キルギス旅行記|ビシュケクとブラナの塔、シルクロードを辿って

キルギス、ビシュケク・ブラナの塔旅行記。草原の石人とブラナの塔、遠くの山並み。 ヨーロッパ

国境を越えたら、乗ってきたバスがいなかった。

僕だけではない。同じバスに乗っていた乗客全員が、検問所の向こう側で行き場をなくしていた。どこで待てばいいのか、誰もはっきりとは分からない。首都ビシュケクまでは、まだ先がある。

シルクロードをなぞりたくてやって来たキルギス。国に入って最初に探すことになったのは、さっきまで乗っていたバスだった。

エアコンの壊れたバスで、キルギスへ

この日の出発地は、カザフスタンのアルマトイ。ビシュケク行きの路線バスに乗り、国境を目指した。

車窓には、日陰の少ない平原が続く。天山山脈の北側を通ってきた昔の旅人たちは、こういう土地を歩いていたのだろうか。この道のりを自分の足で進むのは、さぞ大変だったに違いない。そのうち、僕たちのバスもエアコンが壊れた。

国境では、乗客はいったんバスを降りて検問を通る。人と車では手続きが別で、僕たちのほうが先に向こう側へ出てしまった。バスはまだ検問を通過しておらず、そのうえ合流する場所も曖昧。それで乗客全員が途方に暮れることになった。

カザフスタンからキルギスへ。アク・ジョルの国境検問所
カザフスタンからキルギスへ。アク・ジョルの国境検問所

結局、バスは見つかった。エアコンの故障に続いて、国境ではバス探し。ビシュケクへの移動は、なかなかすんなりとはいかなかった。

国境を越え、バスのもとへ
国境を越え、バスのもとへ

このバスで隣の席になったのは、カナダに住む香港人の女性だった。彼女も旅をしていて、住まいはケベックだという。

ケベックと聞いて、僕は英語のほかにフランス語も話せるのかと尋ねた。

「全然」

そして、彼女から質問が返ってきた。

「あなたはオランダ語話せる?」

はっとした。自分のことを棚に上げて、その土地に住んでいるなら言葉も話せるはずだと思っていた。住んでいることと、話せることは別なのに。何気なくした質問で、自分の思い込みに気づかされた。

ビシュケクに着き、その晩は羊肉のベシュバルマクと、仔牛肉やほうれん草のサラダを食べた。窓の外には、夜の街の明かりが見えていた。

仔牛肉とほうれん草のサラダ
仔牛肉とほうれん草のサラダ
羊肉のベシュバルマク
羊肉のベシュバルマク

アラ・トー広場、天山とマナス像

翌日はビシュケクの街を歩いた。

とにかく暑い。ただ、日陰に入ると驚くほど気持ちがいい。大きな通りにも、公園にも木があり、日なたと木陰とでは、同じ街を歩いているとは思えないほど感覚が変わる。

ビシュケクの通りを歩く
ビシュケクの通りを歩く

アラ・トー広場に出ると、大きな旗と、馬に乗ったマナスの像が目に入った。その向こうには天山山脈が見える。街の中心で、英雄の騎馬像と山並みを一緒に見上げる。旅のロマンを感じずにいられない景色だった。

天山山脈とともに見えるマナス像
天山山脈とともに見えるマナス像

マナスは、キルギスに伝わる叙事詩の主人公だ。物語の中で、ばらばらになっていた部族をまとめ、仲間とともに戦う英雄として描かれる。その物語はマナス一代では終わらず、息子のセメテイ、孫のセイテクへと続いていく。

この長い叙事詩を受け継いできたのが、「マナスチ」と呼ばれる語り手たちだ。口承の世界には、夢に現れた英雄たちからの呼びかけを受け、語り手として生きるようになるという話がある。夢を、その役目を授かるしるしとして受け止めるのだという。朗誦は一度に十数時間に及ぶこともある。

ここに立つのは、史実上の王をそのままかたどった像ではなく、人々が語り継いできた英雄の像なのだ。物語の中の人物が、首都の広場でこれほど大きな場所を占めている。

涼みに入った国立歴史博物館で

広場に面した国立歴史博物館に入ったのは、もともと涼みたかったからだ。

国立歴史博物館の入口
国立歴史博物館の入口

ガラスケースの中には弓や兜が並び、別のケースには、襟元から前合わせにかけて細かな装飾のある赤い衣服が掛かっていた。金色がかった衣服、形の違う帽子、木でできた弦楽器。写真を見返しても、武具から装い、音楽まで、展示の幅がよく分かる。

兜や武具が並ぶ展示ケース
兜や武具が並ぶ展示ケース
衣服と帽子が並ぶ国立歴史博物館の展示
衣服と帽子が並ぶ国立歴史博物館の展示
木製の弦楽器をはじめとする楽器の展示
木製の弦楽器をはじめとする楽器の展示

キルギスの歴史には、家畜とともに移動する暮らしと、交易路に栄えた都市の歴史がある。遊牧の住まいであるユルトは、木の骨組みにフェルトをかぶせ、組み立てと解体ができる構造を持つ。一方、翌日訪れるブラナの塔の周囲には、商人が行き交う都市バラサグンがあった。山や草原で暮らす人々と、街に集まる人々。どちらも、この土地の歴史を考えるうえで欠かせない。

衣服の模様や楽器の形まで見ていくと、歴史の話は、そこで何を着て、何を奏でていたのかという暮らしの話にもなる。戦うための道具と、身を飾るもの、音を楽しむものが、同じ博物館に収まっている。

近代に入ると、この地域はコーカンド・ハン国の支配を経て、19世紀にロシア帝国へ組み込まれた。その後はソ連の時代となり、1936年にはソ連を構成するキルギス・ソヴィエト社会主義共和国に。独立を宣言したのは1991年だ。長い文化の歴史と、今の共和国が歩んできた時間とでは、長さがずいぶん違う。

国の名前や年代だけを追うのではなく、いろいろな展示品と一緒に歴史を知っていく。それが、思っていた以上に面白かった。涼を求めて立ち寄った場所で、これほど見応えのある展示に出会うとは思わなかった。

シルクロードを辿りたくて来た旅だけれど、目的地へ向かう途中で足を止めてみるのもいい。最近、道草を食うことを忘れていた気がする。

博物館の裏手にはレーニン像が立っていた。表の広場ではマナス、裏ではレーニン。同じ建物のまわりに、叙事詩の英雄とソ連時代の指導者がいる。ビシュケクでは、街を歩く道筋にも異なる時代が残っている。

国立歴史博物館の裏手に立つレーニン像
国立歴史博物館の裏手に立つレーニン像
アーチが連なる歩道を行き交う人々
アーチが連なる歩道を行き交う人々

その後は公園や並木のある通りを歩き、昼はNAVATへ。肉や野菜と麺を炒めたボソ・ラグマンを食べた。

NAVATで食べたボソ・ラグマン
NAVATで食べたボソ・ラグマン

乗合バスとタクシーで、ブラナの塔へ

次の日は、ビシュケクの外へ出た。行き先はブラナの塔。シルクロードの交易都市があった場所だ。

まずは乗合バスでトクマクへ向かう。そこから塔まではタクシーに乗り換え、運転手と値段を交渉して、往復をお願いした。

朝の乗合バス乗り場
朝の乗合バス乗り場
トクマクへ向かう乗合バスの車内
トクマクへ向かう乗合バスの車内
トクマクのバスターミナル
トクマクのバスターミナル

町を離れると、車窓には畑が広がる。ビシュケクの大きな通りとは違って、建物の少ない景色の中を進んでいく。

塔へ向かう道の脇に広がる畑
塔へ向かう道の脇に広がる畑

ブラナの塔は、その開けた土地に立っていた。赤茶色の煉瓦が積まれ、上へいくほど細くなる。周囲には草地があり、その向こうに山が連なる。

草地に立つブラナの塔
草地に立つブラナの塔

かつてここに、シルクロードの要衝として栄えた街があった。そう聞いていても、目の前の景色とはすぐに結びつかなかった。

塔のまわりにあった街、バラサグン

この場所にあったのは、中世の都市バラサグン。10世紀から14世紀にかけて人々が暮らし、カラハン朝の都の一つにもなった街だ。中国と中央アジア、その先の地域を結ぶ隊商の道に位置していた。

シルクロードというと一本の長い道を思い浮かべるけれど、実際には、いくつもの道がつながる交易の網だった。街から街へ物が運ばれ、その行き来を通して宗教や知識、文化も伝わっていった。ブラナを含む遺跡群は、その歴史を伝える「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の一部として世界遺産に登録されている。

ブラナの塔は、10世紀末から11世紀初めごろのミナレット。モスクに付属し、礼拝を呼びかけるための塔だった。地震で上部を失い、修復を経て今の姿が残っている。

近くで見ると、煉瓦はただ積まれているだけではなく、段ごとに模様をつくっている。遠くから見たときには一つの赤茶色の塔だったものが、近づくにつれて細かな凹凸を見せる。

煉瓦の積み方でつくられた塔の模様
煉瓦の積み方でつくられた塔の模様

塔の内側の階段を上り、上から周囲を見渡した。畑と草地が広がり、その先に山並みがある。建物が密集した街の姿は見えない。

塔の上から見渡す畑と山並み
塔の上から見渡す畑と山並み

発掘では住宅や市場の跡、貨幣や陶器などが見つかっているという。今ある塔だけを見ていると忘れそうになるけれど、ここには物を売る人も、買う人も、旅の途中で立ち寄る人もいた。

塔の周囲に残る煉瓦造りの遺構
塔の周囲に残る煉瓦造りの遺構

地上には、人の顔や体を彫った石像も並んでいた。顔つきや、胸元に添えた手の形がそれぞれ違う。その背後に塔が立ち、さらに遠くに山が見える。

これらの石人は、古代のテュルク系の人々が死者を記念するために立てたものだ。ブラナの敷地にある石人には、6〜10世紀のものが含まれる。塔と一緒に眺めていると、同じ街に残されたもののようにも見えるけれど、もともとすべてがここに立っていたわけではない。

今のブラナは遺跡を見学できる野外博物館でもあり、チュイ渓谷やケミン渓谷、イシク・クル湖周辺などから集められた石人が展示されている。塔の周囲に並んでいるのは、この地域に残る歴史を伝えるためだ。交易都市バラサグンの遺構と、それとは時代も背景も異なる石人が、今は同じ敷地にある。

街があったと言われても、草地を眺めるだけでは、そこでの暮らしをうまく思い描けない。それでも、人の顔や手が彫られていると、昔ここに暮らした人々のことを少し身近に考えられる。どんな人を、どんなふうに記憶に残そうとしたのだろう。街の大きさや交易の話とはまた違う、人ひとりの生きた時間が気になった。

石人の向こうに、ブラナの塔と山並みが見える
石人の向こうに、ブラナの塔と山並みが見える

昔の街の大きさを、残されたものから思い描こうとする。それでも、かつてここが栄えていたということが、にわかには信じがたい。ブラナの塔でいちばん印象に残ったのは、その景色だった。

ビシュケクに戻り、タシュケントへ

タクシーでトクマクへ戻り、ビシュケクへ。市内では中央モスクの外観を眺め、NAVATで肉入りのマントゥを食べた。

ビシュケクの中央モスク
ビシュケクの中央モスク
肉入りのマントゥ
肉入りのマントゥ

そしてマナス空港へ向かった。次の行き先は、ウズベキスタンのタシュケント。シルクロードを辿る旅は、もう少し続く。

次の目的地へ向かうマナス空港
次の目的地へ向かうマナス空港

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おすすめのレストラン

店名 食べたもの・特徴 お会計
NAVAT Plaza 炒め麺のボソ・ラグマンや、肉入りのマントゥなどを食べた店。麺料理と蒸し料理の両方を楽しめる。 ボソ・ラグマンと飲み物など:506ソム(約850円)
マントゥとお茶など:713ソム(約1,200円)
the no name bar トムヤムスープとご飯、牛肉とじゃがいもの料理を注文。ビールや赤ワインもある。 料理・飲み物:2,585ソム(約4,360円)

泊まった宿

宿名 特徴 泊数 総額
Bishkek Centrum Hotel ビシュケク市内、イブラヒモフ通りにあるホテル。 2泊 10,773ソム(約18,160円)

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金額は利用時のお会計・宿泊総額。飲食代はサービス料を含む。日本円は2025年8月初旬のレート(1ソム=約1.685円)による目安で、円での請求額ではない。宿泊費はカード決済されたソム建ての金額を掲載。

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