アルゼンチン旅行記・ブエノスアイレス 編(前編)|法王を偲ぶ街と、辻々のメッシとマラドーナ

中南米

三歩歩けば、メッシかマラドーナにぶつかる

三歩歩けば、メッシかマラドーナにぶつかる。ブエノスアイレスは、そんな街だった。店先にも、路地の壁にも、二人がいる。サッカーを見に行かなくても、サッカーの方からこちらへやってくる。

ところが、僕が着いた頃、この街が見送っていたのはもう一人のアルゼンチン人だった。南米初のローマ法王、フランシスコ。バチカンで葬儀が営まれる時期、故郷のブエノスアイレスでも、あちこちで追悼の集まりが開かれていた。

広場に置かれた大きな画面。大聖堂の前に集まった人々。旅先で目にする人混みは、いつもなら街の賑わいとして眺めてしまう。けれど、このときは少し違った。

僕はNetflixの『2人のローマ教皇』を見ていた。ベネディクト16世と、後にフランシスコとなるベルゴリオを描いた映画だ。歴史をすべて知っていたわけではない。それでも、映画を通じてその人の歩みに触れていたから、法王という遠い肩書の向こうに、一人の人間を感じていた。

フランシスコはこの街に生まれ、法王になる前にはブエノスアイレスの大司教を務めていた。映画の中で知った人物が、実際に暮らしていた街に僕はいま立っている。画面の中の話が、目の前の広場につながった。街の人たちが悲しむ気持ちも、少しわかるような気がした。

交差点の店先にも、メッシとマラドーナがいる。
交差点の店先にも、メッシとマラドーナがいる。
街の大きな画面に映る、法王を偲ぶ光景。
街の大きな画面に映る、法王を偲ぶ光景。
フランシスコが大司教を務めた、メトロポリタン大聖堂。
フランシスコが大司教を務めた、メトロポリタン大聖堂。
大聖堂の前に集まった人々と、取材のカメラ。
大聖堂の前に集まった人々と、取材のカメラ。
カサ・ロサダの前で、アルゼンチンの旗が半旗になっていた。
カサ・ロサダの前で、アルゼンチンの旗が半旗になっていた。

大通りを曲がると、港町の時間が残っている

夜の大通りに立つオベリスクは、遠くからでも目に入る。明かりのついた建物が並び、昼に歩けば、その壁の装飾や窓の形が見えてくる。大きな通りを眺めていたかと思えば、少し歩いた先では古い建物に囲まれる。ブエノスアイレスは、歩く場所によって表情が変わった。

この街には、二度の建設の歴史がある。スペイン人による最初の入植は1536年。一度は定着に失敗し、1580年にフアン・デ・ガライによって再び街が築かれた。ラプラタ川から大西洋へつながる港の位置が、その後の街の成長を支えた。

ヨーロッパなどから来た移民たちが、この港を通って街に加わっていった。中心部の建物と、ボカの色鮮やかな家並みが同じ街にあるのも、その歴史を知ると少し見え方が変わる。海の向こうから来た人たちが、それぞれの暮らしを持ち込んだ街なのだ。

サンテルモでは、市場の中に店が連なり、その外には古い通りが続いていた。街の大きさを感じる大通りもいいが、こういう場所を歩くと、建物の中で続いてきた暮らしの方が気になってくる。カフェの木の内装や、市場に並ぶ品物。その細部まで含めて、僕の見たブエノスアイレスだった。

夜の大通りに立つオベリスク。塔には追悼の印が見えた。
夜の大通りに立つオベリスク。塔には追悼の印が見えた。
昼の街を歩いていても、遠くにオベリスクが見える。
昼の街を歩いていても、遠くにオベリスクが見える。
木の内装と天井の装飾に囲まれた、カフェ・トルトーニの店内。
木の内装と天井の装飾に囲まれた、カフェ・トルトーニの店内。
サンテルモ市場の肉屋。店先にも、暮らしの気配がある。
サンテルモ市場の肉屋。店先にも、暮らしの気配がある。
青空の下、通りの角に二つのドームが浮かぶ。
青空の下、通りの角に二つのドームが浮かぶ。

青と黄色のスタンドに、港の歴史が詰まっていた

ボカのスタジアム、ラ・ボンボネーラでは、青と黄色が視界を占める。何度も写真で見てきた色なのに、実際のスタンドを前にすると、やはり気分が上がった。ここで試合が始まったらどうなるのだろう。サッカー好きなら、どうしても考えてしまう。

ボカ・ジュニアーズが生まれたのは1905年。港の地区ラ・ボカで、イタリア系の若者たちがクラブをつくった。青と黄色を選んだ理由にも、港らしい話がある。クラブの公式史によれば、港で働いていたフアン・ブリチェットがスウェーデン船を見て、その旗の色を提案したという。

遠くの国から来た船の色が、この街のサッカーの色になった。そう知ると、青と黄色のスタンドが、港町の歴史まで背負っているように見えてくる。大きなクラブの始まりに、移民の若者と一隻の船がいる。その距離の縮まり方がおもしろい。

1940年に開かれたラ・ボンボネーラは、今もボカの本拠地だ。博物館とスタジアムを見てから周辺を歩くと、クラブの色もマラドーナの姿も、競技場の外にそのまま続いていた。カミニートの赤や緑の壁にも、サッカーの絵がいる。スタジアムだけを見て帰るには、惜しい街だった。

滞在中には、ボカとリーベルのスーペルクラシコがあった。現地で試合を見られなかったのは残念だったが、街中のテレビで放送されていた。壁には選手がいて、テレビには試合がある。これだけ日常の中にサッカーがある国なら、ワールドカップで優勝するのも、なんだかわかる気がした。

ただ、僕が見た放送はなかなか手強かった。一つのチャンネルは監督ばかり映し、もう一つはスーペルクラシコの実況に別のハイライト映像が重なる。街じゅうにサッカーがあるのに、いま見たいプレーが見られない。そのもどかしさまで、この街でのサッカーの記憶になった。

青と黄色が、スタジアム周辺の店先まで続いていた。
青と黄色が、スタジアム周辺の店先まで続いていた。
ボカの見学で目にした、クラブの記者会見スペース。
ボカの見学で目にした、クラブの記者会見スペース。
古い壁に残るマラドーナの肖像。
古い壁に残るマラドーナの肖像。
カミニート周辺の色鮮やかな店先。ここにもサッカーの絵がある。
カミニート周辺の色鮮やかな店先。ここにもサッカーの絵がある。
ピンクと青の壁にも、マラドーナが描かれていた。
ピンクと青の壁にも、マラドーナが描かれていた。
メッシとマラドーナが並ぶ、青いシャッター。
メッシとマラドーナが並ぶ、青いシャッター。

エビータの名前と、石の家

メッシとマラドーナに並ぶほど、街で存在の大きさを感じた人がいた。エバ・ペロン。エビータと呼ばれる人だ。正直、ブエノスアイレスに来るまで僕は彼女のことを知らなかった。

それが、ビルの大きな肖像や、あちこちにある名前を見ているうちに、知らないままでは通り過ぎられなくなった。旅行前に覚えた観光地の名前より、歩いている途中で何度も出会う名前の方が、気になることがある。エビータは、僕にとってそんな人だった。

フアン・ペロン大統領の妻だった彼女は、財団を通じて病院や学校をつくり、奨学金や住宅の支援にも取り組んだ。貧しい人々を支える活動と、女性参政権の実現に果たした役割が、いまも語られている。単に大統領夫人だったから、この街に名前が残っているわけではなかった。

レコレータ墓地で見た彼女の墓は、家のような大きさだった。貧しい人々を助けてきた人が、こんな大きな墓に入っている。僕には、それが少し皮肉に感じられた。支援の仕事を知ったことと、目の前の墓を見たこと。その二つが、すんなりとは重ならなかった。

劇場の席に、本棚が入っていた

エル・アテネオ・グランド・スプレンディッドでは、まず上を見てしまう。ドーム天井に絵があり、その下をバルコニーが囲んでいる。そして、客席があるはずの場所に本棚が並んでいる。これが本屋なのか。

1919年に開かれた劇場は、映画館としても使われ、2000年に書店になった。天井も、バルコニーも、舞台の名残も、そのまま本を探す空間の一部になっている。古い建物を保存するという言葉から想像するより、ずっと普通に、本屋として使われていた。

どんな打ち合わせをすれば、「劇場を本屋にしようぜ」という話になるのだろう。僕はそこがおもしろかった。立派な空間を前にして感心するだけではなく、その場所の次の使い道を考えた人たちの発想が気になる。

港に来た船がクラブの色になり、劇場には本棚が入る。ブエノスアイレスを歩いていると、見えている景色に、思いがけない前の話がついていた。背景を知ってからもう一度眺める。その繰り返しが、この街では楽しかった。

エル・アテネオへ。天井とバルコニーを見上げながら、書店の中へ入る。
エル・アテネオへ。天井とバルコニーを見上げながら、書店の中へ入る。
かつての客席に本棚が並び、舞台の名残が奥に見える。
かつての客席に本棚が並び、舞台の名残が奥に見える。

川を渡り、さらに南へ

ブエノスアイレスからは、ラプラタ川を渡ってウルグアイのコロニア・デル・サクラメントへも日帰りした。船から見える川の広さに、本当に世界は広いと思った。コロニアでの街歩きは、別の旅行記で案内する。

街角のメッシとマラドーナ。法王を偲ぶ人々。歩くうちに初めて知ったエビータ。五泊のあいだに、アルゼンチンの人たちが大切にしているものを、少しずつ見せてもらったような気がする。

けれど、この大きな街がアルゼンチンのすべてではない。次は南へ飛び、パタゴニアのエルカラファテへ向かう。ブエノスアイレスの街並みの続きを探すつもりで機窓を見ると、まるで違う国土が広がっていた。

船から眺めたラプラタ川。対岸が遠い。
船から眺めたラプラタ川。対岸が遠い。
ブエノスアイレスの大通りを歩く。オベリスクがまた見えてきた。
ブエノスアイレスの大通りを歩く。オベリスクがまた見えてきた。

おすすめのレストラン

店名特徴お会計
Don Julioオホ・デ・ビフェにグラスワインを合わせた。ブエノスアイレスで訪れたパリージャ。ARS 118,700(約14,470円)
Café Tortoni紅茶とチュロス、トーストしたサンドイッチを頼んだ。木の内装に囲まれて、街歩きの合間にひと息ついたカフェ。ARS 17,000(約2,070円)
Don Julioで頼んだオホ・デ・ビフェと、グラスワイン。
Don Julioで頼んだオホ・デ・ビフェと、グラスワイン。
カフェ・トルトーニで、紅茶とチュロス、トーストしたサンドイッチ。
カフェ・トルトーニで、紅茶とチュロス、トーストしたサンドイッチ。

泊まった宿

宿名泊数総額
Broadway Hotel & Suites5泊予約総額 USD 373.50(約53,430円)

ジュニア・ダブルスイート、食事なし。宿泊分の現地カード支払はARS 444,465(約54,180円)。都市税ARS 8,850(約1,080円)とランドリーARS 65,200(約7,950円)は別明細。円額は参考換算。

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旅の地図

後編へ:エルカラファテとペリト・モレーノ氷河 →

南米の旅の続き:チリ旅行記

参考資料

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