ると、景色は壁画へ変わる。建物の壁にも、階段にも色がある。坂の先に海が見える場所があり、家並みへ続いていく細い道もある。

壁画は一枚ずつ眺めるだけでなく、窓や扉、石畳、頭上の電線と一緒に街の風景になっていた。青や黄色の家、描き込まれた壁、色とりどりの階段。その向こうに、ときどき港が見える。

丘からの景色と、独特なグラフィティ。その二つが印象に残った。遠くを眺めても、路地の細部を見ても、バルパライソらしい景色が続いていた。

港と海を見渡すバルパライソの遊歩道
港と海を見渡すバルパライソの遊歩道
壁画のある路地の先に見える海
壁画のある路地の先に見える海
電線と色を塗り分けた家の外壁
電線と色を塗り分けた家の外壁
壁画に囲まれた細い石畳の路地
壁画に囲まれた細い石畳の路地
色とりどりに塗られた階段
色とりどりに塗られた階段
建物の間からのぞくバルパライソの港
建物の間からのぞくバルパライソの港

Tres Pecesで食べた、忘れがたいアサリ

バルパライソでは、Tres Pecesへ。開店前から人が並ぶ店だ。

注文したのは、アサリのパルメザンチーズ添えとシーフードスープ。白い長皿には、殻に載せたアサリが並び、チーズに焼き色がついていた。シーフードスープは、黒い器に入っていた。

特にアサリが、どうしようもなく美味しかった。日本でも、どこかでこの料理を出してくれたらいいのに。そう思うほどだった。

丘からの眺めや壁画と並んで、この一皿もバルパライソの記憶に残っている。

Tres Pecesのアサリのパルメザンチーズ添え
Tres Pecesのアサリのパルメザンチーズ添え
Tres Pecesで注文したシーフードスープ
Tres Pecesで注文したシーフードスープ

街を離れて、丘の言葉を思い返す

夕方にはサンティアゴへ戻った。夜の旧市街では、やはり危険な雰囲気を感じた。最終日は早朝に空港へ向かった。

アンデスの稜線、街の奥に連なる山々、海がのぞくバルパライソの路地。景色をたどっていくと、サンクリストバルの丘での立ち話にも戻ってくる。

手を開いて、掌に指を置かれた、あの小さな仕草。何も残らなかったはずの手に、言葉だけが残っている。

水をやって、花が咲いたら思い出してほしい。

少し怖くて、よく分からなくて、それでも温かかった。丘からの眺めと一緒に、そんな出会いも、チリの旅に残っている。

おすすめのレストラン

以下の金額は、今回の旅行時の会計額だ。日本円は旅行当時の為替による概算で、10円単位に丸めている。実際のカード請求額とは異なる。

店名特徴お会計
Caleta Delfín(サンティアゴ)中央市場にある魚介料理店。市場の大きな屋根の下で、食事と街の賑わいに触れられる。18,480チリペソ(約2,830円/チップ1,680ペソを含む)
Bocanáriz(サンティアゴ)ラスタリア地区にあるワインバー兼レストラン。チリのワインと料理を楽しめる。古い窓枠やシャンデリアのある店内も印象的だ。102,190チリペソ(約15,650円/チップ9,290ペソを含む)
Tres Peces(バルパライソ)アサリのパルメザンチーズ添えが特に印象に残った。シーフードスープも注文。開店前から人が並んでいた。26,000チリペソ(約3,980円/チップを除く)/料理2品とグラスワイン
Bocanárizの窓枠とシャンデリアのある店内
Bocanárizの窓枠とシャンデリアのある店内
Bocanárizで撮影した夕食の一皿
Bocanárizで撮影した夕食の一皿

サンティアゴの宿泊先:Hotel HW EXPRESS

サンティアゴでは、中心部のHotel HW EXPRESSに3泊した。宿泊したのはスタンダード・キングルームで、今回のプランに食事は含まれていなかった。

ホテルはサンタ・ルシア駅やアルマス広場、モネダ宮殿のある旧市街に位置する。街歩きの拠点になる一方、夜や早朝の旧市街では、僕自身は危険な雰囲気を感じた。中心部という立地と、その時間帯に感じた緊張は、どちらも宿を選ぶ際に考えておきたい。

宿名泊数宿泊料金(合計)
Hotel HW EXPRESS3泊US$201.84(約29,250円)

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参考資料

サンティアゴの成り立ち、バルパライソの歴史地区、飲食店の基本情報は、以下の資料を参照した。

円換算の基準:2025年5月2日の参考レート(1チリペソ=0.1531円、1米ドル=144.90円)。宿泊費も同じ基準で換算した。

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