タイ旅行記・バンコク 編|王宮と夜の市場、川越しに見た暁の寺

夕日とワット・アルンを使った、タイ・バンコク旅行記のサムネイル アジア

夕日を背にした暁の寺が、バンコクで過ごした日々の最後を染めていた。

チャオプラヤー川を挟んだ対岸から見ると、仏塔は夕暮れの空に黒く浮かび、川面には光が伸びていた。バンコクで過ごす最後の日の夕方だった。

2025年1月、初めてのタイは、バンコクだけで六泊を過ごす旅になった。王宮や寺院を歩き、夜の市場へ出かけ、タイ料理を食べる。市内の道路は本当に混んでいた。そして、どこで食べても料理が美味しかった。

大気汚染で、鉄道が無料になっていた

初めて訪れたバンコクは、大気汚染がひどい時期と重なった。滞在中は、政府が公共交通の利用を促すため、BTSやMRTなどの鉄道を期間限定で無料にしていた。運賃を無料にする措置まで取られるほど、街ではPM2.5への対策が急がれていた。

鉄道の無料化は、自家用車の利用を減らし、大気汚染の改善につなげるためのものだった。当時はバスも無料になり、バスや貨物車の排ガス検査、工事現場の粉じん対策も進められていた。交通と建設の両方に対策が及んでいた。

それでも、僕が見た市内の道路は本当に混んでいた。夜になってもタクシーやバイクが並び、歩道橋から見下ろす道路には車の灯りが連なっている。大気汚染を改善するための鉄道無料化と、目の前に続く車の列。その両方が、今回のバンコクの移動風景だった。

アソークのBTSホーム。滞在当時は大気汚染対策で鉄道の運賃が無料になっていた。
アソークのBTSホーム。滞在当時は大気汚染対策で鉄道の運賃が無料になっていた。
夜の道路に並ぶタクシーとバイク。市内の混雑は夜にも続いていた。
夜の道路に並ぶタクシーとバイク。市内の混雑は夜にも続いていた。

川の両岸に残る、バンコクの始まり

今回歩いた王宮はチャオプラヤー川の東側にあり、ワット・アルンは西側に立つ。旅の中で何度も見たこの川は、街の歴史をたどる目印にもなる。

1767年にアユタヤ王朝が滅びた後、タークシン王は西岸のトンブリーに都を置いた。1782年、ラーマ1世が対岸へ都を移し、現在に続くチャクリー王朝が始まる。王宮の建設と、東岸のラタナコーシン地区の歴史はここでつながっている。

「バンコク」という呼び名の一方で、タイでは「クルンテープ」と呼ばれる。意味は「天使の都」。長い正式名称を短くした呼び方だ。高層ビルや混雑した道路の街にも、王宮と寺院を中心に築かれた都の姿が残っている。

王宮の金色と、入口で買ったタイパンツ

王宮へは短パンで出かけた。ところが、その服装では入れなかった。入口近くの露店で「タイパンツ」と呼ばれる長いパンツを買い、着替えてから中へ入った。王宮の服装規定では短パンが禁止されている。観光で訪れる僕も、まずはこの場所の決まりに合わせるところから始まった。

初日に歩いたのは、王宮と、その敷地内にあるワット・プラケオだった。屋根の先端、門、柱、壁。全体を見渡しても金色が目に入り、近づくと、その表面を埋める装飾が見えてくる。

王宮は、ラーマ1世がチャオプラヤー川の東岸へ都を移した1782年に建設が始まった。王の住まいだけでなく、行政の拠点と王室の寺院を備えていた場所だ。ワット・プラケオにはエメラルド仏が祀られている。

堂の外壁には、翼を広げた金色のガルーダが並んでいた。柱には青や緑の細かな装飾が続き、仏塔の表面には日差しが当たる。門や壁の近景と、仏塔や屋根を含む全景では、同じ敷地でも写真に残るものが違った。

ワット・プラケオの門を飾る金色と青の装飾。
ワット・プラケオの門を飾る金色と青の装飾。
堂の外壁に並ぶ金色のガルーダ。
堂の外壁に並ぶ金色のガルーダ。
ワット・プラケオの仏塔と、その前に広がる回廊。
ワット・プラケオの仏塔と、その前に広がる回廊。
柱の装飾と、その足元の像。
柱の装飾と、その足元の像。

ワット・ポー、大きな仏像と石に刻まれた知識

続いて訪れたワット・ポーでは、横たわる大きな涅槃仏を見た。全長46メートル、高さ15メートル。堂の中で見る金色の顔と、足元へ回ったときに見える足裏では、同じ仏像とはいえ景色が変わる。

足裏には、螺鈿で表された108の図が並ぶ。涅槃仏はラーマ3世の時代に造られたものだ。堂の中を占める大きさと、足裏に集まった細かな模様。その両方を写真に残した。

ワット・ポーはラーマ1世ゆかりの王室寺院で、僧侶の学びの場でもあった。ラーマ3世の時代には、医学などの知識が石碑に刻まれ、人々に開かれた。その役割から「タイで最初の大学」とも紹介されるが、現代の大学制度というより、広く学べる場所だったという意味だ。

1831〜1841年に作られた1,431点の石碑群は、2011年にユネスコ「世界の記憶」へ登録された。タイ古式マッサージの教育でも知られる寺院に、大きな仏像と知識の蓄積が共にある。堂の外へ出ると、色とりどりの装飾をまとった仏塔が続いていた。

ワット・ポーの堂内に横たわる涅槃仏。
ワット・ポーの堂内に横たわる涅槃仏。
涅槃仏の足裏を埋める螺鈿の図。
涅槃仏の足裏を埋める螺鈿の図。
色とりどりの細工が施されたワット・ポーの仏塔。
色とりどりの細工が施されたワット・ポーの仏塔。

テントの下の食事と、夜の市場

バンナーでは、ムーガタの店へ出かけた。ムーガタは焼肉と鍋を組み合わせたタイの食事だ。大きなテントの下にテーブルが並び、天井には照明が張られていた。王宮や川沿いとはまた違う場所で食べるタイ料理だった。

別の夜には、Jodd FairsとThe One Ratchadaへ。入口の看板から場内へ入ると、屋台が並び、食べ物を扱う人と、その前を歩く人がいる。ココナツを並べた売り場や、赤い灯籠も写した。

夜のバンコクは、屋上の夜景だけではない。市場の通路を歩くと、店の灯りや、手元で作業する人の姿が近くにある。道路には車が続き、市場の中には歩く人が続いていた。

バンナーのムーガタ店。テントの下にテーブルと照明が並ぶ。
バンナーのムーガタ店。テントの下にテーブルと照明が並ぶ。
夜の市場、ココナツを扱う売り場。
夜の市場、ココナツを扱う売り場。
The One Ratchadaの入口。
The One Ratchadaの入口。
夜の市場に並ぶ赤い灯籠。
夜の市場に並ぶ赤い灯籠。

運河沿いから、ワット・パクナムの緑の仏塔へ

最終日は、運河沿いの道を歩いてワット・パクナムへ向かった。水辺には建物が続き、赤い橋が架かっている。そこから路地と屋根のある通路を抜け、白い大仏塔の前へ出た。

ワット・パクナムは、アユタヤ時代に創設された王室寺院だ。仏教の経典に使われるパーリ語の教育で知られ、かつての住職ルアンポー・ソッドの瞑想法でも名を知られる。僕が訪れた大仏塔の上階には、緑色のガラスの仏塔と、それを取り巻く天井画があった。

仏塔の頂点を見上げると、その先に緑の光を中心とする天井が広がる。青や緑の地に、小さな図柄がいくつも重なっている。王宮で見た外壁の金色と、ここで見る室内の緑。寺院ごとに、写真に残る色も変わった。

天井画には仏陀の生涯が描かれている。緑の仏塔を囲む鮮やかな図柄には、寺院としての物語も重なっていた。外に立つ高さ69メートルの大仏は、2021年に完成したものだ。歴史の長い寺院に、新しい大きな仏像が加わっている。

外では大きな仏像に足場がかかっていた。その姿も含めて、この日に見たワット・パクナムだ。白い仏塔、周囲の建物、その間の細い道を歩いて寺院を後にした。

ワット・パクナムへ向かう途中の運河と赤い橋。
ワット・パクナムへ向かう途中の運河と赤い橋。
花の向こうに立つワット・パクナムの白い大仏塔。
花の向こうに立つワット・パクナムの白い大仏塔。
大仏塔の上階。緑色のガラスの仏塔と、頭上に広がる天井画。
大仏塔の上階。緑色のガラスの仏塔と、頭上に広がる天井画。
寺院の建物越しに見えた大仏。当時は足場がかかっていた。
寺院の建物越しに見えた大仏。当時は足場がかかっていた。

暁の寺を、夕暮れに見る

最終日の夕方、僕はチャオプラヤー川の対岸にいた。ワット・パクナムを訪れた後、夕暮れのワット・アルンを見た。

ワット・アルンは「暁の寺」として知られる。名前は、ヒンドゥー神話の暁の神アルナに由来する。寺院自体はアユタヤ時代からあり、かつてはエメラルド仏も祀られていた。王朝の交代とともに仏像が移された先が、初日に訪れたワット・プラケオだ。

仏塔の表面には、中国の陶磁器や貝殻による装飾が施されている。対岸から見ていた僕の写真に強く残ったのは、その細部よりも夕日を背にした輪郭だった。「暁」の名を持つ寺院を、旅の終わりに夕暮れの中で見る。朝とは違う光が、塔と川を包んでいた。

同じ場所から、全景も、仏塔と太陽に寄った写真も撮った。手前の川を船が通り、空と水面には夕暮れの色が残る。

バンコクの最終日。最高の暁の寺を見られた。

チャオプラヤー川の対岸から見た、夕日とワット・アルン。
チャオプラヤー川の対岸から見た、夕日とワット・アルン。
仏塔の輪郭と、その横に沈む夕日。
仏塔の輪郭と、その横に沈む夕日。

バンコクで訪れた場所

レストランとバー

寺院を歩いた日も、宿の近くの夜も、タイの食卓へ

バンコクでの食事には、外れがなかった。川沿いのレストラン、旧市街のパッタイ、テントの下のムーガタ、宿の近くのスープと野菜炒め。店も食べ方も違うのに、どの食事も美味しく食べられた。

タイ料理の特徴は、辛味・甘味・酸味・塩味・旨味を組み合わせることにある。唐辛子、ライムやタマリンド、砂糖、ナンプラーに、ハーブの香りも重なる。料理ごとに組み合わせが違い、同じ「タイ料理」の中にも幅がある。

その食文化には、周辺地域との交流も刻まれている。米の麺は中国から伝わり、王宮の料理もラーマ5世の時代に発展した。バンコクのある中部には各地方の料理が集まる。麺、スープ、炒め物、焼肉と鍋を組み合わせる食事まで、今回の旅でも食卓の形はひとつではなかった。

初日の夕食は、川沿いの商業施設ターマハラートにあるSavoeyへ。揚げた春巻きや、麺を添えた料理を食べた。寺院を歩いた日の夕食にも、その後の街中での食事にも、タイ料理があった。

旧市街のディンソー通りでは、パッタイ・ファイタルーに入った。赤い看板の下に店があり、パッタイはバナナの葉を敷いた皿で出てきた。ライムやもやしが添えられた一皿と、シンハービール。ここで食べたパッタイも美味しかった。

その夜はトゥクトゥクにも乗り、カオサン通りや周辺の道を歩いた。通りには店の看板が連なり、木の下にもテーブルが出ている。寺院で見る金色とは違う、看板や照明の色がある夜だった。

滞在の終盤には、スクンビットのP.Kitchenでスープと野菜炒めを食べた。大きな観光地へ出かけた日の夕食も、宿の近くで食べる夜も、美味しく終わる。一軒だけを挙げるのが難しいほど、滞在中の食事に恵まれた。

Savoeyで食べた春巻き。
Savoeyで食べた春巻き。
Savoeyの夕食で食べた料理。麺が別皿で添えられていた。
Savoeyの夕食で食べた料理。麺が別皿で添えられていた。
ディンソー通りのパッタイ・ファイタルー。
ディンソー通りのパッタイ・ファイタルー。
バナナの葉を敷いた皿のパッタイ。ライムともやしが添えられている。
バナナの葉を敷いた皿のパッタイ。ライムともやしが添えられている。
カオサン周辺、木の下に灯りとテーブルが並ぶ通り。
カオサン周辺、木の下に灯りとテーブルが並ぶ通り。
P.Kitchenで食べたシーフードのスープ。
P.Kitchenで食べたシーフードのスープ。
P.Kitchenで食べた野菜のニンニク炒め。
P.Kitchenで食べた野菜のニンニク炒め。

屋上から見る、バンコクの夜

最後の夜は、Tichucaの屋上へ。高層ビルの灯りが広がり、下には道路が続いていた。地上では車の列の中にいた街を、ここでは上から見る。

頭上には、枝垂れるような形の大きな照明がある。赤く光る照明と、その下に集まる人たち。街の夜景とバーの灯りが、同じ画面に入った。

屋上から見たバンコクの高層ビルと夜の灯り。
屋上から見たバンコクの高層ビルと夜の灯り。
Tichucaの大きな照明と、その下に集まる人たち。
Tichucaの大きな照明と、その下に集まる人たち。
店名特徴お会計
Savoey(ターマハラート店)川沿いのターマハラートで、春巻きなどを食べた店。寺院巡りをした日の夕食に。1,342.00 THB(約6,190円)
จ่าอูหมูเกาหลี(バンナー店)テントの下でムーガタを食べた店。焼肉と鍋を組み合わせた食事を楽しめる。650.00 THB(約3,000円)
パッタイ・ファイタルー(ディンソー店)バナナの葉を敷いた皿で出てくるパッタイが美味しかった。旧市街での食事に。280.00 THB(約1,290円)
Palm@18豚肉を加えた野菜炒めとビールの食事。スクンビット・ソイ18にある店。260.00 THB(約1,200円)
P.Kitchenスープと野菜炒めが美味しかった。スクンビットでタイ料理の夕食を取った店。443.00 THB(約2,040円)
Buddy Bar街中でビールを飲んだバー。飲食の記録には、レストランでの食事とともにバーも残った。190.00 THB(約880円)
Tichuca高層階から街の灯りを眺めたルーフトップバー。大きな照明も印象的な景色だった。—
Sway Restaurant(宿泊ホテル)宿泊中に利用したホテルのレストラン。街での外食に加え、ホテルでも飲食を利用した。1,160.00 THB(約5,350円)

宿泊情報

今回の拠点は、スクンビット・ソイ18のパーク・プラザ・バンコク・ソイ18。ここで六泊した。

宿名泊数総額
パーク・プラザ・バンコク・ソイ186泊20,119.66 THB(約92,770円)

参考資料

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